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映画・舞台の感想や俳優さん情報等。基本各種メディア込みのレ・ミゼラブル廃。近頃は「ただの日記」多し。

日記です

2022-11-27 23:03:36 | 雑記

今朝も遅めの起床。でもEテレの【日曜美術館】の静嘉堂文庫美術館特集は観られました。丸の内館開館記念展、会期中に行きたいと思ってはいるのですが……

晴天なのでせっせと洗濯。しかし思いのほか時間がかかってしまいました。
午後、家にある紅玉をそろそろ使わなくてはと思い、ホットケーキミックスを使ってフライパンで作れるアップルケーキをまた作りました。りんごが綺麗に並べられて、なかなか良い感じ——と思っていたのですが、ちょっと目を離した隙に真っ黒焦げに!キャラメリゼが利き過ぎてしまいました。焦げた部分で味見をしたら、なんと歯の詰め物も取れてしまい……痛みはないし、洗って詰め直しましたが、一部欠損もしたようです
優雅な午後のティータイムにするつもりが、恐怖のティータイムに……あまりに焦げた部分は取り除き、責任を持って半分ほど食べました。残りは明日の朝にでもまた食べます。火加減を誤ったのか、白砂糖ではなくきび砂糖を使ったのがいけなかったのか……次にりんごを使う時は、素直にオーブンでアップサイドダウンケーキを作ります。近いうちに歯医者さんへも行かなくてはですね。年末になってなんということかと、いささかショックです。

夕食はお好み焼き。これはフライパンではなく一人用のホットプレートを使い、Eテレで【カールさんとティーナさんの古民家村だより】など観ながら、のんびり焼いて食べました。これも初め設定温度を誤って失敗しかけたけれど、コツを掴んだらなかなかうまくできるようになりました。多めに焼いたので、こちらも明日また食べます。
雪の中の古民家村風景は、カールさんのリフォーム効果によってどこかヨーロッパ風。一方、お正月の支度やおせちの準備、年明けのどんど焼きなどは日本の風習に沿って行われますが、そこに違和感はなく良い感じです。
それにしても、おやつも粉もんで夕食も粉もんになってしまいました。粉もん大好きだから良いですけどね。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、サブタイトルは「八幡宮の階段」。
そのタイトル通り、遂に鶴岡八幡宮の大階段で右大臣実朝が暗殺される。その前に、源仲章によって太刀持ちの役を奪われていた義時は三浦義村と共に事態をなすがままに任せる。まず義時を討つつもりだった公暁は「仲章というよくわからないヤツ」(演じた貫一郎さん談)を手にかけてしまい、狼狽しながらも実朝と対峙する。実朝の脳裡によみがえる歩き巫女のおばばの「天命に逆らうな」との声。実朝は太郎泰時から託された懐剣をいったん手にするも、すぐそれを放し、静かに頷いて自らの身を公暁の刃に委ねる——

初めの方、実朝を文字通り黙殺する義時と土壇場で公暁のハシゴを外した義村の会話は、どう聞いてもただの悪役でした。仲章さんの死に様、最期まで見苦しくて良かったです。「寒い…寒いぞ。寒いんだよォォォー!」って、なかなか思いつく末期の言葉じゃないですね。三谷さんも生田斗真さんもすごいです。
おばばの言葉は「予言」ではなく、朝時によれば「すっかり耄碌して、誰に対してもそれしか言わなくなった」状態でのものらしいですが、それはそれで全ての登場人物に当てはまりそうではあります。

公暁は逃走。御所へ移された実朝の亡骸には、妻の千世がずっと付き添っていた。悲しみに暮れる政子。怒る実衣。冷静に(と言うより冷酷に)事後処理に当たる義時。混乱の中、千世が「鎌倉殿が残された歌」を持って現れる。

——出(いで)ていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな——

かの菅原道真公の名高い梅の歌の本歌取りですが、妻への別れの歌、辞世の歌でもあったのでしょうか。吾妻鏡や様々な小説、フィクションの世界でも、実朝は自らの死を予見していたかのような描写や解釈がなされていますが、実際、思うにまかせぬこの世界、ましてやこの作品で描かれているような修羅の世界に於て、彼はもう生き続けたいとは思えなくなったのかもしれませんね。征夷大将軍にして右大臣という、その時点で望み得る最高の栄誉を手にした状態で去ってしまいたかったのかも……
実朝公と千世様も、通常の形ではなかったにせよ、互いを大切に思い合う良いご夫婦でした。千世様のことを考えると、ただ悲しく切ないです。

