ブログ投稿最大の目的は「東京裁判史観からの脱却」を日本社会に訴え、弱肉強食の国際社会に於いて、物心共に自立して生きていけるように日本国民の覚醒を促す事である。まあ、何を語ろうとも、最初から聞く耳持たない輩(やから)には言うだけ無駄だが、日本国民の大多数が、生まれてこのかた一貫して「偽りの贖罪意識」を刷り込まれて生きて行かざるを得ない環境が完成してしまっているからと言って、真実を知っている日本人のひとりとしては、このまま同胞が騙され、貶められ、自分たちの誇りすら否定する「自虐史観」にどっぷり浸かったままでいる様は、見るに堪えないものである。そもそも両親が過(あやま)てる「戦後教育」世代であるから、その子供は「戦後教育」を刷り込む装置と化した「義務教育」が始まるずっと前の幼少期から、可笑しな歴史観、国家観や社会常識に囲まれて育ち、言葉を覚え、保育園や幼稚園で社会性を身に着ける頃には、何となく「自虐史観」を受け容れるに違和感無き土壌ができあがってしまうのだろう。そして「義務教育(=戦後教育)」を終えて世に出る者には自虐史観に染まった社会が待ち受け、大学に進学する者には更なる自虐史観を上塗りする教育が施される。皆、押し並べて「戦後教育」の被害者であり、待ち受けているのは、歪(ゆが)みきった歴史観、国家観の上に築かれた日本社会である。特に教育界では「公職追放令」に先立つ「教職追放令」により、空席となった教職に、それまで相手にもされなかった反日左翼が一挙に雪崩れ込んできた。ひとたび大学教授の職に就いた左翼は、自らのイデオロギーに忠実な者にしかチャンスを与えないから、教育現場は反日左翼の劣化再生産の場と化してしまった。所謂(いわゆる)「55年体制」の時期には、小中高の教諭の労働組合である「日本教職員組合(=日教組)」が大きな影響力を持っていた。「日教組」とは日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が、帰国を拒んで日本に棲み着いた朝鮮人たちを中心に据(す)えて、反日主義者たちに組織させた組合である。
「職業に貴賎は無い」と言うのが現在の建前だが、昔は教育者は聖職者と見做(みな)され、だから「先生」と敬称を付けて尊敬されていた。「先生」の敬称は今も残っているが、ご本人は「自分たちも皆さんと同じ労働者だ」と宣言して、労働者の権利を主張している。このように、「日教組」は当時の日本人の常識を覆して、教育者にとっての教育行為を労働(或いは、苦役)と定義し直したのである。「職業に貴賎は無い」と言うのは原則的には正しい。だから教育者にも一般の労働者と同様に守られるべき権利は当然ある。私たちに食べ物を提供してくれる農家、酪農家、漁師も、建設現場で汗を流して肉体労働をする人たち、郵便配達や宅配業者、上下水道や高速道路、鉄道の車両や線路の保全に携わる人達、飲食業やアパレル業、スーパーのレジ打ちの人、小説家、新聞記者、事務職、ハウスクリーニング業者、トイレ掃除、マスメディア従事者、評論家、ジャーナリストetc.etc.…凡(あら)ゆる職業に就いている人たちも、医師や看護師、教諭や教授と比べて卑下されたり蔑まれる謂(いわ)れは無い。様々な職業が生み出す成果により、この社会は構成され、発展していくのだから、(ほぼ全ての)職業が何某(なにがし)か、この社会に貢献している。中には職業を悪用して卑しい行為をする者もいるにはいる。併し、指定暴力団(反社会組織)や、男女問わず売春やAV業界に身を置く人々は、やはり卑しい職業に就いていると見做されても仕方ないのではないか。そういう謂(い)わば裏社会を必要悪として存在意義を認める考えも有っていいが、医師や看護師とヤクザや売春婦を同列に扱うのには、やはり違和感がある。この感情に目くじら立てて「差別」と言って非難するなら、非難する方が間違っていると私は思う。ジャーナリストや小説家、新聞記者の中には、平然と売国的な言動を繰り返す人が目立つが、そう言う人たちを私は尊い仕事をしているとは認めない。実は、「戦後教育」を実践する教育者の中にこそ、本人たちにそのつもりが無くとも、「売国的劣化再生産」に組み込まれている実事にすら気付いていない者が多い。職業の如何に関わらず、「差別」と「区別」という概念は両立する。
