能力開発シリーズ
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2020/10/8「潜在能力の発現と開発カリキュラム 瞑想と悟りの段階と危険性」があります。
能力開発を目指す方への進言(主に霊脳研究1985年4月号より抜粋)
当研究会へ、やすらぎコイルの問合せや申し込みのあった方の中には、目的や動機として潜在能力の開発を実践して超(霊)能力等を、何とかして身に付けたいとありました。
そして、その力を自分のみの名誉や地位とか、成功、富豪等の立身出世(開運?)、女性では素敵なプロポーションや美貌を獲得の為のみに使いたい、と思っている方を霊感的に多く感じられました。
しかし、真に能力開発を目指すのであれば、その様な目的や動機の考え方は利己的であり、本来は逆方向であるのです。
それは正しい超(霊)能力が身に付かないばかりか、そのまま知らずに進めばその人は不幸になってしまいます。
何故なら、この世の人間界(霊界も含む)は「宇宙的な法則の因縁=原因結果の法則=因果律」が支配しているからなのです。
私達の人間が作った法律は完全ではありませんから、悪知恵で何とか通り抜ける事ができても、この因果律は誰であろうと通り抜けることは不可能で、生まれてより今日まで(過去世も含む)の精神作用(毎日の心使い)と、言葉遣いと行為(行い)の累積について、必ず何時かはそれを清算・是正しなければならない時期がきます。
私達は何かの計画を立てて実践する時に、本来それは正しく善い目標(建設的な目的や動機)と、善い方法でなければならないのです。
ですから、自分や、そのグループと関係者のみでなく、周囲の人々及び世間の多くの人々の幸福や健康とか繁栄を願う様な、三方良しの精神で目的や動機と善い方法であれば、その目標は達成させる事が出来るでしょうし、その人が成功と同時に幸福にもなり得る事が可能になります。
世間一般の人々は、成功と幸福は同じ様な意味に考えられておりますが、成功とは幸福の内のごく-部の項目に過ぎないのです。
人間が本来持っている超(霊)能力を開発する事によって、その超(霊)能力で先ず自分の運命や使命・役割を知る事(自覚)が大切でしょう。
それによって自分の今後の歩むべさ道(何を成すべきか)が自ずと分かって、日常生活が正しい方向へと進む事(実践)により、結果的に開運の人生と成るのみでなく、その人の家運も良くなって来るのです。
世間一般には我力で成功(地位や名誉とか財産)した為に、健康を害したり短命になったり、家族が愛想を尽かして離れ子孫も居なくなり、老後を一人で寂しく生活している方々をよく見掛けますが、真の能力開発とは、自らと家族や周囲の人も幸福となる為に全てが、円満(円滑)に進んで行く事なのです。
霊能開発の危険性について(霊脳研究1985年8月号より抜粋)
最近、巷に出廻っています書物などを始め、潜在能力の様々な開発法について全国の興味ある人々でも、多大な関心が高まって来ております。
心霊作用や心霊現象については、超(霊)能力の開発を目指しておられる方々を別として、一般的な瞑想時のアルファ(α)波誘導による脳力活性化でアイディア開発や、学習能力の加速法とか、心療内科のように精神的な安定を求めている方々には、元来の霊媒体質者は別として、通常の使用法によれば不成仏霊等の憑依作用は先ずあり得ないと思われます。
超(霊)能力の開発を目指しておられる方々や霊媒体質者は、何も本器(やすらぎコイル)のシータ(θ)波誘導を用いなくても、心霊作用や心霊現象は日常的に起こり得ると考えられます。
但し、この様な人々が自らの霊的な能力をさらに強めるように努力することは必要でしょう。さもないと、もし自分自身が何らかの切っ掛けで強い不成仏霊等に憑依された場合に負けてしまうからです。
これについては以前に、私の所へ修験者と名乗るある方より貴重なお手紙を頂きました。
その内容は、ある霊山と言われる山中に篭もったりして、「約10年前より超(霊)能力の開発を自己流に実践していたのですが、始めてから数年して強い不成仏霊等に憑依されて以来からは、自分自身さえも時々分からなくなったり、思考力や判断力さえも低下して、日常生活さえ営みが困難となり、何も手に付かず数年間はぶらぶらと過ごして来ました。そして、最近になってやっと自分を取り戻すことが出来たのです。」と、書かれていました。
