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日航123便墜落事故の真相に迫る書---遺物は真相を語る

【森永卓郎氏書評】1985年日航機墜落事故の真相に迫る書
http://news.livedoor.com/article/detail/15238508/
『日航123便墜落 遺物は真相を語る』/青山透子・著

米軍は当初から墜落場所を把握していて、救援機まで飛ばしていたのに、日本政府が救援を断っていたことや、墜落場所を知らなかったはずの自衛隊がすぐに現場に入っていた。
日航123便を2機の自衛隊ファントム機が墜落現場まで追尾していた。
著者は自衛隊の訓練用非炸薬ミサイルが、誤って日航機を撃墜してしまい、証拠隠滅のために火炎放射器で現場を焼き尽くしたのではないかとした。
本書では、遺体の状況を厳密に分析したうえで、上野村に残された機体の残骸を最新の化学分析を行うことで、ジェット燃料以外の強力な燃料で焼かれたことを証明したのだ。

他の情報では8月12日の日航ジャンボ機墜落は、某企業で国産のTRON-OS開発者チームと、都市開発に絡む地権者を抹殺が目的かと、同様に搭乗者の持つ利権などが目的かとの憶測もあり、事故ではなく犯罪事件だろうとも言われます。
つまり、撃墜した証拠隠滅の時間稼ぎに墜落場所の位置が確認出来ないと偽って、秘密裏に夜の間に火炎放射器で現場を焼き尽くしたと考えられます。

当時、三菱地所は東京駅八重洲口周辺の土地を買い占めていた。
業転(業者間転売)=小佐野と三菱は、菓子メーカーの不二家が所有する銀座周辺の土地、また蛇の目ミシンの所有する京橋付近の土地を買い占め、東京から日比谷までの広範囲の地域を業転=ロックフェラーの日本中枢拠点にしようと計画していた。
日航ジャンボ機が墜落し、乗っていた不二家の社長が死亡する。
恐怖に襲われた不二家経営陣は、日本総支配人の小佐野=ロックフェラーに銀座周辺の土地を全て売却した。

事故当日、空中戦の演習を行っていた米軍練習用戦闘機から事故が起こったとの緊急無線が入り、一番近くを飛行していた私のU130輸送機が事故現場へ救出のため急行した。
何時もの様にアメリカ空軍の練習用戦闘機が、日本の民間旅客機をターゲットにミサイル発射のシミュレーション演習を行っていた所、安全装置が解除されている事に気付かず、実弾ミサイルを日航ジャンボ機に命中させてしまった、というのが無線の第一報の内容だった。
この空軍中尉マイケル・アントヌッチは、事故後に日本政府から奇妙な事に『緊急の救助のために現場に行かなかった事、第一報の無線も聞かなかったと発言するよう要請された』と語っている。

同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が、事故原因と推定されている。
別の情報では実弾ミサイルが垂直尾翼に命中して破壊され、それにより圧力隔壁の破壊へ繋がったとされます。
つまり、フライトレコーダー・ボイスレコーダーを根拠に、外部破壊説として垂直尾翼の破壊が先に起き、これが圧力隔壁の破壊を齎したとする「外部破壊説」を、主張する航空関係者がいたのです。

1981年にIBM社はパソコンとしてCPUに8088を搭載した[IBM-PC]を発表しました。
一方、ビル・ゲイツ氏はロックフェラーの肝入りで、マイクロソフト社を設立してIBM社の依頼で、MS-DOSを開発して搭載されました。
1985年にPC用の「Windows」を開発し発表しました。

東大の坂村健教授はアイコンによるGUI操作のTRON-OSを発表されて、「OSは一企業が独占すべきではない」と無償公開して、1984年6月にプロジェクトを開始しました。
その考えから、文部省は「教育用コンピュータの標準化」に、このB-TRON仕様のパソコンを使用すると仄めかしました。
その発表が災いして、当時、日米は通商ハイテク摩擦で衝突しており、1989年に米国の反感を呼んで抗議と「スーパー301条」という、警告と圧力でTRONパソコンが頓挫したのは惜しい限りです。
未だ市場に登場もしてないパソコン製品に対して過剰防衛に出るとは、開発して間もないCUI操作のWindowsへの脅威になると感じたようです。
Windowsは3.1になるまで、酷い代物で精通してないと使い熟せなかったと知人は言いました。
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