こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
軽井沢の避暑地は明治十九年に始まったと前に書きましたが、それは次の新聞記事によります。
「外国人の避暑 本年は外国人の碓氷峠近辺の社寺又は農家を借受けて暑を避くる者甚だ多く是は 伊香保温泉最寄の過日コレラ患者のありしの因るならんといふ」
これは明治十九年八月五日の朝野新聞の記事ですが、新聞記事ですから、それは客観性があるということです。この記事は朝野新聞という当時でも民権運動から出てきたもので信用性は高いものです。朝野新聞は明治7年に創刊され、北島成柳により運営されました。記者は犬養毅や尾崎行雄などが在籍していました。
わたくしはA・C・ショーは明治十五年に軽井沢に初めて訪れたと記していますが、これも新聞記事からです。
新聞記事は客観性があるので、どんな時代でも真実を伝えています。
つまり明治十九年はコレラにより峠町から軽井沢の避暑地は始まり、A・C・ショーもすでに軽井沢に滞在していたのです。
詳しくは小著「明治期、日本の避暑地」(龍鳳書房)をご一読ください。
新聞記事を否定することはできません。それは客観的に、公平に記事はすべての人々に提供されているからです。
一地域の歴史ですが、先人の記事に従い、これから未来に向かっていくことは大切なことと思います。
これからの子供たちのためにも!
「信州軽井沢三笠焼」で多くのことを学ばせて頂いたので、今回の「明治期、日本の避暑地」も、とても楽しみにしておりました。
私も、あくまで趣味の範囲ではありますが軽井沢の歴史を調べており、これまでショーが初来軽したとされる明治18~19年以前にも峠町を中心に外国人が軽井沢に長期滞在していたと思われる情報を得ていたので、「明治期、日本の避暑地」は、「やはりそうだったか!」と思わず膝を打ちながら拝読いたしました。
これからも、未発見の新事実や定説にとらわれない真事実の発見、楽しみにしております!