五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

核戦争と核実験と原発・臨界事故と3.11の大震災に関する霊夢と事柄 1/3

当旧HP・掲示板で掲載した項目を幾つか纏めて見ました。

昭和50年頃の夢、無気味な街と名古屋駅前に完成した[JRツインビル]から地球を脱出?
(「霊夢体験回想録」より抜粋)

季節は初夏で良く整備された道路を自動車で走っておりました。
他の自動車は全く走っておらず、道添いの店舗のショーウインドウには商品は展示されていますが、店内も歩道にも人影は全く見られません。
都市の駅前に着くと久しぶりに訪れた街のそこらを歩きました。
ビルが立ち並ぶオフィス街と誰も居なくなった歩道と、ただ広い車道に降り注ぐ強い日差しの太陽光線が印象的に残っております。
何故か自動車も人影も全く見えず、この街は誰も住んでない様に感じられます。
地下街の様子を見ようと階段を降りました。店舗の商品は其の儘でやはりそこにも誰もおりませんでした。
けれど、ほんの数日前まで大勢の人々がひしめき合いごった返して居た様な、人の匂いがまだ漂っています。
地下鉄のホームへも入って行きました。案の定、誰も見受けられません。勿論地下鉄も動いてはおりません。

しかし、一瞬、大勢の人々がひしめき合い慌ただしい、ラッシュアワーの様な躍動する映像を見た様でした。
私は唯、沈黙と静けさの言い知れぬ寂しさと、不安感に包まれた時間が過ぎて行きました。彼方此方の様子を見てから暫くして地上に出ました。
そして、街の中を歩き回りました。街の感じもほんの数日前までは、大勢の人々が往来し生活をしていた様な印象を受けます。
何故か唯、人だけが急に居なくなったという感じで、しかも殆ど何も持たずに何処かへ行ってしまった様なのです。
私はとても悲しみの気持ちが込み上げて来るのを覚えました。それは誰かに別れなければならない時の様な気分でした。一方では何か判らないけれど、新たな世界への旅立ちという気持ちも入り込んで、複雑な気持ちでもあります。



2000年春に完成した、名古屋駅前の[JRツインビル]と思われる高いビルの屋上から、小さな浮上する乗り物に乗って都市を出発したのです。
暫くすると乗り物はさらに大きな乗り物(巨大な宇宙船・スペースシップ?)に入りました。
内部は大変に広くて大きく一つの都市の人々が全員乗れる位で、普通の生活が出来る様になっています。
それは速いスピードで上空へと上がり雲よりも高くなり、下の方に自分の住んでいた街が小さく見えてきます。とても悲しくなりました。
さらに地上から遠ざかって行き日本列島の全体が小さく見えて、やがて人類の母なる地球を後へと脱出して旅に出たのでした。その後、この街の辺りは閃光を放ち一瞬にして壊滅するのを目撃しました。
その時、地上には十数年間は住めなくて暫くは何処かの惑星で、暮らすことになる様だと感じました。言い知れぬ寂しさが込み上げてきました。
私たち多くのメンバーは会議室に集合して、次なる計画と任務を知らされました。
夢から覚めて、誰も居なくなった地下街や地下鉄の駅くらい無気味な感じはありませんでした。
この夢を見た後に、この出来事が起きるのは私が50才を過ぎてからであり、遅くとも60才までにあると感じていました。
そして、[JRツインビル]建設計画の発表が新聞であった時、いよいよ始まったかと思うと共に言い知れぬ不安と、恐怖感と悲しみが込み上げてきたことを覚えています。
その後、名古屋に出掛けて[JRツインビル]を見る度に、この夢を思い出し言い知れぬ寂しさと悲しみが込み上げてくるのを覚えました。
2002年になって、数年後には駅前に別の高層ビルを建設する計画があると新聞で発表がありました。

この夢が意味するであろう、最終戦争であるハルマゲドンを暗示するような出来事は、光の者たちによる活躍で修正されていれば回避されて起きないかもしれません。
しかし、局地的な大災害や戦争は回避できません。
2001年4月にこの夢の事を考えながら眠った朝に、この出来事(核戦争)は未だ消えていないと感じると共に、6月に起ると浮かびました。但し何年かは分かりません。
予言にあるような最終戦争である世界の壊滅的な、ハルマゲドンは何とか回避されるようです。

核戦争の勃発、暗示とトリガー(当旧HP 2000/2/27)

