スポーツ界の運営者や指導者の悪い話がここ数年マスコミをにぎわせています。特に指導者の体罰の話は、これだけ騒がれて問題視されているにも関わらず本当になくなりませんね。
高校時代は自由に練習をさせてもらったのですが、中学時代に暴力はなかったですがすごいプレッシャーをかけられて選手時代を過ごしてきた自分にとって、まだこんなことをやっているのかと思えてなりません。
自分自身も指導者をしていたので前から感じていたのですが、問題をおこす指導者の方には「過去の自分が成功した方法を押しつけている」やり方が散見されるように思います。
日本の陸上短距離界は最近やっと9秒台に突入しました。これはトラックやスパイクの進化など様々な要素が絡んでいると思うのですが、本当に変わったと思うのは一部の勉強をした指導者が新しい指導方法を取り入れた部分ではないかと思います。
僕は高校時代からずっと思っていたのは、日本の短距離指導者の大半は土のトラックでの練習方法を指導していて、ゴムのトラックで速く走る指導をしていないということです。
土のトラックでは、地面の反発が少ないので膝を高く上げて高い位置から地面への接地動作を始め、その反発を強いキックで推進力に変えていました。
しかしゴムのトラックでは、地面の反発が大きいので高い位置から接地をしなくても推進力を得られます。なので、できる限り地面に近い高さから接地動作を起こすほうが、地面により速いスピードで入射角の少ない接地ができるので推進力は増すのですが、そういう情報は僕の選手時代の陸上の雑誌にはほとんどありませんでした。
話はだいぶそれましたが、指導者は常に変わらないといけない存在だと思います。時代の流れは早いので、常に学び続けないとすぐにおいていかれてしまいます。
さらに思うのは、体罰などをしているコーチの元でしっかりと考えることのできる選手を見たことがありません。後進がしっかりと育てられていないように思います。それがいつまでも同じ指導者が居座る原因なのではないかと思います。
同じ所にずっと居座ると、人は都合の良い権力を手に入れてしまいます。次に人は権力者になると権力に群がるイエスマンで周りを固め、自身の主張を全てとおせるハーレムを必ず作ります。ハーレムは作ったほうも居着くほうにも居心地がいいので、その場を批判する者を全力で潰しにかかります。
教育現場でも会社でも国会でも、そのようなことが繰り返されながら新たな芽が潰されていき、今日の何も考えない人間が多数輩出されている日本が形成されていると思うと先がないとしか思えません。
指導者は一番しんどくて窮屈な存在で、選手の責任まで背負ってはじめて指導者といえるのではないかと思います。
選手や部下のせいにして責任をとれない指導者は、さっさと身を引く(引かせる)ことが指導者の暴挙をなくす最善の方法だと思います。
そして、体罰などが横行している部活を支持している親御さんには「その指導者はいいとこ取りをしているだけだ」ということに早く気づいてほしいと思います。
私の思い・・・悪いのを話題にするのもいいが、
とても良い事例や固有名詞無くていいからこんな指導例があるとか、なぜ、優秀な指導者を話題にしないのか残念でなりません。
人間の煩悩を刺激する話題が持てはやされるのは、その国、その環境が病的(心の病)であることの証ではありませんか?正に今のわが国、香港の反抗はそんな環境を承知しないぞ、と闘ってるのかな? 老人のボヤキ!
日本には本当に良い指導者がたくさんいます。しかし、政治力の強い人や付き合いのうまい人がもてはやされ、そういう人が表に出られていないように思います。
僕は今は、小池祐貴選手を育てている臼井コーチの「ゆっくりきれいに走る練習」という考え方がおもしろいと思っています。
煩悩を揺さぶる出来事や考えなくてもいいようなことに左右されず、常に本質を求めて歩き続けられるよう精進しようと思います。