元相方とドームに行かなければ普段は取り上げない野球ネタ。最近コメントを頂いているレスリングブログ友達の欧介さんがご自分のブログにリンクしてもらったのを記念に高校時代の切ない思い出を紹介します。自分と欧介さんは同学年で有名なプロ野球選手で言うと清原・桑田・大魔神などがいる。高校生の頃からPL学園のKKコンビというのは全国区で脚光を浴びていたスター。僕は小学3年生~6年間野球をしていたけど、本人のやる気の無さが災いしてほとんど伸びシロも無いまま辞めてしまった。高校時代は硬式庭球部に所属していたけど、野球部はよく甲子園に行っていた。この頃は山形県代表で甲子園に行くのは日大山形か東海大山形のどちらか。高校3年生(昭和60年)の夏の県大会決勝は日大VS東海で運動部員も一般生徒も応援に借り出されていた。試合は日大がリードしたまま最終回に突入した。応援席でも「多分行けるだろう」という雰囲気が漂い始めていたら東海がランナーを溜めてピンチを迎えた。最期の打者をレフトフライだと思うが打ち取ったと思ったらバンザイしてしまい試合には負けた。組み合わせ抽選会の結果PL学園と初戦の相手は東海大山形だった。試合結果は…29-7の歴史的大敗。9回には清原もマウンドに出て投げたけどフォアボール2つ出して降板。1点差でも22点差でも負けは負け。
歴史に「もしも」は無いが、もしあのレフトがバンザイしていなかったら…東海ではなく日大がPLと対戦してたら…結果はどうなっていたのだろう?永遠の謎だな。試合が終わってしばらくの間は東海ナインは肩身の狭い思いをしたのかもしれないが、数年たって清原や桑田がプロ野球界を牽引していくスターの座を不動のモノにした時、逆に「あのPLから7点も取ったチーム」という事で「山形県は野球のレベルが低い」という説を覆してくれた影の立役者なのかもしれない。
歴史に「もしも」は無いが、もしあのレフトがバンザイしていなかったら…東海ではなく日大がPLと対戦してたら…結果はどうなっていたのだろう?永遠の謎だな。試合が終わってしばらくの間は東海ナインは肩身の狭い思いをしたのかもしれないが、数年たって清原や桑田がプロ野球界を牽引していくスターの座を不動のモノにした時、逆に「あのPLから7点も取ったチーム」という事で「山形県は野球のレベルが低い」という説を覆してくれた影の立役者なのかもしれない。