義村が三浦と公暁の関係を示すものを抹消している頃、公暁は鎌倉殿の証である「亡き義朝公の髑髏(仮)」を密かに持ち出し、それを手に政子の許へ忍んで来ていた。実朝を討った謀反人が鎌倉殿になれないことなどはわかっている、自分はただ頼朝の孫であり頼家の子である自らの名を世に知らしめたかったのかもしれない、と言い残して、公暁は髑髏と共に姿を消す。
「自分は武士としての名を持たない」と言う公暁。確かにそうでした。彼はただ頼家の遺児であり実朝暗殺犯としてのみ、その名を歴史に刻むこととなったわけで、思えば悲しい存在です。
ところで公暁くんは実朝の首級ではなく、あの髑髏を抱えてさまよい歩いていたのでしょうか。作中では実朝公に首は付いているように見えましたが、本編終了後の「紀行」では首の行方や首塚について取り上げていました。

義時に追及されて、公暁を焚きつけたことや自らの野望を認める義村。しかし、周り中から恨まれ怯えきった義時の姿を見て、そんな気はなくなったとも言う。もはや自分に敵はない、これからは好きにやらせてもらうと嘯く義時。この二人の腹の探り合いも、どこまでが本音でどこからが嘘か読めず、相変わらずスリリングです。公暁の義時に対する殺意を義村は知っていたのか、もし義時が本当に討たれていたら、どうするつもりだったのか……
三浦館に密かに逃れて来て、ここから園城寺へでも落ちのびると言う公暁を、義村は自らの手で殺害する。公暁の首桶を差し出し、鎌倉への忠誠を(そらぞらしくも)誓う義村。一枚上手の悪人です。
そして泰時は、実朝を見殺しにして最高権力者となった義時に対し、その専横を自分が阻んでみせると宣言する。それを聞く義時がどこか嬉しそうなのが、何とも言えません。
我が子と孫を一度に失い、絶望のあまり自らの命をも絶とうとする政子。その手を押さえたのは、捕らえられていた場所から脱走したトウだった。ならいっそあなたが殺してと懇願する政子に、トウは主人の命令なき殺しはできない、生きてほしいと言い残して去って行く。

実朝暗殺の報は都にも伝わり、後鳥羽院を震撼させた。まず僧を集め、国家の安泰を祈らせるよう命令を下す上皇。思えば、朝廷にとっては「右大臣」を暗殺されたということでもありますからね。
そんな忌まわしく恐ろしい鎌倉へ親王を下向させることなどできぬ、との思いもあるが、それでは逆に北条のやりたい放題になってしまうと、慈円僧正が危惧を示す。
一方の鎌倉では、新しい鎌倉殿はもっと扱い易い人物を願いたいという義時により、朝廷の側から親王下向を断って来るよう、あえてそれを強く催促するという作戦が立てられていた。
すっかり悪の独裁者然としてきた義時だが、傷心を抱えて伊豆に帰ろうとする政子のことは「我らは一心同体」と強く引き止める。
そして、運慶には「わたしに似せた仏像」を造るよう依頼する。今の義時からは芸術的インスピレーションが喚起されないと断る運慶を「俗物」呼ばわりし、弟子たちや工房に任せるのではなく「正真正銘運慶の作」を造ってみせろと命じる義時。この二人の対立と駆け引きもどう決着するのか気になります。
とりあえず今回こそがクライマックスで、承久の乱は朝廷との様々な駆け引きを経た後の事後処理みたいな形になるのかもしれませんね。
義時については、妻・のえとの間に生じ始めた不協和音も気になるところです。愛情と言うより信頼関係を失っていると言うか、元よりそんなものはなかったのか……これがやがて亀裂となり、あの事件へと到るというわけでしょうか。

大河の後はEテレで【古典芸能への招待】を流し見。歌舞伎などのお芝居ではなく長唄特集だったので、クラシック音楽館のような感じで聞いていられました。

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