占星術への道-誕生史、星見の作法

・占星術の基礎-星見の作法とは?
・今も多くの人を魅了する占星術
・いつ、どこで、どのように生まれたのか?

<17> 3章 新バビロニア時代/黄道十二宮の登場(続)/サイン(十二宮)と惑星の特質

2021-03-14 08:22:25 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

図29:バビロニアのホロスコープ、バビロン(前258)から。©大英博物館

 


表面

(おそらく1行欠けている)

月(?)ニサン(?)、夜(?)14番目の(?)....

シュマ・ウススの息子、シュマ・イッディナの息子、デケの子孫が生まれた。

その時に、月はさそり座の「角」の下にあった。

木星はうお座に、金星は

おうし座に、土星はかに座に、

火星は双子座に。水星は、(最後に)沈んで、(まだ)

[まだ見えて]いた。

(月)ニサン、一日目(前の月の30日目の後に

続く日)、

(三日月は)28(日目に見えていて)、14日(?)[の日の出後に月が見えていた

期間は] 4,40(?)であった。

月が最後に現われたのは27番目の日だった。

 

裏面

(出だしは記されていない)。

(状況?)はあなたにとって良くなるだろう(?)。

デュウズDu'uzの月、12の年、

8の年(?)...

 [----]

(裏面の残りの部分は、多分、何行か消失している)


図28:最古のホロスコープ、バビロン(紀元前410)から。オックスフォード アシュモリアン博物館見学者提供写真。

(くさび形文字研究ジャーナル6(1952)、「バビロニアのホロスコープ」)Aザックスのテキストから:54-57.


 

サイン(十二宮)と惑星の特質

 バビロニア人がどのようにしてその考えを発展させていったか、それを明らかにしている粘土板が全て見つかっているわけではないので推測の域に留まっているが、星座をさまよう惑星の特質がどのようにして引き出され、やがてサイン黄道12宮に結実したか、興味深い問題である。プトレマイオスが強調するところによれば、サインのはっきりした特性は惑星のそれと相関があるという。たとえば、7月ー8月という最も暑い夏の星座であるライオンの獅子宮は最も熱い星、つまり太陽とうまく合う、という。また、冬の星土星は冬の宮である白羊(おひつじ)宮や宝瓶(みずがめ)宮と合う、などという次第である。

 

まとめ

 結論をまとめると、バビロニアにおける天文学や占星術が発達するにつれて、ギリシャの天文学や占星術も進化していった。それは最初の千年紀の初めに始まり、エジプトの天文学/占星術も同様に成長した。最初、ギリシャ人とバビロニア人の間では交流があったが、エジプトでは、アレグサンダー大王以前は、他国との情報交換はあまりなかったようである。そこで、占星術がバビロニア起源であると言う場合、紀元前6世紀にまでしか遡れないというのは本当なのだ。その後、旅の形態が発達し、当然のように交易が始まった。だから、ホロスコープはバビロニア発祥であると言う場合、他の地域よりはむしろバビロニアらしい、と言うべきである。バビロニアのホロスコープ占いも後になれば、ヘレニズム文化やギリシャの考えがますます浸透してきて、変質してしまった。この伝承知識という富を実体あるものにしたのはプトレマイオスであった。

 


表面

(セレウコス王朝時代の)53年、(閏のアダル月、政暦6月,教暦12月の月)が入り、最初の

夜に、月が

バリエティス星Barietisの下 2と1/2キュビットのところを(通り過ぎた)。

12日目:(春)分時。

1日目:月..うお座。

裏面

(セレウコス王朝の時代の)54年、キスリムKislim月、

(先月の30日に続く)1日目、

8番目の夜に。

空が暗くなり始めた頃、月はうお座の星(?)の

下1と1/2キュビットにあり、

月は東方に1/2キュビット(すでに通り)過ぎていた。

20日目:(冬)至。

13日目:月のナnaは11。

上部端

その時、木星はやぎ座に、金星はさそり座にあって、

- 9番目の(日)に、水星は(ついに)いて座の東に

消えた。土星と

火星はてんびん座に。

注釈(ザックス、52):

子どもの誕生について通常述べられているような明確な説明に欠けていたが、この粘土板が受胎と誕生を結びつけたホロスコープであることをクグラーはみごとに見抜いた。


図29:バビロニアのホロスコープ、バビロン(前258)から。©大英博物館。

A.ザックスのテキストより、「バビロニアのホロスコープ」、くさび形文字の研究ジャーナル6(1952):58-60.

 


表面

77年(セレウコス王朝の)シマンSiman(の月)、4番目の(日から?)、

5番目(の日)の夜明け前(のある時刻までの間に?)、

アリストクラテスは生まれた。

その日、月はしし座に。太陽はふたご座の12;30度に。

月がその面を真ん中から上に向けていた。(これに対応する

オーメンは次のとおり)「もし、真ん中から

上に方に、それ(すなわち、月)がその面を向けていれば、(間違いなく)

破壊をもたらす(であろう)。」 木星

...いて座の18度。

木星の場所は(意味する):(彼の人生は?)安定し、良くなるだろう。彼は

裕福になり、彼は

長生きし、彼の時代は多年に(文学的表現では長く)なるだろう。金星は

おうし座の4度にある。

金星のある場所は(意味する):彼がどこに行こうとも、それは彼に幸せを

もたらすだろう。

彼は息子と娘に恵まれるであろう。ふたご座に水星、

(約4行が不明瞭)

裏面

太陽とともに。水星のある場所は(意味する):勇敢なものは最高位と

されるだろう。

彼は彼の兄弟以上に重要な人になるだろう。

土星:かに座6度。火星:かに座24度。..

毎月の22番目と23番目

(残り部分には記載がない。)


図30:バビロン(紀元前235)のバビロニアのホロスコープ。

A.ザックス「バビロニアの星占い」から。くさび形文字の研究ジャーナル6(1952):60-61.

 


表の面

[1]69[年](セレウコス王朝の)、デメトリオスDemetriosが(王である時に)、アダル

の月、(その1日目は

前の月の)第30番目の日に(合致しているはず)、

6番目の夜、

暮れ行く頃、月は

1キュビット進んでいた(つまり、おうし座B星の西―)

6番目の日、朝に、子どもが生まれた。

その時、月はふたご座の初めの所にあり、

太陽はうお座に、木星はてんびん座に、金星と火星はやぎ座に、

土星はしし座にあった。

その月は、(月は)14番目の日の日の出後の

早朝に初めて見えた。

端部

月が最後に見えたのは第27番目の日

裏面

170年(セレウコス王朝の)、ニサンの月、4日目。(春)分。

その子は、木星の光り輝く(?)棲家で生まれた。

(残りの部分は記述されていないか、破損した。)


上および左:

図31:ウルク(紀元前142)時代のバビロニアのホロスコープ。

写真©:大英博物館。

A.ザックス「バビロニアのホロスコープ」からのテキスト。くさび形文字の研究ジャーナル6(1952):62-63.

 

図32:ホロスコープが出現した時代の年代記

オットー・ノイゲバウアー、ファン・ホウゼン著「ギリシャのホロスコープ」、アメリカ哲学協会、1959、から改作

福島憲人・有吉かおり

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