9月1日の夢、何でも自動車レースとかが開催されると言うので見物に出掛けました。
丘陵地に近い会場に着くと広い場所の中央に、真っ直ぐな整備された道路が長く伸びていました。
右手の遠方にスタート地点があり、セダンの様でもあり普通に目える自動車が一台のみ準備を整えていました。
私は一台だけで何の変哲も無い普通の自動車レースとは風変わりだと思いました。
暫くすると自動車レースが始まり、その一台が目前の道路を走って行きました。
その時、どう言う訳か数人の男性たちが走っている自動車を目掛けて近寄り、我先にと車体に触れようとしました。
傍にいた見物の男性は「これは男性たちが走っている自動車に何とか飛び乗り、運転をして途中にある分岐点で右に曲がって到着点へ行ければ優勝だ」と話していました。
しかし、誰も自動車に飛び乗ることは叶わず真っ直ぐに進んで行き、左手の遠方にある広場まで行き着いて止まりました。
暫くすると、その自動車はUターンして戻って来ましたから、再び男性たちが走っている自動車を目掛けて近寄り、我先にと車体に触れようとしました。
しかし、再度の挑戦にも係わらず、誰も自動車に飛び乗ることは叶わず真っ直ぐに進んで行き、右手の遠方にあるスタート地点へ戻って行きました。
夢から覚めて考えてみると、これは、闇・魔手たちによる人類を道連れにする人口の削減計画と言う、陰謀・目論見・企みは暴走をしている状態を意味して、最早、人間たちにより誰も止める事は不可能と云う、有様を指して示していると感じます。
他の解釈では、富裕層たちによる金融・経済の投機マネーは、鉱山開発とか都市開発とか様々な産業やプロジェクトなどを始め、株式とか商品先物など証券市場や投資家や各企業を巻き込んでいるのです。
それにより、飽くなき貪欲と穢れで暴走をしている状態を意味して、もはや人間たちにより誰も止める事は不可能と云う、有様を指して示していると感じます。
しかし、ここに来て、神仕組みが動き出して高次元の波動により、これまでに蓄積して来た虚構な業・カルマは浄化の時期に入り、清算される時期の審判による受難で内部より崩壊して自滅する事態になり、暴走は漸くと止まるでしょう。
この自滅する事態は自己処罰による方法であり、他者からの圧力とか行く手を阻む妨害に遭ったり攻撃とかの作用では無いことです。
つまり、敵・脅威は外界に在るのではなくて、自分の心の内(潜在意識)にあるのです。
外界に現れる世界・世の中・社会の情景・成り行き・事象は、全てに私たちの心・魂や思考・意識・感情の中に存在して、根本的な原因があると言えるのです。
丘陵地に近い会場に着くと広い場所の中央に、真っ直ぐな整備された道路が長く伸びていました。
右手の遠方にスタート地点があり、セダンの様でもあり普通に目える自動車が一台のみ準備を整えていました。
私は一台だけで何の変哲も無い普通の自動車レースとは風変わりだと思いました。
暫くすると自動車レースが始まり、その一台が目前の道路を走って行きました。
その時、どう言う訳か数人の男性たちが走っている自動車を目掛けて近寄り、我先にと車体に触れようとしました。
傍にいた見物の男性は「これは男性たちが走っている自動車に何とか飛び乗り、運転をして途中にある分岐点で右に曲がって到着点へ行ければ優勝だ」と話していました。
しかし、誰も自動車に飛び乗ることは叶わず真っ直ぐに進んで行き、左手の遠方にある広場まで行き着いて止まりました。
暫くすると、その自動車はUターンして戻って来ましたから、再び男性たちが走っている自動車を目掛けて近寄り、我先にと車体に触れようとしました。
しかし、再度の挑戦にも係わらず、誰も自動車に飛び乗ることは叶わず真っ直ぐに進んで行き、右手の遠方にあるスタート地点へ戻って行きました。
夢から覚めて考えてみると、これは、闇・魔手たちによる人類を道連れにする人口の削減計画と言う、陰謀・目論見・企みは暴走をしている状態を意味して、最早、人間たちにより誰も止める事は不可能と云う、有様を指して示していると感じます。
他の解釈では、富裕層たちによる金融・経済の投機マネーは、鉱山開発とか都市開発とか様々な産業やプロジェクトなどを始め、株式とか商品先物など証券市場や投資家や各企業を巻き込んでいるのです。
それにより、飽くなき貪欲と穢れで暴走をしている状態を意味して、もはや人間たちにより誰も止める事は不可能と云う、有様を指して示していると感じます。
しかし、ここに来て、神仕組みが動き出して高次元の波動により、これまでに蓄積して来た虚構な業・カルマは浄化の時期に入り、清算される時期の審判による受難で内部より崩壊して自滅する事態になり、暴走は漸くと止まるでしょう。
この自滅する事態は自己処罰による方法であり、他者からの圧力とか行く手を阻む妨害に遭ったり攻撃とかの作用では無いことです。
