五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

人間は宇宙生命の表現者!意義ある生き方、宇宙創造と自己実現

幸福を掴む生き方シリーズ ビジネス・マインドシリーズ
当旧HP2001/12/151---2020/6/17ブログへ再編集して再掲
宇宙創造と自己実現(主に霊脳通信1990年10月号より抜粋)

人間というのは誰でもどうにかして、自分を表現したいと願います。
宇宙には偉大な意志と巨大なエネルギーがあり、無限の知性・智慧・アイディアを内に包蔵し給いて活動を続け、多数の星座・銀河を造り出し太陽系を生み、地球に宇宙生命を宿して分霊した個性ある人間を誕生させました。
そして、人間の営みを通して時々刻々と、アイディアを顕現し給いつつあるのです。
それは実業家・経営者に於いては発展と繁栄や役に立つ企画となり、芸術家・アーチスト・クリエーターであれば魅了する新創作の構想となり、科学者であれば生活の質を高める新しき理論のヒントとなり、技術者であれば便利で新たなライフスタイルを生み出す設計となります。
政治家であれば国民が夢や希望や生き甲斐を持てる将来像と、平和・安心・豊かさの得られる新たな国造りの構想と、聖なる社会の政治・経済・生活と国家間の秩序なり、それぞれが日々の意識・言葉・行為となり、間断なく素晴らしき形をとって展開しつつあるのです。
あなたが、この宇宙生命の無限創造の智慧・アイディアと一体感を自覚した時、驚くべき崇高なる仕事(任務)が常に新しき形態を持って現れて来るのです。
つまり、あなたは宇宙生命を最高に噴出させる個としての自己実現であり、最高の理想を顕現する代理者の中心であるのです。

ですから、自分の生活に幸福や豊かさや安心を実現しようと欲するならば、実際に幸福や豊かさや安心が現実的に現れて来てから感謝するのでは遅いのです。
それは、物事を実現させる「創化の法則」からしても、目標や目的を確り持ち続ける必要があるからです。
日常的な現象世界の潮流や流動により移り変わりの状態に、気が移り心(意識・精神)を捉えられて振り回されていて、心(意識)が時には幸福や豊かさや安心になったり、時には不幸や欠乏や不安になったりして、ふらふらするより他はないのです。
私たち人間は肉体のみならず次元的な多重多層界からなる霊的な実在であり、高次元から観れば完全に運命に対して自己支配権を持っているのです。
その根本を忘れてしまって、環境や境遇とか時々発生する災禍や事件などに振り回されていては、自主的な権利を放棄していることになるのです。

続きは右の「続きを読む」をクリックして下さい。

つまり卑近な例として、週刊誌やSNSなどの記事に載っている有名人とか近所で起こった人々の、噂話しにのみ感応する様な喜怒哀楽の人生では、残念ながら何も得ることは無いと云うものです。
殆どのテレビ放送キー局とか大手の新聞などマスコミ・メディアは、魔手の傘下に支配されていますから様々な番組・記事を始め、彼らに都合の悪い情報・報道を排除したり、報道ニュースなどは意図的に世論操作・ミスリードして、大衆に恐怖・不安を煽り混乱を誘ったり、競争意識や虚栄心を煽ったり邪悪や堕落や失望へと誘惑したり、ワンランク上の上昇志向に駆り立てられて翻弄して、知らない内に浪費させられ欠乏や失望の状況へと陥らせるのです。
最近は同様にネット上の個人的な発言の情報・意見なども排除したり、封殺されたりと削除されつつあり表現の自由が損なわれていると言われます。
これは、闇・魔手の者たちによる計画の一部であるマインドコントロールの陰謀であり、彼らはこれを宇宙にある引き寄せの法則と巧妙に組み合わせている訳で、私たちの日頃の何気ない思考と感情のエネルギーが、類は友を呼び引き寄せることを知っているからです。