人類意識の如何によって最悪の場合は、某国の軍事クーデター?かテロ事件が引き金となり、仲裁に介入したアメリカ大統領の決断ミスか話し合いの決裂かで、戦争状態へと引き込まれるのか?。
或いは、テロリストが某国の軍事核ミサイル施設をハイジャックして、最初に米国は数カ所で主に中部~西部?を破壊するのですが、アメリカ大統領は耐えています。
その後、米国を始め同盟国や賛同各国の報復とテロの反撃で順次に米国の主要都市と、欧州は数カ所?、ロシアは数カ所?、日本は2~3カ所?、アジアは数カ所?、その他不明な局地的には核戦争の勃発もあり得ると予感しています。

この核戦争(2004年後半以降で修正により2,3年後か?)では、米国は国力が弱くなったのか躊躇したのか、慎重になり過ぎて報復の反撃にもたつき、半年以上は続くと思われます。
それにより核の冬とまでもいかないにしても、異常に寒冷した気象状態の到来と放射能汚染を始めとして、災害なども多発して2008年後半頃?より地上には数年間は通常では住めなくなるように感じます。
核戦争が終わった後の世界は地獄のような恐ろしいビジョンでした。
そして漸くと、彼等はその愚かな自らの行為に気付くでしょう。

核の冬とは、大気中に噴き上げられた煙りや粉塵によって太陽光線が遮られ、地球が寒冷化する現象です。
2000年秋、アメリカの大統領選で使ってはいけない、キーワードを使われたことが気掛かりです。
それは花弁を摘む少女と核爆弾のキノコ雲の写真の事であり、特にキノコ雲の写真は核戦争を暗示したり示唆していると感じるからです。
このキーワードは人類意識へ核戦争の切っ掛け(トリガー)となるものと思われます。
ある人はオリンピックが行われる年は事故や犯罪が多くなると言ってます。
スポーツと云えどもメダルを賭けた栄光の勝敗という凄まじい闘争精神を、想念・テレパシーとしてまき散らしているからかもしれません。

昭和61年12月2日早朝の夢、ソ連が地下の核実験を再開して原発の事故は免れた?(知人へのハガキより)

12月2日早朝の夢、広い草原や森林に囲まれた場所にいたら、近くで大音響と共に大きな衝撃を感じて何かが爆発したようです。
そちらに行くと巨大な穴が空いていてまだ爆発と火災は続いています。
その場所は建造物があったのか地面だったのか、よく分かりませんが大きく広々していました。
様子を眺めているとその時、炭素棒が必要であると浮かびました。
近くにあった倉庫から先ず初めに直径10Cmで長さ2mの炭素棒を運んだのですが、そこに居た技師は小さ過ぎて役に立たない、奥にある大きな物を頼むと言われて、急いで倉庫から電柱より太くて長く大きな炭素棒を運び、火災現場の大穴へ投げ込みました。

夢から覚めてこれは原子力発電所の事故が何処かで起こるのではと思いました。
そして炭素棒とは制御棒のことではないかと考えました。
それから2ヶ月が過ぎても何も起こらずにいました。しかし、何かのエネルギーがまだ渦巻くのを感じていました。
ところが、翌年2月のある日に突然にそのエネルギーが消えて感じなくなりました。
何故かおかしいな、何だろうと考えておりましたら一週間もしない内に、新聞でソ連が地下での核実験を再開(2月26日)したと報じていました。それで納得しました。何分にも原発も核実験も核を扱い同類ですから。

昭和62年9月13日の夢、原発で水に関してU字型の金属性パイプ事故(知人へのハガキより)

9月13日の夢、10年くらい前の水に関係する事故が起こるらしく、手前には貯えられた水と川と思われる水の流れる所が見えていました。
その場所は巨大な構造物のコンクリートか、或いは鋼鉄製かよく分からない薄暗い大きな空洞のような感じでもありました。
空洞の中で水の流れを調整する大きなバルブか、水門のような装置を調べたところ錆び付いていました。
さらに何故かU字型になった金属性の太いパイプか、或いは棒のような構造物も空洞の内部の壁面に突き出てた様に沢山見えて、同様に一部は腐食し錆び付いているのか、或いはヒビが入っているのかよく分かりませんが異常を感じました。
それで、その内の1本を掴んで握ってみると折れて外れたのです。特に強い異常を感じた肝心な個所へは足場も悪く掴まる処もなく、それ以上は危険を感じて近づけませんでした。

