昭和44年、僕は秋田県の県南の増田町(現横手市)に一家三人で暮らしていた。
記憶が全く無いが3/1は何の前ぶれもなく叔父(父の実弟)が突然遊びに来たらしい。母に挨拶して、1歳半の僕を抱っこして3時頃に帰ると言い出した。母は「夕方になれば父が帰ってくるから」と引き止めたのだが、4時頃の汽車に乗らなければその日のうちに弘前まで帰れないという事で半ば強引に帰った。翌日、叔父は姉と岩木山にスキーに行き、「制服のボタンを買いに行く」と言い残したまま忽然と姿を消した。卒業式の訓辞も任され、営団地下鉄(現東京メトロ)にも就職が決まっていて上京する直前の出来事。当時は単なる家出としか扱ってもらえなかったが、家出する理由もなく不可解な事件は謎に包まれたままただ時間だけが過ぎていった。祖父は厳格な人で探そうともしなかった。一言も無くみんなの目の前からいなくなった事が許せなかったようだ。祖母が内緒で「それは秘密です」という桂小金次さんが司会をしていた番組に捜索願いを出したらしいのだが、戦時中生き別れになったりとか、どんな困難なシチュエーションでも探し当てるスタッフをもってしても手がかりさえつかめなかったと聞いていた。何事も進展が無く30年以上経過してからとうとう動き出した。原因不明の失踪事件をまとめて政府が出した結論は「北朝鮮による拉致事件の可能性がある」という見解。この長い時間、何もしていなかったわけではなく、父が本店に勤務をしていたときに国の出先機関を通じて調査を進めていたらたどり着いたみたいだ。特定失踪人として28人(確か)の名前がテレビを通じて外務省から発表された夕方、僕は葛飾のマンションの現場で設計事務所の検査に立ち会っていたが、事務所に戻って打ち合わせ中に嫁から電話がかかってきた。「あなたのおばあさんがテレビに出ている」僕はてっきり強盗か交通事故か火事にでもなったのかと思ったら記者会見していた。場所は…見覚えあるなと思ったら同じ敷地内にある僕の実家の居間からだった。カメラやマスコミ・記者など30名くらい入れる場所が他になかったから。拉致には2パターンあるようで、1つは浜辺や人けの無い所にいる人を無理矢理連れて行く無差別タイプ。もう1つはリストに絞り工作員が接触して「これから繁栄しようとする国の為にあなたの力を貸していただけませんか?」というスカウトタイプ。叔父が生きて日本の地を踏んで本人の口から聞かなければ本当の事はわからない。叔父がいなくなって今日でちょうど40年。祖母は夏で90才になるが、今でも息子の帰りを待ち続けている。そろそろ返してもらえませんか?
http://trycomp.org/blog/index.php?c=1-9
記憶が全く無いが3/1は何の前ぶれもなく叔父(父の実弟)が突然遊びに来たらしい。母に挨拶して、1歳半の僕を抱っこして3時頃に帰ると言い出した。母は「夕方になれば父が帰ってくるから」と引き止めたのだが、4時頃の汽車に乗らなければその日のうちに弘前まで帰れないという事で半ば強引に帰った。翌日、叔父は姉と岩木山にスキーに行き、「制服のボタンを買いに行く」と言い残したまま忽然と姿を消した。卒業式の訓辞も任され、営団地下鉄(現東京メトロ)にも就職が決まっていて上京する直前の出来事。当時は単なる家出としか扱ってもらえなかったが、家出する理由もなく不可解な事件は謎に包まれたままただ時間だけが過ぎていった。祖父は厳格な人で探そうともしなかった。一言も無くみんなの目の前からいなくなった事が許せなかったようだ。祖母が内緒で「それは秘密です」という桂小金次さんが司会をしていた番組に捜索願いを出したらしいのだが、戦時中生き別れになったりとか、どんな困難なシチュエーションでも探し当てるスタッフをもってしても手がかりさえつかめなかったと聞いていた。何事も進展が無く30年以上経過してからとうとう動き出した。原因不明の失踪事件をまとめて政府が出した結論は「北朝鮮による拉致事件の可能性がある」という見解。この長い時間、何もしていなかったわけではなく、父が本店に勤務をしていたときに国の出先機関を通じて調査を進めていたらたどり着いたみたいだ。特定失踪人として28人(確か)の名前がテレビを通じて外務省から発表された夕方、僕は葛飾のマンションの現場で設計事務所の検査に立ち会っていたが、事務所に戻って打ち合わせ中に嫁から電話がかかってきた。「あなたのおばあさんがテレビに出ている」僕はてっきり強盗か交通事故か火事にでもなったのかと思ったら記者会見していた。場所は…見覚えあるなと思ったら同じ敷地内にある僕の実家の居間からだった。カメラやマスコミ・記者など30名くらい入れる場所が他になかったから。拉致には2パターンあるようで、1つは浜辺や人けの無い所にいる人を無理矢理連れて行く無差別タイプ。もう1つはリストに絞り工作員が接触して「これから繁栄しようとする国の為にあなたの力を貸していただけませんか?」というスカウトタイプ。叔父が生きて日本の地を踏んで本人の口から聞かなければ本当の事はわからない。叔父がいなくなって今日でちょうど40年。祖母は夏で90才になるが、今でも息子の帰りを待ち続けている。そろそろ返してもらえませんか?
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前回コメで”楽しみ”とか書いてしまい大変失礼しました。
”拉致”がスポットを浴びたのもここ10年位でしょうか?
北朝鮮は考えると、日本と近いんですね(小さい船で来れる距離)
40年は長過ぎです・・・
でもお母様が生きておられる間に是非とも合わせてあげたいですね。
息子さんの帰りを40年間待ちわびているお母様・・・計り知れないものがあります。
「元ボクサー袴田巌死刑囚の冤罪問題」
「青森六ヵ所村の原子力発電によるの廃棄物処理施設」
そして「北朝鮮による拉致」の三つです。
なかなかフットワークが軽くとはいきませんが、署名などでしたら是非ともお声かけてください。
ちなみに私は動物好きですが、インコと猫しか飼ったことしかないです。でも犬も可愛いです。癒されますね!
インコ(セキセイ)はかわいいし飼育した事があります。ネコは…アレルギーなので飼えませんが実家に21才になる老ネコがいます。父がしょっちゅう写メ送ってくるのでそのうちネタとしてアップしますね。
年経た猫は、家の守り神だと思うし、生きる「座敷ワラシ」ですよ~(笑)
北朝鮮に関しては、私が一番最近読んだ本が、北朝鮮で医療活動してたドイツ人の医師だったし(友人に貸しててタイトル失念)、ジェイキンズ氏「告白」や蓮池薫氏「奪還」など、目についたら読ませて頂いております。
まずは叔父様と、おそらく向こうで連れ添われたであろう伴侶や血縁の方々の消息だけでも欲しいですね。
今はニュースを見ながら田口さんが金さんと無事に面会できますよう、祈っているところです。
国家の暴力に、泣き寝入りや無関心はダメだと思っています。