源範頼の墓
喜生園跡の源範頼の墓福蔵寺の源範頼の墓昨日、修善寺温泉街はずれにある、源頼朝の異母弟で源義経の異母兄である源範頼の墓を訪れたことを紹介したが、源範頼は当地と何らかの関りがあったものとみら...
辰年に因んで ⑥
応龍山洞雲寺龍文寺本年は辰年なので市域また関連の龍のついた寺院を紹介しよう。以前に何度...
陶晴賢墓碑
昨日紹介した洞雲寺の絵葉書上に陶晴賢首塚がみられ、同首塚は洞雲寺の西側墓地にある。陶晴賢は弘治元年(1555)の厳島合戦で敗死し、毛利元就は桜尾城で首実検をして
七尾について-七尾城
昨日紹介した七尾中学校の校名の由来は、桜尾城を中心とした七つの尾が付いた城があった(赤印ケ所)から名付けられたようである。江戸期の芸藩通志に桜尾城、岩戸尾城、篠尾城、谷宗尾城、宗
絵葉書からはつかいちぶらり-桜尾城山
かつての桜尾城は海に面した要害の地であったが文久2年(1862)城山沖に桜尾新開が築造されている。桜尾新開は何度か暴風雨で堤防が決壊しており、大正期に改修工事が
城山大師堂
昨日紹介した妙見社の境内に祀られている大師堂でこちらも現在はあまり訪れる人が無いようである。正覚院行者堂を中心に八十八ケ所巡りがあったものを明治年間に現在地に移
桜尾山の妙見社
桜尾城跡は削平されて遺構は残されていないが、桂公園北麓には大内氏の氏神である氷上山興隆寺妙見社を分祀して桜尾城の守護神(軍神)として勧請された妙見社が現在も祀ら
伝源範頼墓
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源範頼(迫田 孝也)が登場して伊豆に流され亡くなっている。佐伯区三宅の喜生園内には源範頼の墓と言われる大きな五輪塔が残され
洞雲寺の開山
昨日紹介した洞雲寺は中世の長享元年(1487)に厳島神主で桜尾城に居た藤原教親が創建し、周防龍文寺(周南市長穂門前)の金岡用兼を招いて開山した寺である。当寺には
佐方八幡神社
昨日紹介した佐方学校跡の上にある八幡神社で、中世厳島神主家が桜尾在城の頃神事祭礼等桜尾より執行されており、神主家滅亡後も毛利家より神田の寄付
桂元澄夫妻墓碑
洞雲寺境内の東墓地には昨日紹介した毛利元清夫妻墓碑に隣接して桜尾城主であった桂元澄夫妻の墓碑が建立されている。左側が元澄の墓碑で「南無阿 大江元澄 弥陀仏」と刻されており、右側は