占星術への道-誕生史、星見の作法

・占星術の基礎-星見の作法とは?
・今も多くの人を魅了する占星術
・いつ、どこで、どのように生まれたのか?

<4>夕陽の味わい / 傾斜角=緯度 / 天の赤道と平行圏 / 赤緯

2021-03-18 14:22:12 | 星読みの作法-占星術のための-

■傾斜角

 太陽位置を図化したところで、ここに太陽の軌跡をざっと引いてみましょう。写真のようにきれいに並んでくれたら良いのですが、そこは測角器+人間の目の本領発揮、というわけで、でこぼこ! ですから、だいたい真ん中を通るように引きます。言わずとも、大抵そうしますよね。

 図の矢のような感じになるでしょう。 次の作業は地平線とこの矢印の間の角度θ(シータ、なぜか角度を示す記号にこのθがよく使われる)を測りましょう。今度は少しマシな道具が必要です。分度器です。

 分度器、懐かしい響きですね。永いこと、ご無沙汰だったのではないでしょうか? 手元にない、という方もおられるかも知れませんが、占星術には必要なものですから、揃えておきましょう。三角定規とのセットで100円です。

 このグラフに重ねて測ってみると、52°になっています。これに何か意味があるんでしょうか?
 はい、意味がないどころではありません。これ、北海道で測ると46°ほど、沖縄では64°ほどになるからです。「ほど」というのは、厳密なことを言えば、時期によって微妙に違うからです。
 このように、この傾斜角は南北で違います。北では低く、寝そべった格好になりますし、南は屹立です。緯度によって異なるのです。ここでの観察例は東京を想定していますので、北緯は36°ほどとして、
 
  傾斜角=90°-緯度=90°-36°=54°
 
の筈ですが、少しずれているのはご愛敬というところです。
 
 赤道では太陽が真上に上り、真下に降りる。中緯度の日本では緯度の分だけ傾斜する、というわけですが、これもご存知でしたよね? その机上の知識を自ら体験した、ということです。
 北海道や沖縄で同じように測ってみる、なんて余裕ができたら良いですねえ。旅の値打ちがぐんと上がるというものです。
 この傾斜角はヘリアカル・ライジングで見える星が場所によって変わることなどと関係しますので、ホロスコープを問題にしようという方には必須の知識です。

 
■天の赤道と平行圏、時角
 この夕陽の観察を3月21日の春分の日や9月23日の秋分の日にやってみるとどうなるでしょうか?
 これも観察から、とは申し上げません。推論でいきましょう。
 春分の日や秋分の日の太陽はそれぞれ、春分点秋分点にありました。
 では、春分点、秋分点とはどういう点でしたか?
 これは占星術の基本中の、きほんの、キホンでした。黄道天の赤道との交点ですよね。ですから、この日の太陽は黄道上にあるだけでなく、天の赤道上にもありました。
 この天の赤道上にある太陽は、左図の赤い線のとおり、右下54°の傾斜角で真西に沈みます。この日の太陽の軌跡が天の赤道です。
 
 ただ、この図は真西が90°になるよう予め調整されていたので、このように描くことができました。でも、皆さん方の図では残念ながら、ここまで描くことはできないと思います。
 
 でも、できなくても構いません。ここで把握して戴きたいのは、太陽は日々、天の赤道に沿って、平行に運行している、ということです。天の赤道からの離れ具合は季節によって変わりますが、常に天の赤道に平行です。ですから、まとめて平行圏と言います。
 
 天は丸く見えますね。天球です。そのお腹の真ん中が天の赤道。ここの一周が一番長く、平行圏は赤道より短くなります。しかし、共に24時間で一周しますから、赤道から離れるにつれて時間当たりの運行量は少なくなります。運行量は少なくなっても時間は同じなのですから、何とかそれを表現したいと思いませんか? それを保証する概念が時角と言うものです。答えを言ってしまえば、天の北極から見れば、天の赤道も平行圏も同じ時間に同じ角度だけ回転します。その角度を時角と言っています。これは太陽のみならず、星の南中などで重要な役割を果たしますので、後で詳しく紹介しましょう。
 