この他にも、これと類似の手紙が数通も届いておりますから、超(霊)能力の開発を目指しておられる方は十分に注意する必要があるでしょう。実践中は時折、霊能者の所へ相談に訪れて心身の状態を見てもらうことも大切でしょう。
超能力開発の可能性とリスク(霊脳研究1988年4月号より抜粋)
超能力の開発と発揮、それは誰でもが憧れることです。しかし、本当に誰にでも出来るものであろうか?。
人間の誰にでも秘められている潜在能力を引き出して自在に活用する。
ところが、世の中にはそれが出来る人とできない人とが存在するのです。その可能と不可能の差は一体どこから来るのであろうか。
潜在(超)能力の開発を可能にするために考察してみます。
それは人間性から見ると、人それぞれが持つ力量(器)の差によって決まるようです。
つまり力量(器)の少ない人は超(霊)能力の開発を望んでも少々無理だということのようです。それではどうすればよいのでしょうか。
超能力を身に付けようと思ったら先ず力量としての人格(霊格)、つまり品性(霊性)を向上して高めることから始めなければなりません。それは、性格・人柄を指すこともあります。
昔から、人間のできた人とか、高徳の僧侶などとも云われている人のことです。
このことから言えることは潜在能力の一部であっても、より多くの能力を獲得したり発揮させるためには、基本的な人間の人格・品性を向上させることが必要になるわけです。
そうしなければ、真の意味に於いて求める能力は身に付かないばかりか、例え能力が身に付いても人格・品性が低いために思考(発想)力は限定され、人間智(頭脳・煩悩)から出たところの利己的な欲などにより、潜在能力を使用する目的や方法は不純なものとなり、結果的には不幸に陥ってしまうことになるわけです。
それは、学歴・学力や知識、技術などのことについても同様に考えられます。
ただ単に名門といわれる一流の大学院・大学や専門学校などだけを卒業したところで、本人の人間としての基本的な人格・品性が出来てないと、様々な面で思考する内容が善いもの(建設的、貢献)でなくなり、社会に於いて役に立たず出世は望めなくなります。
人間にとって大切なことは、学力、知力、金力、権力などを一心に追い求めるのみではなく、根本的な人間性教育に重点を置、正しい精神から正しい性格が生まれ正しく善い人格を形成し、品性をより高めることでその人が本来もっている秘められた能力を、充分に引き出すことが出来るのです。
それが世の中への貢献となり本当の安心立命と幸福への近道になるのです。
シータ波とリスク
シータ波での使用、つまり潜在能力の開発、別の言い方では超能力とか霊能力の開発に於いては必ずと言ってもよいほど、某のリスクが付きものなのです。
それは、ある種の超能力を身に付ける上で、誰でも体験しなければならない過程・事柄があるからです。
そのリスクとは「魔界を無事に通過しなければ一人前になれない」ということです。
ところが、その大切な修業の過程を無事に終了できる人とできない人がいる訳です。
つまり、魔界を無事に通過した人は勇者となり得て、超(霊)能力を自在に発揮することが出来るわけです。
しかし、一方では通過できなかった人は不成仏霊や悪霊などに憑依されて人格を失ったりして、精神に異常を生じることもしばしばあるわけです。それによって真の霊能力が付くものか、付かないものかの差が生じるのです。
それでは、そのように個別的な能力の差はどこから生じるのでしょうか。
このような問題を考えて見ることも、能力開発の実践を効率よくしてリスクも少なくしたり、無くなるように正しく行う上で大切な要素なのです。
一般的に行われる肉体的の修業に於いては、肉体的な精神感覚が減衰するのと逆に、霊的な感受能力(一種の霊媒状態・変性意識の状態)というものが敏感になり、その結果、低級霊や邪霊なども色々と憑依して来ることになります。
その場合に正しい指導者が傍に居なかったり、或は修業者自身に正しい強力な守護神などが居ない場合には、邪悪霊とか迷っている霊に煩悩的に扇動や示唆され騙されることがあります。
真の超能力がスムーズに身に付くか、付かないかの差、それは前述した人間性のそれぞれ持っている人格・品性のレベル的な違いから生じるのです。
別な言い方では、地上生活における霊魂の発達の程度に応じて、魂・霊的な段階のレベルとエネルギーパワーの差が、夫々に結果の違いとなり現れるのです。