夢から覚めて、この夢は原子力発電所の事故を意味するであろうと思い、数日後に反原発運動家と交流があると話していた精神世界で活躍し、当家へ訪問したことがある知人へ知らせました。
それ以上は、具体的に何の出来事か分からず年月が経っても何も起らないので、何故かおかしいなと思いつつ、忘れかけた3年半以上も経ってからでしょうか、北陸だったと思いますが原子力発電所で、冷却用の大きなU字型のパイプが折れて外れた事故のあったことが、数ヶ月してから発覚したという新聞の発表がありました。
それで納得して、この事故だったのかと思いました。
1991年2月9日 関西電力美浜発電所2号機事故で、蒸気発生器の伝熱細管の1本が破断し、55トンの一次冷却水が漏洩し、非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。レベル2。

1999年
9月、秋になっても嫌な予感は消えずに何か言い様のない嫌な胸騒ぎを感じると共に、上空の周囲を取り巻く波動の乱れと言うか歪みのような感覚を感じていました。
災害か事故など無気味な危機感を感じて、前会員向けに会報「霊脳通信」特別 号外号を発行しました。
30日、そして東海村のJCOでは燃料加工で裏マニュアルのずさんな作業工程管理で、核燃料の加工中にあってはならない、臨界事故が起り死傷者が出てしまいました。INESでレベル4の事故、2名が死亡し1名が重症となり667名の被曝者を出した。
硝酸ウラニル溶液を沈殿槽にバケツで流し込む作業を行っていた。7杯目をバケツで流し込んだところ、沈殿槽内で硝酸ウラニル溶液が臨界となり、警報が鳴動した。沈殿槽は言わば「むき出しの原子炉」の状態となり、中性子線は建物・敷地の外にも放出された。

被爆と健康の影響


2002年
6月
福田官房長官の『「非核三原則」の見直し』発言は、邪悪な思想の想念波動に無意識の内に、扇動や示唆されたのではないかと感じます。被爆国として「非核三原則」の国是は必要でしょう。

2004年
8月
9日、関西電力-美浜原発のタービン建屋内で、主配管が破断して高温高圧の蒸気が噴き出す大事故により熱傷で4人が死亡、2人が重体と5人が負傷して関係者に大きな衝撃が走りました。
後に5人死亡、6人が重軽傷を負ったと修正されました。
この事故箇所はミスで管理システムに未登録で点検対象外だったのですが、協力会社の社員により検査の必要性を指摘されながらも、対応しなかった結果だそうです。

2007年
3月18日 志賀原発1号機の臨界事故隠ぺい問題
経済産業省原子力安全・保安院は、北陸電力の志賀原発1号機(石川県志賀町)で1999年、定期検査中に89本ある制御棒のうち3本が誤って抜け、炉心の一部で核分裂の反応が持続する「臨界」に達して制御不能のまま約15分間、臨界状態が続く事故があったと発表しました。
トラブル発生は1999年6月18日午前2時ごろで、制御棒を動かすための水圧を制御する系統で弁の操作手順を誤り、制御棒3本が抜けて局所的に臨界状態となったというのです。
この事故は「現場ぐるみ」の隠ぺいだと言われています。恐ろしい事です。
原発で緊急停止の隠ぺいは東京電力や東北電力でも相次いで明らかになっています。

3月23日 臨界事故隠ぺい問題と安全神話の崩壊
18日の事項で紹介した北陸電力志賀原発1号機で1999年、定期検査中に制御棒3本が誤って抜け、炉心の一部で臨界状態が続き警報が計12回鳴っていた事故の隠蔽が明るみになったと思ったら、他でも同様な事故が起きていたと次々と明るみになっています。
経済産業省原子力安全・保安院は、福島第一原発3号機(福島県大熊町)で1978年、臨界事故が生じていた可能性が高いと発表した。
同年11月2日、定期検査で停止中の原子炉から制御棒5本が抜けて、「臨界に達していた」との証言が原子炉メーカーの東芝などから得られ、中性子の測定データにも異常が見られたとのこと。

東京電力の福島第二原発3号機(福島県)1993年6月と、柏崎刈羽原発1号機(新潟県)2000年4月=いずれも沸騰水型軽水炉で、定期検査中に制御棒2本が抜けるトラブルが起きていましたが、臨界には至らなかったとのこと。
東北電力女川原発1号機(宮城県)1988年と、中部電力浜岡原発3号機(静岡県)1991年5月でも、臨界には至らなかったものの制御棒が抜けるトラブルがあったことが発覚しています。
これらは弁の操作ミスが原因で起きていたと言うものです。
安全のはずの原発が多くの臨界事故や、その手前の状態が幾度も起きていたとは驚きで呆れます。
科学技術への過信や傲りと高ぶりから、人的なミスが重なり思わぬ重大事故へと発展するものです。
ひた隠しにしていても何時かはバレてしまうものです。

