こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
明治十四年にはアーネスト・サトウ卿の『中部・北部日本旅行案内』が発行されていて多くの外国人はこれを参考にしています。ショー司祭についてもこれを参考にして軽井沢高原を訪れたことが考えられます。A・C・ショー司祭がこれを参考にしていたことは、いままで日本についての参考になる書籍がなく、外国人は待ちに待ったものでした。これは多くの外国人の日本旅行のときの頼りになるテキストとなりました。
これに先駆け、キーリング(Wallace Edward Lloyd Keeling)の「Tourists Guide」が前年に出版されています。キーリングは英国の英学教師で御雇外国人として明治六年に来日しました。福沢諭吉にショー司祭とともに私雇の外国人として雇われました。この「Tourists Guide」より『中部・北部日本旅行案内』のほうが読まれたのは、キーリングのものより広く詳しく日本の紹介がされていたためです。明治二三年の第四版、「Keeling's Guide to Japan」ではより広く日本を紹介していますが、サトウ卿の日本案内が詳しく紹介しています。むしろキーリングの日本案内書はサトウ卿の日本案内書から多くを参考にしています。
キーリングも福沢諭吉に御雇外国人として雇われていましたが、それにしても福沢諭吉は巨きな日本の知識の集積地だったことが判ります。
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