こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
今回は昨日の「旅人」8号で発表した作品の一部を公開します。
碓氷峠を中心に軽井沢地方をみたとき、そこは高地であったため四世紀の県遺跡が示すようにそこで長く住居を構える人々はいなかったと思われる。次に考える万葉集の歌は信濃国分寺(現在の上田市)近辺の歌であるが、川辺の美しい歌として防人の歌(四四〇七番)のような土の匂いが漂う歌の対極に位置するものとして掲げたい。
信濃なる筑摩の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ (巻第十四 歌番 三四〇〇)
大意「信濃の千曲川の川原の小石も、あなたがお踏みになったのだから、宝石として拾いましょう。」 佐佐木幸綱著 『万葉集東歌』 東京新聞出版局 昭和五十七年より
この歌は美しい恋歌だと思う。「多麻」(玉)という語句は美しい石、宝石、海ならば高貴な真珠のことを指していてこの作者は川原の小さな丸い石でも素敵なあなたが踏んだものなら美しい宝石としてわたしは拾いましょうというように川原の小石を宝石に変えるという恋する想いのちからを歌に込めて詠っている。女性の純粋な恋心がそこには流れている。
「玉」については万葉集巻七の「玉に寄す一二九九番 ~ 一三〇三番」(柿本人麻呂歌集)に五つの歌が収められている。これらの玉は白玉で真珠のことを指している。万葉集巻九には七〇一年(大宝元年)に文武天皇が紀伊の国に行幸したときに歌を詠んでいるが、このなかの白玉という表現も真珠のことを指している。「多麻」という語句については(三四〇〇)の歌のほか、巻第一四の「多麻河」多摩河(三三七三番)という地名で使われている。これらを見てくると海との関わりではその多くが「白玉」で、川との関わりでは「多麻」という語句が使われていて、これは歌を詠うときの約束事にはなっていないもののいずれも水に関係していて「玉」は高貴な方が好んでいることが判る。
また、この「玉・多麻」は古墳時代には山の神などを鎮める祭祀として使われたり、装身具として使われてもいた。その場合は玉の種類により権力や身分の象徴ともなった。玉には丸玉、菅玉、臼玉、勾玉などがあり、材質は滑石、凝灰岩、メノウ、水晶、琥珀などであった。時代は下がり、飛鳥時代になると石類の玉は減少して装身具は水晶製、ガラス製や金属製のものが生産されてくる。奈良時代以降は装身具に使われていた玉は見られなくなってくるが、島根県出雲地方で石類の平玉(紐孔のないもの)が生産されてくる。玉の意味は魂・霊(タマ)にも通じる。万葉の時代の人々は祭祀や呪術的な超自然的な感覚を備えたちからをそこに感じてもいた。
この歌(三四〇〇番)の作者はおそらく宝石というものについて東国の万葉人のなかでもより理解していて歌を詠んだのではないか、石に宿る超自然的なちからを信じて自らの恋しい気持ちを歌のなかのあなたに届けたいと詠ったのではないかと思う。 次回へ
*歌番号については『万葉集』日本古典文学大系 岩波書店を参考に付した。
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