また、日本社会特有の礼儀作法の「汚鮮」(=在日朝鮮人による悪影響)も見るに堪えないほど酷いものがある。「汚鮮」という造語を聞いて、直ぐにこのブログを差別主義者の戯言(たわごと)だと決め付けて、読む気が失せる人も多いだろうが、そのようなレッテル貼りが、自分の頭で考える行為を阻害している事実に気付いて欲しい。百貨店などの接客を伴なう企業の多くが取り入れている、社内外の研修で教える朝鮮式挨拶である「コンス」を、日本式の礼儀作法のひとつだとする間違った常識はなんとかならないものか。臍(へそ)の辺りで両手を合わせてちょこんと頭を下げる、或いは深々とお辞儀をする、あの可笑しなポーズは一日も早くやめて頂きたい。日本には室町時代から武家を中心に受け継がれてきた小笠原流の作法があり、その作法は長い年月をかけて町人や農民の間にも普及していった。明治以降は立礼(りつれい=立ったままの礼儀・挨拶)が中心になったが、立礼も日本式は腕を曲げずに自然と触れるように腿に沿って、頭を下げる角度で礼の深さを表現する。和装では特に教えられずとも自然とそうするが、洋服姿だと、企業が外部講師などを招いて徹底的にコンスを教え込むものだから、そう言う挨拶を教えられるうちに、自らもコンスを正しい日本人の礼儀作法のひとつだと思い込んでしまう。欧米の挨拶は、相手の目をしっかりと見詰めながら力を込めて手を握り合う「握手」が主流だが、異なるのは、日本は目下の者が目上に向かって先に頭を下げるのに対して、欧米の「握手」は目上の者が先に目下の者に手を差し出す。握手するほどの相手ではないと値踏みされたら無視される。こういった挨拶の作法は、長い年月を経て人々の間に根付いていくもので、歴史や文化が背景にあって、初めて人々の行動として現れ、社会に定着する。朝鮮人が朝鮮式の挨拶を好むのに異論は無いが、礼儀作法とは、外国人が他所(よそ)の国に強いるものではないし、日本人なら日本文化をもっと尊重すべきである。最近では自転車を「じてんしゃ」とは言わずに「チャリンコ」と言うのをよく耳にするが、これは朝鮮語の「jajeongeo」を日本語風に発音したものらしい。ここで挙げたのは、ほんの一例であり、知らぬ間に「礼儀作法」のみならず、日本語まで「汚鮮」されているのである。
これらの事象の背景にあるのが「東京裁判史観」と言う、人為的に歪められた、偽りの贖罪意識を植え付ける目的で、創作された歴史観、国家観、の影響下に置かれた、凡ゆる価値観の歪みを強いられた結果の悪影響なのである。このブログでは毎回のように訴えてきたが、「東京裁判史観」を日本人自身が意識的に否定しない限り、今や常識化してしまった誤ちは決して正されない。私たちが諸外国に対する一方的侵略(=国家犯罪)のように思い込まされている「太平洋戦争」と呼び換えられた「大東亜戦争」について、日本人の手で再検証し、日本を取り囲む当時の常識と国際環境と、戦後に戦勝国となった国々や、GHQ/SCAPの恣意的(しいてき)な悪意により「第三国」とされた国々との関係性を正しく学び直さない限り、「東京裁判史観」の軛(くびき)からは絶対に逃れられない。「東京裁判史観からの脱却」を指して、「軍国主義礼賛」だとか、「歴史修正主義」だとか言い出す、文化人ズラした愚か者に邪魔され続けてきたのが、敗戦後の75年間である。その愚か者たちもまた「劣化再生産」されてきた者たちであり、現在では、自分の両親さえ「大東亜戦争」を実体験していない世代が中心である。生まれてこのかた「戦後教育」の悪影響にズッポリ漬かり切って、真実を主張する日本人の対立軸になる事が正義だと盲信しているから、どう説明しても、彼等は決して真実を見ようとはしない。若手の保守派論客として時々マスメディアに登場する、ある愚か者の思い込みなど酷いものである。曰(いわ)く【日本の保守派は韓国人が外国に設置する「少女像(=売春婦像)」に対する日本人の反論を、外国人が理解してくれると勝手に思い込んでいる。日本人保守派の造語である「追軍売春婦」を、本気で「従軍慰安婦」と主張し、『追軍売春婦なのだから、謝罪や賠償などをする必要はない、というトンデモで、これが国際的に通用すると信じ込んでいる』】などと保守派日本人を批判している。歴史的事実を自分で調べた事も無さそうだし、文章も何となく舌ったらず。こういう子が日本を益々駄目にする。 …現行の義務教育や大学教育の内容に何の疑いも持たずに、文筆家を名乗り、マスメディアは彼を保守派論客と持ち上げている。「追軍売春婦」は造語では無く、昔からある言葉で、「従軍慰安婦」こそ、反日左翼の造語である、と言う事実すら知らない、この保守派論客と言われる若者は、恐らくは「戦後教育」に於いて、優秀な成績をおさめた者なのだろう。マスメディアが好意的に取り上げる若手論客の共通項は、茶髪や金髪を好み、奇抜なファッション・センスの持ち主が多い。そして、どう考えても彼等は「保守派論客」などではなく、「戦後教育」の中でのみ高得点は取れるが自分の頭で考える事が不得手な「自虐史観」の申し子である。
「東京裁判史観」に基づく「戦後教育」は、斯(か)くも日本人が自らの国に誇りを取り戻して、国際社会に真面(まとも)な主権国家の一員として対峙できない国民に堕落させてしまったのである。日本人が自らの歴史に少しでも正義が存在したと主張する行為を「トンデモ」などと軽い表現で批判するような若者を、日本国民が支持するほどに、「自己検閲」を正当な行為として身に付けた誤導を常態化させたマスメディアの偽善も手伝って、日本人から精神的支柱を奪ってしまったのが、「東京裁判史観」であり、「戦後教育」なのである。GHQ/SCAPに「第三国人」なる地位を与えられ、それを都合よく拡大解釈して戦勝国民を僭称した在日朝鮮人は、決して「差別」など受けてはいなかった。寧ろ朝鮮国内での階級差別や時の権力者による自国民殺戮から逃れる為に、密入国までしてきて、敗戦後の日本に居座り、戦後の混乱期に日本人にケモノ的蛮行を働く事で、「差別」されるどころか、逆に、無力な敗戦国民である日本人から恐れられていた「特権階級」であった。「戦後教育」では、戦勝国や「第三国人」に都合の悪い事実は絶対に教えないから、今の日本人には信じられない事であろうが、占領統治中は日本の警察官には武器の携帯すら許されなかったから、朝鮮人犯罪者を取り戻す為に、朝鮮人の一団が日本の警察署まで襲うという蛮行まで繰り返された。数人の朝鮮人が、鉄道の車内での目に余る横暴な態度を一言注意しただけの日本人青年を、次の停車駅でホームに引き摺り出してスコップで殴り殺してしまうという事件があったが、居合わせた日本人は凶暴な数人の朝鮮人たち蛮行から目を逸らして押し黙っていたという。この朝鮮人たちは罪を償ってもいない。これのどこが日本人による「差別」だというのだろうか? 90%以上が在日朝鮮人だと言われるパチンコ店の経営者の多くが、なぜ「差別」するという日本社会で駅前一等地に店を構えているのか? 「差別」扱いされる弱い立場であったなら、そんな一等地に店を構えられる訳がないではないか。敗戦後、「サンフランシスコ講和条約」に調印して、一応は主権国家の体(てい)を整えて国際社会に復帰するまでの数年間というもの、GHQ/SCAPの威を借りた朝鮮人たちは、日本人に対して、それこそ怖いもの無しの乱暴狼藉の限りを尽くした。疎開で空き家となっていた日本人の土地家屋に無断で棲み付き、焼け野原となって再開発される前の土地の所有権を好き放題に主張して手に入れた。「朝鮮進駐軍」を僭称して街中を闊歩しては、商売を再開した日本人の商店から物を盗み、目を付けられた女性は道端で輪姦された。情けない話だが、敗戦直後の日本人は、ケモノに豹変した彼等を心底恐れていたから、誰もその無法な行動に文句を言えなかった。
遣りたい放題で怖いもの無しの朝鮮人たちが、日本人からの「差別」による被害者だと言い出したのは、敗戦後に在日朝鮮人の後ろ盾になっていたGHQ/SCAPが、占領統治を終了して表向きの主権を日本政府に引き渡して、日本から去って行った頃からである。後ろ盾をなくしても、「差別被害者」という道徳的優位な立場を手に入れた在日朝鮮人は、被害者の立場補強に余念がなかった。自らの自由意志により帰国を拒んだり、密航までして来日しながら、彼等は日本軍に強制連行されてきた弱い朝鮮人を演じ始めた。いつの間にか20万人もの少女が日本軍に強制連行されて、性暴力を受けたと主張する韓国の官民の主張が国際社会に拡がってしまったが、日本政府は韓国の主張に反論するどころか、唯々腫れ物に触るような対応に終始し続け、河野洋平(当時)官房長官は、1993年8月4日の「内閣官房長官団話」で、慰安婦に対する(広義の?)