 いやー、次から次といろいろ出てきますね。夕陽を見るだけでも大変です。どうも「意識的に」見る、とはこういうことのようです。私たちの夕陽観望には、残念ながら、ロマンティシズムの欠けらもないようです。

 
■赤緯、オクシデント-最後に
 では、最後に天の赤道と今回引いた日没線との間の長さを測ってみましょう。天の赤道に対し直角になるようモノサシを当てましょう。だいたい10~11cm、つまり10~11°ではありませんか?
 この値を赤緯と言います。記号はδ(デルタ)です。夏場は天の赤道より北に行きますからδは+、冬場は南へ移りますからδを-ととります。
 今回は δ=+10~+11° というわけです。
 
 ただ、赤緯を得るには天の赤道の位置か、西点位置がわかっていなければなりません。西点も占星術では重要なポイントですから、皆さんのご自宅なりから見た時の位置は把握しておきたいものです。最近はスマホに精密なコンパスが入っていますから、さほど難しいことはないでしょう。
 
 こうして、夕陽の測定から太陽の赤緯の値を求めることもできました。
 
 第1回目に、4月20日の太陽位置をスターチャートにプロットして貰いました。再掲しておきましょう。
左から右へと横に伸びる罫線が入っていますね。中央の罫線は赤く表示されています。天の赤道です。そして、1本上が赤緯δ=+10°。4月20日の太陽はちょうどこの10°線あたりにあるようです。
 測角器の「偉力」です。バカにできませんね。太陽の赤緯を計測するーなかなかできる芸当ではありません。
 
 西点を見たついでにオクシデントを意識しておきましょう。上のグラフで横軸が90の点、つまり、天の赤道が交差する点、ここが西点で、地平線上の真西の点に他なりません。占星術ではこれよりも、太陽が地平線と交わる点、つまり黄道と地平線との交点の方が重要です。上のグラフでは点線上の矢印の先です。ここをオクシデントと言います。日常的には両者を区別することはありませんが、占星術ではオクシデントの方が重要なので、必ずしも西点ではないことを意識し、区別しています。オクシデントを中心とした周りの領域が西方(オクシデンタル)です。
 東の方では同じように、東点アセンダント東方(オリエンタル)と言います。
 オクシデント、アセンダント位置を求めるには赤緯、緯度を元に計算します。ホロスコープを作成する際に欠かせませんね。
 
 さて、いかがだったでしょうか。ちょっとややこしい夕陽の観察でしたが、占星術に重要な概念が次々に登場しました。もっと発展させることもできます。が、ひとまずここで終えて、本題の星見の作法へと移りましょう。
福島 憲人(2021.3.18.)

<3>夕陽の変身 / 1時間に15° / なぜにラジアン! / 測角器の正統性

2021-03-18 11:41:14 | 星読みの作法-占星術のための-

測ったら

 では、4時30分から6時までの1.5時間の測定で7点のデータが取れたとしましょう。今度はそれをグラフ化します。

 何だか学校の勉強のようですね。そうです、皆さん方は占星術をやるため学校へ行き、嫌な勉強をしたのでしょう? こうしたワザが必要になるので、学校で習ったのです。全ての学びは占星術へ通じる! 今度はその努力を成果に結びつける番です。

 学校と言えば、上では縦、横といった表現をしましたが、学校用語ではY座標、X座標の値でしたね。

 さて、縦は縦軸、横は横軸で左のようにプロットします。測定値をそのままのcmで描くと大きいなあと思う場合は1cmを半分の5mmに縮めるとか、それなりの工夫はして下さいね。