彼らがそれらを巧妙に上手く組み合わせて、大衆をより多く欺き操作することで、何かにつけ怒りや恐怖・憤り・憎しみ・嫉妬・恨み・苦悩、悲しみ・失望を抱くようにしています。
それは、彼ら闇・魔手の活力・魔力の根源は邪悪で暗黒なエネルギーであり、自身の生存と維持と暗躍と行動のために、その様な煩悩なるネガティブな次元の低い思考・想念の、穢れた波動エネルギーが必要だからです。
ですから、私たちはもっと自分の人間性を高め進化向上させる様な、価値や意義のあるものに目を向けて見い出して取り組むべきでしょう。
特に霊性に気付き目覚めて精神世界に引き寄せられた人々は、新しい人生観と価値観に気付けて最高に幸いであると言えます。
しかし、地球外知的生命体や高次元からメッセンジャーの存在を信じるほど、意識レベルで十分な気付きを得ているのは比較的に僅かな人しかいなく、霊的に未だ眠っている大衆は多く霊性の気付きから目覚め必要があり、神性への覚醒からハイアーセルフとの意思疎通が可能な人はほんの僅かで、物事や情報に対する真贋の程も分からない有様です。

自我と魅力の表現(同上号より抜粋)

自我とは長い幼少時代の両親(保護者)や周囲の人々などの影響や、その後の環境・境遇と人間関係(友人・仲間・同僚など)の影響、或いは他の様々な出来事や教育などの要因によって築かれたものです。
あなたの自我は、心の力であり自分の指紋の様にあなた「固有」のものです。
自我は個性として思考的な意識であり目には見えないけれど、あなた自身の一部と考えてよく、常に自我の動きを感じ取って健全な自我として立て直すことが大切です。
強い自我の意識は、どの様な制約をも乗り越えることが出来る力を持っています。
自信とか信念や信条は自我を支えるための、要素(ファクター)となる推進力を内蔵しています。

一方、私たちは肉体的にも精神的にもハンディを持つことは不利なことでありますが、その為にその人にとってそれを克服しようとチャレンジする意欲が湧き、一つの目標を持つことで一生の励ましになることもあります。
自我の立直しには、自己に一番合った方法や生き方を見付けて、相応しい生活水準をして暮らし、相応しい心遣いと言動をすることです。
自我は個性的な自己表現させる最良の方法を思案して、自分の能力で探さなければならないものです。
それは「個人的な魅力」を表に現れない分野から撤去させ、表に現れる分野へと転換させてそれに集中することです。

私たちが本来持っている特別な何かの魅力・役割である才能は、人間の本質的な次元の多重多層界の幽体や霊体にある、各チャクラの集合した性的エネルギーが統合的に活動をさせます。
すると、脳の活動は普段の状態での限界を通り越してある特定レベルにまで達すると、秘められた脳力は深層の超意識・ハイアーセルフと繋がり、宇宙に普遍する智慧や創造的な、ある高次のエネルギーを取り入れたり放出する様になるのです。
人はそれをインスピレーションとか「内なる声」とか、霊夢とかヒラメキとか呼んでおり、高次元の神界や仏界から受動的で敏感になった心(顕在意識)に、時折ですが貴重な指針を与えてくれるもので、話題の「チャネリング」も同類でシャーマンもそうです。

天才は右脳で直感的に物事のイメージパターンを見い出し、そして左脳でそれらのパターンを三次元的に表現する科学的な知識という、研ぎ澄まされた脳力から成り立っていると言われています。
ある事物に対して一心に意識を集中し、イメージを描いて思念・想念・祈りを適度に働かせると、確かに潜在意識を通して関連する様々な知識の断片を、見えない世界の存在から呼び寄せることが出来るものです。
それらの集まった情報を科学的に秩序立てて組合わせると、今まで見たこともない新しいパターンを形成・構想させてくれるものなのです。
それは自らの人生・境遇とか社会・世界を変えることの出来る、大いなる創造する力の秘密でもあります。

個性の表現、意義ある生き方(霊脳通信1989年6月号より抜粋)