強制性を認めて謝罪してしまった。安倍政権に至っては、2015年12月28日の日韓外相会談でなされた日韓間の慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した。「慰安婦合意」である。これにより日本政府は正式に冤罪を認めて10億円の賠償金まで支払ってしまった。この「慰安婦合意」をしてしまった事で、仕事の事情などで海外に居住する日本人の子供たちが、どれほど理不尽で辛い虐めに遭っているか、勝手に「慰安婦合意」で手打ちをしてしまった安倍政権は理解しているのだろうか? 虐めの主体は朝鮮人と支那人、そして「慰安婦合意」で日本人が本当に朝鮮人に酷い事をしたのだと間に受けてしまった外国人の子供たちである。「慰安婦合意」が、外国の地に「売春婦像」を立てる活動を続ける韓国人たちをどれほど勢い付かせたか、安倍政権は反省すべきである。国家間の外交に妥協は付きものだが、決して妥協してはいけない一線というものがあるという現実を、安倍政権は思い知るべきである。
そもそも、有りもしなかった朝鮮人女性の強制連行を捏造したのは、吉田清治なる如何にも怪しい一人の人物であった。この吉田清治と名乗る男は歴史家の秦郁彦によると「職業的詐話師」で有り、その証言内容は虚構に満ちているだけでなく、経歴もまた虚偽に塗れている。吉田清治はペンネームで、本名は吉田雄兎(ゆうと)。他に別名として東司、栄司も名乗ったという。姓名を変更するのは、朝鮮人が日本人に成り済ます為に本当の出自を隠す常套手段である事実を忘れてはいけない。吉田本人は著作に山口県出身と明記しているが、本籍地を調べると福岡県だった。門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名があるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。吉田は1937年(昭和12年)の著書で、満州国地籍整理局に務め、14年から中華航空上海支店に勤務したそうだが、歴史学者の上杉千年の調査では、中華航空社員会で吉田を記憶する者は誰一人としていなかった。不可解なのは、吉田が大東亜戦争前の22歳の時、満州で19歳の朝鮮人 李禎郁を養子にしている事である。死んだ筈の日本人男性が3歳年下の朝鮮人を養子に迎えるなど尋常な話ではない。吉田は、所謂「背乗り朝鮮人」だった可能性はかなり濃厚である。また養子縁組で吉田姓を得た李禎郁は、後に吉田家から離席している。彼もまた別の日本人の戸籍を得たのだろう。吉田清治は、朝日新聞が1982年(昭和57年)9月2日付朝刊(大阪本社版)で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と虚報した事を皮切りに、新聞や雑誌の取材を受け、講演に登場するようになった。吉田自身は既に1996年(平成8年)の週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューで「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造を認めていた。ジャーナリスト大高未貴の取材により、「あなたにそう言うのはどんな組織の人なんですかと聞いたら、口ごもっていましたが、やがて半島の人ですと言いました。半島と言っても二つあるから、どちらですか、と重ねて問うと、韓国です。と。実は私は聞いた時からKCIAだと思っていました」(『新潮45』2016年9月号)
こんな怪しい人物が打ち明けた国家の一大スキャンダルを、碌(ろく)な検証もせずに載せた朝日新聞大阪支社の植村隆(当時記者)と、その捏造記事の掲載を認め、何と32年間も放置し続けた朝日新聞社の、日本人と日本国に対する罪は類例を見ないほど日本の名誉を貶めた大嘘と言える。【朝日新聞は捏造記事の初出から32年後に「こうした一部の不正確な報道が、慰安婦問題の理解を混乱させている、との指摘もあります。しかし、そのことを理由とした「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意できません。】(2014年8月5日「朝日新聞」)…と言う鉄面皮振りは、大多数の日本人の理解を超えたものである。