もしかして2年前よりも深刻な状態で帝京から2度目の余命宣告を受けた8年前、今までと違って何の自覚症状も無く、ただヒタヒタと忍び寄る死の恐怖に何もせずに考えあぐねていた日々を過ごしていた。そして、たどり着いた結論は「医学で無理なら人間の生命力に賭けてみよう」だった。バイトのイントラがチャラチャラしていたフィットネスクラブは「違う!」と思い、勇気を振り絞ってビルダー達が雄叫びをあげているコアなジムの門を叩いた平成18年の秋。試合に出るまでは1年半かかったけど、危機的ラインを越えて、やっぱり人間の生命力は奇跡を起こせると実感した。これから全日本実業団パワーに照準を合わせた矢先に薬の副作用に見舞われ、丸4年も闘病生活に費やしてしまったけど、こっちも何とか克服して2年を迎えようとしている。赤トレは自分の運命を切り開けた文字どおりのターニングポイント。何年か振りに行ってみたけど、雰囲気とかは変わっていなかった。雨宿りをしながら、北ボ連の鈴木理事と意見交換していた土曜日の夜のお話。
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