つまり、敵・脅威は外界に在るのではなくて、自分の心の内(潜在意識)にあるのです。
外界に現れる世界・世の中・社会の情景・成り行き・事象は、全てに私たちの心・魂や思考・意識・感情の中に存在して、根本的な原因があると言えるのです。
それは、04-17「Project GAIAの宇宙経綸は闇と虚構は清算し終焉の手筈が整い目処が付く」とか、07-23「7月18日の夢、臨時に掲げた看板は本格化する最後の審判の予兆」で、紹介しました事柄とも関連していると感じます。
愈々と破壊の経綸が加速されて最終的には「最後の審判」が訪れることになる模様です。
つまり、魔手たち貪欲でネガティブな者は現世で遂に始まる断末魔に巻き込まれて、受難に逢い清算に伴う作用で命を落としたり、貪欲さと権力や財力は削ぎ落とされて瓦解・自滅する時期に入ることです。
地球上で猛威を振るっている様々な災害や災禍や病禍は、人類が宇宙の霊性な進化の次なる上位の段階に入るのに必要な清算・是正に伴う、表面的・現象的に現れる仮相・虚構な部分で負カルマの自壊作用、浄化排毒作用と理解して下さい。
高次元へ進展するに従い、法則の秩序と摂理に調和して適合する存在のみが、移行することが許されて可能だからです。
それにより、社会の様々な虚構なシステムにおける基盤が揺らぎ出して、自滅の瓦解・崩壊へと進み古いシステムを、潔く手放さざる状況に余儀無くされる時期が来て、ほぼ役目を終える事態を告げる事になるでしょう。
人類の度重なる分離・対立抗争・挑発・脅威で情勢の緊迫とか、有事・政変・テロ事件により見境のない殺戮と破壊を始め、資源と食料の争奪などは野蛮かつ愚劣で心(精神)は腐敗して、虚構な社会システムは行き詰まり遂に終焉へと向かう時期に入ります。
現世に住む人間は三次元と云う制限された不完全な不良星人ですから、日々の暮らしで様々な誘惑やら他者との競争や保身から損得の欲望や感情が先走り、煩悩で理性を見失い勝ちで様々な過ち・罪・不正を犯すものです。
人生の道を見誤ると物事が順調に進まず自らや他者との確執や葛藤を生むのです。
この世は五感で認識すると、リアリティーに見えても所詮は心・意識の作用が投影・反映として生じて創り出した、夢や幻の如く具現化し表現された姿であり仮相でもあり、借り物でもあり虚構なカルマが流転する次元であります。
つまり、皆さんが自らの眼や耳を始め五感で認識している世界は、幻影・幻想が現実・実体なのではなく幻影・幻想を創りだした意識・想念が実在しているだけです。「皆さんが所有している力の源は皆さんの精神・意識の中に存在しています」。
現象界の人生(環境、境遇)は心の影であり、カルマ・因果が流転する世界でありますから、自らが意識を高めて品性・霊性のレベルを向上すれば、世の中で何が起こって来ようとも波長が合わずに自らへは悪影響が及ばなくなり、静かで落ち着いて知的な観察者になることも可能です。
この様に、現世に住む人は夫々に千差万別の運命を持ち、複雑なカルマを背負っていて生活していと言えます。
ネガティブで膨大なカルマの原因は、人類の一人一人という小さな個人の利己的(煩悩)な貪欲を始め、怒り・恨み・憎しみ・威圧・呪い・嫉妬・疑い、咎め・不満・虚栄・失望・悲しみ・溺愛・執着・執念などの、意識・精神作用と言動から起こり蓄積されます。
世の中の大多数の人々は見える世界だけに生きており、差し迫る緊迫・危機も分からなく仕事や家庭や人間関係から生じる鬱憤を晴らそうと、自分の感情・欲望(煩悩)の赴く侭に爆発しキレたりします。
文明の利器にとっぷりと浸かって振り回され自らを見失ったり、楽観的で呑気に馬鹿騒ぎをして気を紛らす価値観の生活に溺れて、放蕩と享楽や遊戯に生き抜くのが喜怒哀楽がある最高の人生だと思っている、愚かな人々で溢れているのが現状です。
人々は自己の人生観に伴う内面を顧みず、外界や他方の光・輝き・煌めき・富・幸福を求めて、現象の物質的な『学力、知力、体力、金力、権力』だと、間違った目先の「力」であると考え、これらの獲得を目標にして努力していると言えます。
精神世界に気付いて霊性に目覚められた皆さんは、金品の多寡とか儲かったとか損をしたとか、景気が良いとか悪いとかで感情的に一喜一憂するのではなく、人格と品性・霊性の飛躍を期待したいものです。
人間の霊的な次元の多重多層界に存在する、神智学で信じられていた4層の「不可視の脳(深層意識)」や神道で信じられていた4魂には、不思議な感覚器官が存在して超能力を発現するのに不可欠であり、不可視の脳にある「アンタスカラーナ」は夫々のボディ階層(次元領域)に応じた、超高速度な念波が出入りしています。
つまり、老子の言葉にある「天網恢恢疎にして漏らさず」の諺通り、「お前らの遣ってる事は全部まるっとお見通し」だと言えて、仏教の「帝釈天の網」と同じなのです。