 ここで真西が90になるよう横軸を調整していますが、こんなことをせずに測った長さを目盛って戴ければ結構です。

 要は、右下に下がっている、ということがわかれば良いのです。

 これで終わり? いいえ、本番はこれからです。


移動量を求める / 1cm=1° ラジアンの秘密 / 手尺

 左上が4時30分、右下が6時でした。では、左上の点から右下の点までの長さを、今度は、モノサシで測りましょう。測角器がモノサシに変身です。

 ざっと測ると24cm、1時間あたり16cm、つまり角度の16°です。

 おっと、待って下さい。cmが°(度)に変身していますよ。

 上で申し上げました。測る時は57cm離して見ると。この57が秘密のカギで、1°という角度で広がっていくと、57cm先で1cmになるのです。10°なら10cmです。人間の腕の長さが57cm位というのは偶然でしょうが、だいたいそうなっています。本当かどうか、暇な時に、一度、測ってみて下さい。

 それで、「手尺」というものが作れます。「手酌」じゃあ、ありません。左の図のように、軽く、握りこぶしを作って左右を測ってみるとほぼ10cmです。これも実際にどの程度の力でこぶしを作れば10cmになるか、確かめておくと良いと思います。

 この「手尺」では10°という角度が測れます。

●ラジアン

 実は、57はラジアンにまつわる数字でした。皆さん、学校で弧度法、ラジアン、を習いましたね。半径と同じ円弧の長さを見込む角度が1ラジアンでした。1ラジアン=57°、忘れてましたか? 忘れていても結構です。そういう用語があることを知っていることが大事なのです。

 したがって、1°=1/57ラジアン、つまり57cm先の1cmというわけです。

●太陽の日周運動 15°/時

 さて、話はこれからです。先ほど1時間に16°としましたが、本当は15°ですね。太陽は24時間で一周するのですから、360°÷24時=15°/時 です。

 太陽の日周運動は1時間に15°と、多くの方はご存知でしょうが、実際、測ったという人はそうはいないでしょう。今回、手持ちの測角器では16°になりましたが、これを皆さんはどう評価されますか? 道具がちゃちい、測り方が下手、不真面目、などなど、いくらでも批判できるでしょう。しかし、どうでしょうか? やったことがない人から批判されたいと思いますか? そんな批判を受け入れようと思いますか? たとえ精度の悪いデータにしろ、まぶしい太陽を相手に涙を流しながら、震えるウデを押さえて、長い時間かけて得られたデータです。「そんならお前がやってみろ」と言いたくありませんか?

 さ、これでまた一歩、前進です。

 なお、この15°/時という角度単位は黄道帯の分割によってできたサインハウス等に反映されていますから、占星術では最も重要な単位の一つと言えます。占星術に関心を持たれている皆さんがこれを体験的に把握しておくことはとても大切なことです。


*)備考:円周とラジアン、360°は2π=6.28ラジアン

 円周=2πr、にいぱいあーる、と覚えていますよね。rは円の半径でした。半径と同じ弧長になる角度が1ラジアンで、円の一周が半径の2π倍ですから、円の一周360°が2π=6.28ラジアンです。

*)備考:弦の表との関係

 57cm先の1cmを1°としましたが、この1cmは厳密には円の一部ですから曲がっています。曲がっているのを測るより、真っすぐな尺の方が楽なので、円弧を真っすぐに結び、その長さを測るようにしました。その長さと角度を結びつけるのがアルマゲストの弦の表です。ここでは真っすぐに線分長を測っていますので、測角器は正確には弦の長さを測っていますから、測角器を使うことはアルマゲストに従った正統的な西洋古典占星術の実践ということになります。

福島 憲人(2021.3.18.)


<2>夕陽のこころ / 測角器 / 夕陽を測る

2021-03-17 21:32:34 | 星読みの作法-占星術のための-

■なぜ、夕陽を見るか-夕陽のこころ

 前回は星見の出発は夕陽を見ることと申し上げました。その心は「黄道星座」、ゾディアックを天に描けるようになること、でした。

 でも、それには1年かかります。毎日ではなし、意欲のある皆さんですし、それほど負担ではないでしょう。

 で、その間に、いやその後でも良いので、1回で結構ですから、1回だけ、ぜひ、測角器を使って夕陽を測って下さい。

 「測角器?」、知りませんよね。そりゃあ、そうでしょう。私の造語ですから。発明したわけではありません。これ、皆さんのお家にあるものですから。


■測角器とはこれ!