自分が本来持っている本当の個性・才能を発見して充分に生かし切る時、その行為が人類への貢献や奉仕となるのです。
それぞれ自分に割り当てられた自分にしかない役割の、特有の個性・才能を努力しベストを尽くして完全に発揮し、世界・社会の人々に与える時、他の人々に対してその行為が侵害とはならず共存共栄となるのです。
つまり、至上を目指すナンバーワンではなく、唯一のオンリーワンが大切なのです。
しかし、闇・魔手はオンリーワンという言葉・思考を嫌います
どの様な事物に対してもそうですが、一つの問題に対する解決法は必ずしも唯一つのみには限られていないもので、視点や観方を変えると別な方法・糸口が見えてきます。
私たち人類は全ての個性ある心(意識)・魂として、様々な分野に於けるあらゆる問題に就いて様々な観方があります。
私たちの周囲に起こる一つの事象に対しても捉え方・解析・分析し、検証・診断・把握・客観性などの認識は各自に異なります。
ですから、問題のゲシタルト(形態、全体)に対する、ベアレンス・ファクター(誘意性の要素を意味し統一連続力を持つ)の設定が違ったものとなり、各自で他者とは異なる別々の解決方法を見い出すことになる訳です。

例えば、一つのモデルに対しても、全ての画家はそれぞれ異なる面を捉えて違った表現法を以ってして、表情の異なる絵を描き上げるのです。
それなのに、自分に起きている問題・事象を人生相談の色々な先生方に持ち回って相談して、その回答の内容が各々違うと批判し文句を言うのです。
そして相談者は、各々の先生の教えのどれかが間違っているかの如く思い違いをして、一部の先生の回答・アドバイスを間違いであるかの如く言い触らすのは、それこそ一層の間違いであるのです。
その様な人は往々にして、自分の気に入ったり望んだ回答をしてくれる先生を見い出すまで、彼方此方と相談所を尋ねて歩くものです。
それは本当を言うと自分の意志や言動の共鳴者を求めて、これから遣らなければならない行為に対して不安・心配から、責任を他の人に転嫁しょうとしている訳です。

自分に与えられた義務とかカルマは、それを勇気を持って決意し遂行することによって、権利を得て消えていきます。
それから逃げることによって決して免れることは出来ないものです。
避けたり逃げた義務やカルマは、恰も支払われない借財の如くに、その人の潜在意識に絡まり付いて何時か執行されます。与えられた環境や境遇も同じことで、これは個人のみにあらず企業・団体・国家など組織も同様になります。
その時期や立場に於いて完全に尽くさないで逃げたら、また、別の処へ行ってもその人の心・魂と同程度の対人なり状況が現れて、同じ様な環境や境遇が与えられることになるのです。
これによって与えられた義務やカルマに心から取り組み乗り越えれば、その人の人生で体験する学習である、一つの試練・課程が終わりを迎えます。

この世界は自己表現の場でありステージでもあります。
その実現のために、宇宙の大生命より無限の供給と調和や愛が充ち満ちて溢れています。自己の内部に播かれたる普遍的にして個性的な天分・役割を自ら表現した時、その人は心の奥底から達成感と悦びと生き甲斐と満足感を感じるものです。
ところが、自己表現を遂行するために、他の人の自己表現を妨げたり、他の人の自己表現を横取りして自分の表現としたり、他の人を傷付けたり害したり苦痛や不幸などを、与える様なことをしてはなりません。
何故なら、この世界を表現している潜在する深層な「奥なる大生命」は全てのものが一体であり、互いに侵し合うことなく共存共栄と共生の調和した、補い生かし合いの世界であるからです。
これが人智の善悪を越えた「実相の世界」である普遍なる「秩序」であるからです。
自分の都合だけで、他者を侵す様な形に於いて事物の成就を求めるならば、それは実相(天意)の秩序(法則)と相反することになります。
ですから、その人の心(意識)は実相の世界である秩序と波長が合わず、折角と願望し求める事物が得られないことになるばかりでなく、実相と自己との間にギャップや歪みが生じて離れ、自ら不調和な状態が現れて色々と悲痛や辛苦や苦悩などの様な状況になるのです。
そのために私たちは常に真理を求めて学び、それに従わなければならない訳です。
それと言うのも、私たちは日々の雑事や享楽に感けて心(魂)の油断から、楽な道の利己的な生き方に成り勝ちだからです。

この様なことを説明して紹介している私も、多分に身勝手な面があったり気侭な性格もあり、何方かと言うと怠け癖や投げ遣りな面もあり、思った様に人間的な霊性の進化向上は進んでいないとも言えます。
一方では、何が何でもと身構えていると心身共に疲労困憊しますから、気を抜いて気楽に遣って行こうやと無理をしないで何とか継続することが大切なポイントです。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「真の幸福を掴む心の法則」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事