昨日紹介した洞雲寺の絵葉書上に陶晴賢首塚がみられ、同首塚は洞雲寺の西側墓地にある。陶晴賢は弘治元年(1555)の厳島合戦で敗死し、毛利元就は桜尾城で首実検をして洞雲寺に石塔を建立し敗者の陶晴賢を丁重に弔ったのである。 (陶晴賢墓碑について)
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