2011年
2月
2月19日の夢、遺跡物は複雑な形をしていて清掃・洗浄により損傷

2月19日の夢、仕事の応援をする事になり、現場へ出掛けました。
現場に着くと広範囲な遺跡の発掘作業の様な仕事で大勢が従事していました。
働いている人の話しのよると、この事業には社運が懸かっており社長命令により、皆は集められたと言われました。
多くの作業員は大雑把な発掘と遺跡物の清掃を行っていましたが、遺跡物は複雑な形をしていて細かく奥に入り込んだ部分の、清掃・洗濯・洗浄は後回しになっていて、二段階の作業手順で進めているから、私に後の過程を担当してこびり付いた土砂や汚泥とか不純物を取り除いて仕上げをする様に依頼されました。
そして、仕上げの作業に使用していたブラシとか刷毛と粘性のある、洗浄剤の様な液体などを現場の責任者から手渡されました。

作業は定時に終了して調査資料室に入って、今までの作業手順とか遺跡に関連する様々な資料を読んで知識を得ました。
数日すると、現場の責任者から残業をしても良いから早く進めてと催促されました。
私は効率的な方策の様な方法は無いかと思案して、資料に載っていた大学の教授にアポを取りアドバイスを仰ぎました。
調査資料室に有った顕微鏡でサンプルを採って調べても良く分からないので、大学の研究室に有る理化学機器を使わせて貰う事にして、電子顕微鏡と画像処理とか、ガスクロマトグラフィーなども駆使して詳細な成分などの分析を進めました。
さらに高度な調査を望み核磁気共鳴を用いた機器も使っていると、遺跡物の発掘・清掃・洗浄中の過程に少しですが損傷の可能性が認められました。
それで現場の責任者に説明をして作業を中断して貰い皆に経緯を説明しました。さらに社長へも中間報告をしました。

夢から覚めて考えてみると、これは洗浄により損傷からは、地球の環境浄化(空気・水・土壌)や修復とか、人類による温暖化の抑制や防止法の化石燃料の代替え策とか、資源の有効的な活用法やリサイクル法の取り組みが利益優先の商業ベースになっており、地球には本当の意味に於いては不完全や不十分である様に感じました。
例えば、1回の充電量に対して走行距離の短さがネックになる電気自動車は本当にエコなのかとか、原子力発電は「ゼロエミッション電源」だと言われていますが、ウランの製錬と濃縮とか核燃料の貯蔵とか、核燃料サイクルの再処理加工とかにも膨大なエネルギーが必要になります。

原発では常に放射性物質が漏れて放出していますから、放射線による被曝と放射能による汚染の危険性や、環境への安全性と設備の耐震性などにも問題が有ります。
さらには、高レベル放射性廃棄物の処理とか原子炉の廃止措置の問題もあります。他には、CO2の排出量取引が問題になっています。
原発の原理は蒸気機関と同じで動力では無く発電用タービンを回していますから、熱効率は悪く33%程度とされ大量に放出する廃温水の存在も見逃せません
原子力発電所の稼働に不可欠な冷却水は、その膨大な廃熱と共に放射能や化学物質を伴って海に排出されます。
この無駄に捨てるエネルギーは、想像を絶するほど膨大であるのです。
例えば、100万kWと呼ばれる原子力発電所の場合、約200万kW分のエネルギーを海に捨てることになり、このエネルギーの熱量は1秒間に70tの海水の温度を7℃上昇させます。
海水温を上昇させて比重が軽くなり海の表層に廃温水が浮いて流れ、海水の表面温度には大きな影響を与えて気象とか漁業にも作用します。

遺跡の発掘・清掃・洗濯・洗浄作業の意味は、真の人間を覆っている不純な意識から付着したカルマの垢・塵・埃など、心・魂の不純物(罪・穢れ)を取り除き、本来の神から分け御霊として如来した霊性への気付きと、目覚めから神性を輝かせることにあります。
仕上げをするというのは、神仕組みの立て替え立て直しの破壊と同時進行する創造、及び浄化・洗浄、闇側の排除などの仕上げをする、プロセスにこれから入ると言う意味もあります。
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