先人が負わされた冤罪を決して認めようとしないという一点に於いて、前出の若手の保守論客という茶髪男と同じ理屈である。「一部の不正確な報道」という曖昧な言葉で、不承不承ながら「植村隆が書いた朝鮮人追軍売春婦の強制連行という捏造報道」を躱(かわ)す記事を、日本国内では書いたが、朝日新聞は「日本人悪しかれ」というイデオロギーは一切変える気がないから、海外に発信した記事の訂正はしていない。だから、若手保守論客なる愚か者が、【日本の保守派は韓国人が外国に設置する「少女像(売春婦像)」に対する日本人の反論を、外国人が理解してくれると勝手に思い込んでいる。日本人保守派の造語である「追軍売春婦」を、本気で「従軍慰安婦」と主張し、『追軍売春婦なのだから、謝罪や賠償などをする必要はない、というトンデモで、これが国際的に通用すると信じ込んでいる』】との発言を信じ込んでしまうのにも、一分の理があると言えなくもない。日本政府(安倍政権)が冤罪を認めて、国際社会ではっきりと謝罪して、賠償金まで支払っているのだから、「史実に基づいた正しい反論」を「トンデモ」などと軽い言葉で否定されてしまう不条理が続いてしまうのである。
今の安倍政権に限らず、敗戦後の75年間というもの、日本政府は反論の場が幾らでもあったにも関わらず、先人の冤罪を一切合切、非難されるままに受け容れ続けてきた。建国以来反日を続ける韓国や、江沢民以降反日に転じた中共による一方的な非難に全く反論しない日本の姿を見て、「正義は日本にある」と考える外国人は皆無であろう。韓国は東北亜細亜歴史財団を設立し、フランスの漫画祭に女性家族部長官を派遣、慰安婦問題や領土問題などの国際的な発信活動を予算化すると共に、朝鮮語・韓国文化教育機関の世宗学堂を52箇国120箇所に開設している。更に「韓国の正しい姿(???)」をインターネット等などで情報宣伝工作活動を行なう市民団体「VANK」(会員は韓国人10万人、外国人2万人)を外交部が支援(協力覚書を締結)し、慰安婦や領土問題に関する広報活動を行なった結果、2000年には3%にすぎなかった世界地図の「東海」と「日本海」の併記が30%に拡大、2014年3月には米バージニア州で教科書に併記を求める法案が成立した。また、全寮制で私立の「民族史観高校」に優秀な生徒を入学させて、世界の有名大学に入学させ、VANKの活動を課し、若者によるメール攻勢が政府の国際宣伝活動に大きな役割を果たしている。中共・韓国の共通点は、テレビ・ラジオの国際放送と海外メディアを活用した宣伝活動、海外拠点の構築に力を入れている事である。中共政府は国際会議や議会工作に力を入れ、世界120箇国の教育機関に孔子学院・講堂を設立し、中国語・文化教育を普及している。(SankeiBiz 2014,4)。日本の対外宣伝工作活動の政府予算は事実上はゼロと言える。2014年に対外宣伝予算500億円を投じるという(細やかな)大風呂敷を拡げたはいいが、戦略的対外発信の強化の為「オールジャパン」の対外発信拠点としてサンパウロ、ロンドン、ロサンゼルスの3箇所に設置された展示館、ジャパン・ハウスは、日本に関する情報を纏(まと)めて入手できるワンストップ・サービスを提供すると共に、カフェ・レストランやアンテナショップなどを設け、現地の人々が「知りたい日本」を発信するという、お題目の通りの一時代前の「ハコモノ行政」の典型である。既に2017年5月にサンパウロが開館し、外務省広報によれば半年間で現地の約30万人が来館したという。特に、民間の活力や地方の魅力などを積極的に活用するという。併し、外務省筋によれば、2019年度予算編成段階で「ジャパン・ハウスのハコを作ったのだから、あとは民間の力を借りて運営するように」と言い渡されたという。対外発信事業を行なう上で、一番重要な運営費は、首相官邸、財務省から、「来年度予算以降、民間から調達するように」という、きついお達しが発せられたという。「ジャパン・ハウス」の目的は明らかにインバウンド効果を狙う、商業的宣伝であり、ハコ以外は財務省から予算は付かない。反日工作に対抗する気など、歴代自民党政権には微塵も無いし、安倍政権にも反日工作に対抗する気は無いようだ。
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