 「バカにするな!」と叱られそうですが、測角器とはこれです。モノサシと言う方がおられますが、それは測りたいものに当てて使う場合ですよね。でも、ここで測るのは角度-ものに当てるのではなく、はるか遠方に離れたものの見かけの角度を測るのです。ですから、測角器! 

 そう、これがこ私たちのアストロラーベ、トランシット!です。ちょっとばかり精度が悪いだけ。でも、これで良いのです。

 占星術は2000年前に誕生し、完成した技法ですから、当時の精度があれば十分。もちろん、中には立派な計測器を持っていた人もいましたが、それは例外。これだって、あるのとないのとでは大違い! 安上がりの割には実に強力な助っ人です。

 30cm長が平均的ですが、もう少し長い方が使い勝手が良いので、100円ショップに走って下さい。

 使い方は簡単です。が、少しだけコツがあります。それは目から57cm離して見ること。別に測る必要はありません。目いっぱい腕を伸ばせばそれ位になります。多少長かろうが、短かかろうが、気にすることはありません。ただ、いつも同じ長さになるよう努めて戴ければ最高です。

 これで太陽や満月を見ると、5mmです。まあ、太陽は見ない方が無難だと思いますが、自信のある方はどうぞ、本当に5mmか、確かめてみて下さい。

 「長さを測るんじゃないと言いながら、長さじゃないか!」と仰るかも知れませんが、実はこれはプトレマイオスの大著「アルマゲスト」の最初の方にある「弦の表」を実践しているのです。円周に張った弦の長さから角度を求める表が「弦の表」。これを使いこなせるようになる。これが当時の占星術師の第一歩でした。

 測角器をバカにした方はどうぞ「アルマゲスト」を開いて下さい。第一巻第九章です。現代のことばではサイン関数ということになるので、これが私たちの三角関数表か電卓代わりというわけです。

 いかがですか? 測角器、バカにできませんね。


■夕陽の何を測る?

 太陽の縦と横の長さです。

 は地平線から太陽までの長さ。地平線なんて見えませんから、こんなもんだろうというところで結構です。測角器を上に向け、下端を地平線に当て、太陽の見えた場所を片手の指で押さえて、ハイ、目盛りを読みましょう。15cm、20cm、結構でしょう。

 は遠方の山頂やら木、建物の角など、目立つものを基準にします。斜めにしてはいけません。基準点から水平にしたまま上げて、太陽位置を押さえます。

 横方向は適当な基準点を見つけるのがポイント。これが悪いと測角器の目盛りから外れてしまいます。太陽は右下に動いて行くことから見当をつけましょう。

 測り終えたらメモします。「4:45、27、83」、時刻、縦、横です。

 測定は日の入り2時間前にスタンバイ! 適当な基準点を見つけ、地平線の見当がついたら準備オーケーです。日の入り時刻が分からない? 春3月や秋9月は6時頃でしょう? 夏は7時15分、冬は4時45分あたりですから、だいたい分かりますね。

 さあ、測りましょう。測定日は4月20日としましょう。4時30分から、15分ごとで、1時間半で7回です。これだけあれば結構です。

 いかがですか、こんなに真剣に夕陽を見たことがありましたか? これでまた後輩に水を空け、専門家=エキスパートにまた一歩近づきました。

福島 憲人(2021.3.18.)


