#陶晴賢 新着一覧
石見の伝説と歴史の物語−196(三本松城の戦い)
戦国の石見−4(続き−6)61.4. 尼子・毛利の対決(続き−2) 61.4.5.三本松城の戦い陶晴賢(隆房)の謀反によって、第16代
厳島合戦関連 ③
厳島合戦の絵図で当ブログ主が確認したものは画像の8点であるが何れも江戸期に描かれたもの...
若山城跡
8月下旬、熱中症で点滴まで受けた身としてはこの暑さで登山は断念~。車で上がれる周南市新...
厳島合戦関連 ②
厳島合戦で陶晴賢が敗死した場所については定かでない。瀬川英男文学博士は高安ガ原の実地調査と房顕覚書、陰徳太平記等の諸書の説を広義に解釈して自刃の場所を高安ガ原と
厳島合戦関連 ①
昨日、厳島合戦で敗死した陶晴賢墓碑を紹介したが、厳島合戦で毛利元就勢が包ケ浦に上陸したとの説で毛利元就上陸之跡碑が包ケ浦自然公園入口に建立されている。碑裏面には
厳島合戦関連石碑
厳島合戦図宮島でみられる厳島合戦に関する石碑を紹介しよう。上画像は包ケ浦自然公園入口に建立されている「毛利元就上陸之跡」碑で昭和16
陶晴賢公一族郎党戦死者碑
大聖院登山道の仁王門前から奥の院に向かい奥の院大師に久しぶりにお参りした。奥の院境内には明治44年(1911)6月13日に建立された「陶晴賢公一族郎党戦死者」碑
厳島合戦絵図
山口県文書館広島市中央図書館広島大学文学部国立公文書館東京大学安芸高田市歴史民俗資料館 厳島合...
洞雲寺の陶晴賢墓碑
厳島合戦絵図高安ガ原陶晴賢敗死之所碑陶晴賢首塚弘治元年(1555)9月30日、厳島に於...
宮尾城跡(要害山)
宮島桟橋広場前にある商店街の後方の山が厳島合戦の際の毛利方の拠点であった宮尾城跡(要害山)である。現在要害山と称されてい
洞雲寺-陶晴賢墓碑
洞雲寺西墓地にある陶晴賢の墓碑で、弘治元年(1555)の厳島合戦で毛利元就に討たれた陶晴賢は桜尾城で首実検の後洞雲寺に葬られた。桜尾城主であった桂元澄の6男であ
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