筆や木や骨や金属などを柔い湿った粘土に押しつけて絵やシンボルを記し、これを無限とも言えるほど長期間に渡って保存することができた。その文字はキュニフォーム(楔形文字。ラテン語でcuneiform)と呼ばれていた。粘土板は手の大きさぐらいで、天日乾燥したり焼いたりしたので、まず壊れることはなかった。しかし、粘土はすぐに乾燥するので、一気に書かなければならなかった。これは約3000年にわたって使い続けられた。粘土板の大きさは1×1/2インチから15×9インチだった。(紀元前5世紀以降は、アラム語が文字板に筆で印字された。西暦紀元になって楔形文字に代わった。最後の楔形文字板は西暦75年のものである。パピルスは西暦10世紀頃まで引き続き使われたが、徐々に、動物の皮で作った羊皮紙がパピルスに代わっていった。)
最も古い星占い文書(図12を参照)は古代バビロニア時代のものである。
バビロニア人の主な関心事は国の安寧だったから(王は別として個人のそれではない)、天候、収穫、干ばつ、飢饉、戦争、平和および王の運命などについて予言がなされた。毎日くりかえして起こるできごとや、月々、季節あるいは年々の規則的なできごと、あるいは農耕生活がバビロニア人にとって重要で、それらは強大な月や太陽の神々が支配するものとされた。イシュタル(金星と愛の女神)は、シン(月)とシャマシュ(太陽)とで三位一体となっていた。
紀元前3000年代の終りから紀元前2000年代の初期の頃、オーメン録が目だって増えた。シッパル出土の粘土板は羊の肝臓を模したものである(たぶん弟子たちに教えるために使われた)。(図13を参照。)
年始め、夜空が暗ければ、凶の年。
新月が現れ、それを喜びで迎える時、空が明るければ、その年は良き年となろう。
新月の前、北風が天の顔前を吹き渡れば、トウモロコシがたくさん実るだろう。
三日月の日に月の神が天からすばやく姿を消さなければ、「地震」が来るだろう。
図12: オーメン録(紀元前1830年頃)
V.Sileiko「Mondlaufprognosen aus der Zeit der ersten babylonischen Dynastie」、Comptes Rendus de L'academle des Sciences de l'Union des、Republlques Sovietlques Socialistes(1927)から:125.
数世紀にわたって書き継がれたエヌマ・アヌ・エンリルという記録がニネヴェのアッシュルバニパル王(紀元前669-630)の書庫でたくさん発見された。神官は日出および日没の正確な時間や金星の出ている時間や見えない時期を正確に記述し、さらに適切な予言をつけ加えている。これがエヌマ・アヌ・エンリルの63番目の粘土板にある「金星オーメン」(図14を参照)である。大部分が20年以上にわたって書かれている。最初の記録は紀元前2300年頃のもので、他の3つは紀元前1581-1561の間に書かれているようだ。
境界石はカッシートの時代(紀元前1530-1275年)に見られるようになったもので、3つの重要な天体が記されていることが多い。境界石、すなわち「クドゥル」は公有地あるいは私有地の境界を示すもので、約1.5フィートの高さの丸い石碑である。それには領地へ侵入する者に対する呪いの絵やシンボルや文字がよく彫られていた。ステラのような死者などを記念するための石碑も同じような方法で彫刻されていた(図16および17を参照)。
最も古い境界石は紀元前14世紀のもので、(1)シンの三日月、(2)シャマシュ、(3)8芒星のイシュタル、があしらわれている。さらに、サソリ、雄羊の頭とヒメジ(魚)がついた神殿、対になったライオンの頭、ハゲタカの頭がついた矛、柱に止まった鳥、うずくまる雄牛の背中の上の光るフォーク、ヘビなどが現わされている。
図13: 羊の肝臓を模した粘土板(紀元前1800年頃)。シッパルから。 著作権:大英博物館
アイヌ月、金星が東にあって、大小の双子星がその周りを取り囲み、この4つの星すべてと金星が暗ければ、エラムの王は病み、生をまっとうすることはない。(紀元前230O年頃)
シャバツ月の15日に金星が西に消え、3日間見えないままでシャバツ月の18日目に東に現われたら、王に災難が及び、アダドは雨をもたらし、エアは地下水をもたらし、王は王へ挨拶を送ることだろう。(紀元前1581-1561年)
アラサムナの10日目に金星が東に消え、2ヶ月と6日間天に現われず、テベツの16日目に西の空に見えたなら、そこでは大収穫となるだろう。(紀元前1581-1561年)
ニサンヌの2日目に金星が東に現われたなら、疫災に襲われる。キスリムの6日目まで金星が東にあり、キスリムの7番目の日にその姿を消し、約3ヶ月の間消えたままで、アダルの8番目の日に金星が西空に輝き始めれば、王は王に宣戦を布告することになろう。(紀元前1581-1561)
図14: 金星オーメン。 写真著作権:大英博物館。 B.L.ファン・デル・ブエルデン「Science Awaking II. The Birth of Astronomy」、オックスフォード大学出版局、1974、から。
紀元前13世紀は出生占星学(個人の誕生ホロスコープに基づく占星学)の先駆けとなった。誕生月によってその子どもについて予言を行ったというバビロニアのオーメン文書をヒッタイト人が翻訳したのであった(図15を参照)。
読者は、3つの天体が大きな意味を持つようになったことに気がついたことだろう。特に興味を惹かれるのは、愛の女神イシュタルが惑星である金星によって表わされていることである。これについてはいくつかの説がある。天文学者のジャストローは、金星が8か月と5日の間、日の出に地平線上にあり(明けの明星)、次に、3か月後に日没後の地平線上にあるので(宵の明星)、これは金星の季節的な二重性を示し、ひいては愛と肥沃の神であり、かつ戦いの神という2つの属性となったのではないか、と言う。
太陽と月を除けば、金星は最も明るい天体で、常に太陽の近くに見える。太陽と月は共に男性神である。この「さまよう星」が小さくて、明るく光ることから、バビロニア人はこの星を整然と光輝を放つ愛の女神としたのであった。
9番目の月に生まれた子どもは死ぬだろう。
12番目の月に生まれた子供は、長生きするだろう。
図15: 誕生月について述べているヒッタイト人の文書(紀元前13世紀)。Meissner、「Ueber Genethlialogie bei den Babyloniern」(KLIO 19(1925)):432-34.
図16: 境界石(紀元前1100年)。 著作権:大英博物館。
図17: 境界石に描かれた種々の生物。W.J.Hinkeから、ネブカドネザルの新しい境界石1、Nlppurから、ペンシルバニア大学、1907年。ファーガソン・フォトグラフィックスによる写真。
福島憲人(2007.1.30.)
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