<25> 付録-占星術の歴史-まとめ (最終ページ)

2021-03-17 13:26:02 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

占星術の歴史-まとめ

 星占いの概念は紀元前2300年頃にシュメールで誕生した。最初が金星に関する予言書(オーメン)で、この種の予言書は紀元前1500年頃に繁栄した。オーメンが非常に複雑になったのは、単に数理天文学が発展したからに他ならない。第1章で述べたように、紀元前1200年頃に作られた、誕生月による簡単な2つの予測・予言が記された粘土板が一枚発見されている。黄道帯が考え出されたのは紀元前418~前410年の間で、最も早い時期のホロスコープには紀元前410年の日付がつけられている。

 現代西洋占星術(ホロスコープ、天宮図占星術)は紀元前400年代にギリシャ人(ヘレニズム文化の占星術)がカルデア人の知識と数理天文学を統合して発展させたものである。プトレマイオスとベッティウス・バレンスが2世紀にこれに磨きをかけた。

 見つかっている16のバビロニアのホロスコープは紀元前410年から紀元前68年に及び、9つのエジプトのホロスコープは紀元前37年~西暦93年年で、180のギリシャのホロスコープは紀元前61年~西暦600年頃に及ぶ。粘土板は、初期バビロニア時代から後期バビロニア時代、エジプト時代、そしてギリシャ時代にかけてのものが何十万と発見され、修復されているが、占星術に関する粘土板はわずかで、黄道帯の占星術が新しく、実験的な考えだったことを示しているように思われる。バビロニアでは、ホロスコープを使った予測はほんのわずかしかない。西暦1、2世紀になってから、ベッティウス・バレンスが描写したように、長い予言が含まれるようになった。


占星術家から知られる歴史

 占星家が言う占星術の歴史については疑うべきだ。『The Story of Astrology』でマンリーホールは次のように言っている。

 キケロは、占いについての処女作の中で、カルデア人が370,000年間の星々の記録を持っていたことに気づいた;ディオドラス・シクルスは、彼らが473,000年間にわたり観察していたことが分かったと言っている。ユリウス・フィルミカス・マテルナスに関する注釈の中で、トマス・テーラーはエピゲネス、ベロスス、そしてシトデメスがバビロニア人による天体観測の期間を490,000~720,000年と確定したと言っている。キケロは更に、バビロニア人は何千年もの期間にわたり彼らの子供たちの出生ホロスコープを保持していて、そしてこの膨大なデータから惑星と黄道帯のサインの影響を計算した、と主張する。現代の科学と豪語するものが確たる基礎の上に立っていると言えるのだろうか?

 カルデア人が占星術を行っていた期間については古代以来ずっと誇張されてきた。ベロスス(紀元前275年頃)は468,000年間の編集物について伝えているが、これはキケロが言及した470,000年に近い。ギリシャの歴史家ディオドロス(紀元前50年頃)は473,000年という数字を報告している(ディオドロスは、歴史は雄弁術の付属品であり、いろいろ飾る必要があると思っていたので、歴史をいじることは容認されると思っていた)。ビザンティウムの占星家エピゲネス(紀元前220年ごろ)は、バビロニア人は730,000年間に及ぶ天体観測を記した粘土板を持っていると書いた。占星家クリトデムス(紀元前250頃)は490,000年という数字を書いている。

 ホールがその間違いを長引かせたのは間違いない。さらに、ホールの本に書かれていることを注意してよく見れば、つまり、ホール、テーラー、キケロ、そしてカルデア人を介して、孫引き、ひ孫引きの情報を受け取っていることが分かるだろう。ホールの計算に従ったら、とんでもない所に行ってしまう。この時代のメソポタミアの住民は後期ホモエレクトス、すなわち近代人の先駆けか初期のヒトに属していたはずだ。このヒト科は背が5フィートを少し超えるぐらいで、頭が大きく、鼻は広がり、前額部が斜めになっていて、額の眉の辺りが飛び出ていて、あごは小さい。脳の大きさは現代人の4分の3で、前頭葉が未発達で、言葉もそれほど豊かではなかった。手斧やその他原始的な石器や骨角器を作ったり、また上手に火を使って食物を料理したり、カモシカや雄豚を捕らえ、サイを沢に追い込むというような知能は持っていた。

 ルース・ヘール・オリヴァー(アメリカ占星術者連盟の元議長)は、次のように示唆する。

大昔に遡って資料を適用しようとやってみたところ、我々がかに座の時代と呼ぶ時代に黄道帯が誕生したという仮説に達した;それは、およそ紀元前8000~6000の間にあたる。

 

