昨日紹介した洞雲寺は中世の長享元年(1487)に厳島神主で桜尾城に居た藤原教親が創建し、周防龍文寺(周南市長穂門前)の金岡用兼を招いて開山した寺である。
当寺には永正8年(1511)の紀年銘のある金岡用兼禅師の肖像画が残されており、県の重文に指定されている。勧請開山の功山寺(下関市長府)にも金岡用兼禅師の肖像画が残されている。(金岡用兼肖像画-左側:廿日市の文化、右側:金山功山禅寺より)
昨日紹介した洞雲寺は中世の長享元年(1487)に厳島神主で桜尾城に居た藤原教親が創建し、周防龍文寺(周南市長穂門前)の金岡用兼を招いて開山した寺である。
当寺には永正8年(1511)の紀年銘のある金岡用兼禅師の肖像画が残されており、県の重文に指定されている。勧請開山の功山寺(下関市長府)にも金岡用兼禅師の肖像画が残されている。(金岡用兼肖像画-左側:廿日市の文化、右側:金山功山禅寺より)
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