高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

A・C・ショーは明治十五年に軽井沢を訪れた 

2024-08-23 22:07:00 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。                                                                       いままでA・C・ショー司祭は軽井沢に明治十七年か十八年に訪れたとされてきました。それは過去に出版された書籍からそのように理解されてきましたが、それが今回、新たな資料により軽井沢にA・C・ショーが訪れたのは明治十五年ということが判りました。北信毎日新聞昭和十一年八月七日の記事からで新聞記事だからそこには客観的な思考が流れています。

 貴重な文献を発見 シヨー氏軽井沢発見は明治十五年 千葉県成田から古文書が現れる(千葉電話)                                           異国情緒をもつた高原の避暑地軽井沢は在日英人のチャプレン(宣教師)エ、シ、シヨウが発見したーといふ貴重な書簡が今回霊場成田町郊外の農家から見つけ出された  エ、シ、シヨウは明治初年に渡日 江戸のある寺院に間借生活をつづけ宣教に努めた日本禮賛者で明治十五年、日本の夏は苦しいンですと、すつかり悲鳴を挙げ、草莚一枚に毛布を背負つてあちらこちらと山を踏破避暑地を探し廻つたのが我国に於ける山岳踏破のスタートともなり避暑といふものを流行せしめたもので当時同じ牧師として活やくしてゐた千葉県印旛郡八生村字上福田飯田栄次郎翁とは親交があり「小生は日本に於ける夏の理想地軽井沢発見に成功しました、此処は非常な高原で空気がよいから将来は異国人の絶賛となり開拓されることだろう」といふ内容の手紙を飯田翁に寄せてあつたのが図らずも同家継子要之助氏方から発見された・・・以下略。

 新聞記事という客観性のあるメディアからのものなのでこれこそは否定できない事実としてわたしは捉えることができると考えています。                           前年の十四年にはアーネスト・サトウ卿の『中部・北部日本旅行案内』が発行されていて多くの外国人はこれを参考にしています。ショー司祭についてもこれを参考にして軽井沢高原を訪れたことが考えられます。J・M・ディクソンもこのときショー司祭と一緒にいて、和美峠を道に迷いながらも越えたと考えることもできると思います。

                                                              ー『明治期、日本の避暑地』高見沢隆著(龍鳳書房)                                                                                                                          

                                                                          書店からご注文ください。

 

                                                                                                                             


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