遊牧民が紀元前8000年にジャルモに、そして紀元前7000年にジェリコにやっと定着したという時代である。だが、この期間の天体の記録は発見されてない。

 ジョアンナ・ウルフォークは、『役立つ唯一の占星術書』の中で、次のように述べている;

太陽、月、恒星、食、日中、夜に関する研究は歴史が記録されるようになるよりかなり前に始まった。

氷河期からトナカイの骨やマンモスの牙が発見されているし、氷河期のノッチ曲線上にはいろいろな月相が描かれている。

これらの骨や牙は紀元前25,000~10,000年の間とされている。また、紀元前32,000年ぐらい前だという科学者もいる!

 

...キリストが生まれる6000年も前に、星々の通り道が記録された。紀元前2767年という大昔に、エジプトのイムホテプ(サッカラの大階段ピラミッドの建築家)がホロスコープを描いていて、それが現存している!

 

...紀元前4200年にエジプトの占星家たちが作ったチャートを今でも読むことができる・・・・。

 

...ヒンズーの宗教的知識は、リシ(紀元前5000年)という7人の古代の賢人までさかのぼる。

 

...中国の占星術の始まりを皇帝フシが支配していた紀元前2800 年ごろとしている歴史家たちもいる。

 科学作家アレグサンダー・マルシャクはスペインとウクライナの間に散在している紀元前33500年に遡るとされている岩壁や骨や石に書かれた記録を研究した。彼はそれらを月の相だとしているが、ほとんどの研究者は原始的な算法だと思っている。一例は、骨の飾り版だ。これには丸のみで彫られた穴が幾列かあって、グループごとにまとめられている。天のできごとについての最初の記録は絵文字で、紀元前3300年のもの。初期の粘土板(およそ紀元前1100年)は、「月の通り道内にある星々」を語っている。イムホテプは紀元前2670年頃に生きていたが、この時代のホロスコープは見つかっていない。

 バビロニア人の星の知識は紀元前600年ごろにエジプトに入ってきた。エジプト人はそれ以前に星についての知識を持っていたという言う人もいるが、この主張に対する証拠は見つかっていない。占星術/天文学は、近東からインドや極東へと伝えられた(木)紀元前450年ごろ)。中国で発見された占星術の予言は、アッシュルバニパル王(紀元前669-626年)の図書館からコピーされたもののように見える。


黄道帯のハウス

 黄道帯の「ハウス」は何時頃できたのか? すなわち、地球が毎日一自転することに基づいて黄道を30度ずつに分けたものがハウスだ。誕生時に太陽が上昇しているサインから始まり(第一ハウス)、愛とか死、結婚、自我などなどを意味するハウス・システムはホロスコープに何時頃から現われ始めたのか。

 大半の占星術の歴史家たちは、アラビア人のアルバタンAl-BattanかアルバテグヌスAlbategnius(紀元850-929)だとしているが、実際はギリシャ人が追加したもので、テトラビブロスに記載されており、黄道帯のサイン上に重ねられた「軌跡」としてギリシャのホロスコープで使われている。


他の文明

 メソポタミアのジグラットやエジプト人のピラミッド、インカ、アステカおよびマヤの古代太陽寺院など、良く似たものが見られる。これらは、現在では消滅した、以前の文明の一部であったのかも知れない。だが、この見解は2つの理由で否定されている。

 1つ目の理由は、最初のアメリカの寺院は紀元前500年頃にアステカ人によってオアハカに建造されたという事実である。また、テオティワカンの最初の太陽寺院が建造されたのは、西暦100年頃以降だ。最初のピラミッドは紀元前2900年にエジプトで造られた。また最初のジグラットは紀元前3000年頃に築造されている。放浪のエジプト人やメソポタミア人が交流し、次に南北アメリカへ移動し、寺院構築術に影響を及ぼすことはできない相談ではなかったかも知れないが、どうもそれはなかったようだ。