昔からの言い伝えで「因果は巡る」と言われる所以で、大衆は「お天道様は見ているぞ」と言い自らを戒めて、経験的に「因果応報」とか「因縁」と言い伝えられて来ました。
モラロジーでは「因果律」と云われて科学的に説明をしています。
悪事を働いた人には「年貢の納め時」とか「引導を渡す」と言ったり、近年では「ツケが回って来た」とも言われ、人は「因果の法則」を通して、自己の行いの結果を齎される事により、自己の正しい生き方を学び知り教訓としているのです。
煩悩の欲求は心の影・反映の世界を実在・現実だと認識して勘違いした、仮相の意識から来るところの「妄念・妄心」から始まりますから、意識・感情の在り方の重要さと方向性に気付いて心(魂)の眼を覚ますことが必要です。
人は日々の体験学習で理解出来ないと辛苦の試練と体験と言う受難に逢い、過ちを積み重ねて試練から教訓を学び気付き顧みますが気付かぬ者は何度でも、自己の意識・行いの結果が巡り来るものです。
人は誰でも、心底の潜在意識や魂に在る自らの良心(ハイアーセルフ)に基づいて魂的な罪悪感・罪の意識から、人の道(自然の法則)に対して適正化で自己修正・是正の働きが起きて、自らを裁き「自己処罰の浄化排毒で清算」をする時期が何時か必ずに来るのです。
自己処罰とは魂の非難であり、表面の自分は幸せや豊かさや健康や安心を求めますが、良心は罪悪感から意に反し思いも掛けない誤算を生じて「己に背く」如くに、知らない内に自らを傷つけ害する方向へと働くのです。
人の道を正そうとする自然な働き・反動作用で、自己回帰・循環・平衡の現象や働きであり、潜在意識は負のカルマを解消させる清算に伴う、平衡や適正化の作用が動き出します。
それは、罪・規律を犯した者は潜在意識が必ず粛清に向かう「自己処罰」を選択して、受難・災厄を引き寄せて無意識の内に罰を受ける様に行動するのです。
日常の事象で偶然はありません。必然的な出来事が起きるのです。
利己心は、深層心理学で説く内在するハイアーセルフと葛藤する「自己破壊」と、因果応報により浄化と清算の作用に伴い「己に背く」が如くに「自己処罰」の感情を含み、受難・災厄・災禍・戦禍を無意識の内に引き寄せます。
釈尊は「一切の苦しみは無明から起こる」と説かれましが、「無明」とは人生を正しく生きる術、つまり知る智恵(真理、心の法則とか自然の法則である摂理と秩序)を持たないことを言うのであり、現代語では「無知」とも言い端的に言えば、人生観と生き方に対して「阿呆」だとも言え、愚か者だと言えます。
ですから人生には、真理(倫理)に基づいた生き方や人生観を養い、確りした正しい心の指針・羅針盤を持つことが必須となります。
これらの虚像・幻影・幻想を他の説明とすれば、私たちが住む物理的な現世とは、仏典にある「般若波羅蜜多心経」の主題である、「色即是空・空即是色」の言葉通りの意味を持つ世が、私たちの精神・意識の集合・集積力が具象化した反映として、現象的に展開された事象・出来事を認識している、世界・社会・情景・環境・境遇なのだとも言えます。
私たちは審判の日・大艱難時代を生き抜くのに当たり、本当に人生の指針となる真理を知っているか知らないかで、事象に対する受け取り方を始め思考内容や判断が違ったものとなり、運命の分かれ道となってしまうのです。
心(魂)で感じて直感を信じて下さい。心(魂)の穢れである古いカルマは浄化して清算しましょう。当ブログのメッセージ・事柄などで学び光明と繋がり、「縁なき衆生・魂の赤ん坊」とならない様に実践しましょう。
人は真理を学び実践をして心・魂的に体得しなければ何も自己の変革はありません。
私たちは賢明になって、今まで通り習慣的に利己的な煩悩(心・感情・欲望の赴く)の侭に生きるのではなく、思い切って心機一転することで観の転換を行ない、真理を学び正しい人生観と生き方により高尚で利他的な思想・想念を取り入れて、日頃から実践する様に努力する必要があるのです。
利己的な煩悩から来る貪欲と穢れと驕りとか憎しみや恨み怒り悲しみを始め、虚構な金品や地位・名声・権威・利権・溺愛に振り回されず、真実の価値や人との愛や繋がり絆などの利他に気づき、過度の依存や執着・未練を潔く精神的に断ち切ることから始めます。
私たちは誰でもが霊性への気付きから目覚めと、さらに神性への覚醒と自覚を促され、ネガティブな感情や誘惑から来る暗黒面の克服をすることです。
真理に叶う様により高次元の存在と意識・心の波長を同調させ、感謝・愛念・平和・利他のポジティブな言動の繰り返しにより魂は純化し浄化されて、やがて身体も同調して上位の階層領域帯へ移行が出来る様になれる訳です。
精神世界で活躍される皆さんは過去から続く負カルマの浄化排毒による、清算に伴う粛清・粛正の受難を受け入れて克服し、真の人間に新生するチャンスを与えられた神仕組みに感謝して精進しましょう。