 もっと説得力のある理由は、これらの構造物が別々の理由で建造されたという事実だ。シュメール人の場合、それは神々が地球に降りてくるのを助けるためであり、また惑星の動きを記録し、予測(オーメン)を報告するためだった。エジプト人の場合は、死者の魂が速く、容易に天に到ることができるようにというものだった。第一王朝前のエジプトでは、死者は砂漠の端の浅い墓穴に埋葬され、その墓穴の上に砂を積んで長方形の塚が造られた。その時以来、塚のサイズはほとんど変っていない。ピラミッドの造りは太陽光線を表しており、それによって王は自分の意志で太陽神ラーと交流できた。その目的は王のミイラ化した死体を永遠に保存するためだった。

 初期のアメリカ文明では、寺院は太陽と親しく語るために建造された。アステカ人、インカ人、そしてマヤ人も太陽を崇拝したが、月を崇拝した時代も幾度かあった。アステカ人やその前のトルテカ人は、太陽が毎日現われることで、生命をもたらすと思っていた。ピラミッドの最上部には、寺院が複数設けられることもあった。テノチティトランには2つの寺院があった。1つは国の神である魔法使いのハチドリのためだった。ハチドリは太陽の象徴で、もう一つの寺院は雨の神のためだった。

 エジプトまたはメソポタミア以外では、古いピラミッド型の構造物は、海中の発掘をも含めて、世界中のどこにも見つかっていない。


まとめ

 あまり厳密に言わなければ、星占いは紀元前2000年代に始まり、黄道帯に依拠した占星術は紀元前5世紀に起こり、天宮図占星術(ホロスコープ)は、プトレマイオスとベッティウス・バレンスによって西暦200年頃に洗練された形になった。他のホロスコープもこの時期に作られたことは疑う余地がないが、さほど古いわけではない。なぜなら黄道帯の発明は紀元前418年のことだし、また、30度幅の黄道帯のサインを導くのに必要な数学の起源もその数年前のことだからだ。各段階はそれぞれ依存関係にあった。ホロスコープどころか黄道帯についてでさえ、紀元前5世紀よりずっと前にあったなどと言えば、無意味な戯言と片付けられるに違いない。

福島憲人・有吉かおり


<24> 付録-占星術起源年代記

2021-03-15 20:55:41 | 占星術への道-西洋占星術の誕生史

占星術起源年代記


紀元前4000年~前2000年=シュメール/アッカド期


 

神々、天、大地、水、太陽、月、金星の女神/初期の暦作りの試み

 

前3300年

文字の発明、星、神、空の絵文字入り/最初のジグラット

 

前3000年

アッカド人がシュメールに移住/愛の女神イナンナが描かれている円筒印章

 

前2300年

太陽神シャマシュ、イシュタルおよび水の神Eaを示している円筒印章/最初の金星オーメン


前2000年~前1300年=古代バビロニア時代


 

前1900年~前1600年

オーメン粘土板

 

前1700年

ハンムラビ

 

前1500年代

金星オーメン(予言)

 

前1200年

ヒッタイトの粘土板ー誕生月による予測


前1300~前600=アッシリア時代


 

前1100年

星々のリスト(アストロラーベ)

 

前1000年

天の予言(エヌマ アヌ エンリル)

 

前600年代

正確な暦の発明/天文学の粘土板(mul.APIN)

 

前650年

アッシュルバニパル

 

前600年代後期

黄道帯の星座が全てマッピングされた


紀元前600年~紀元前300年=新バビロニア時代


 

前400年代

各30°の黄道帯のサインの発明


バビロニアのホロスコープ(合計16のホロスコープが存在)


 

前410年

知られている最も古いホロスコープ

 

前68年

最後のバビロニアのホロスコープ


ギリシア(ヘレニズム文化)のホロスコープ(合計180存在)


 

前71

ギリシャの最古のホロスコープ

 

紀元510頃

ギリシャの最後のホロスコープ

紀元100~170頃

プトレマイオス

紀元150年頃

『テトラビブロス』(四元の書)が書かれた

紀元160年頃

ベッティウス・バレンス

紀元520年頃


最古のアラビアのホロスコープ