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フランスTVドラマ『レ・ミゼラブル』(2000)

2014-01-01 23:27:50 | レ・ミゼラブル
タイトルなし
クリエーター情報なし
ポニーキャニオン


今からちょうど10年前のお正月、我が家ではNHK総合で元日から4夜連続放映されたこのドラマ『レ・ミゼラブル』を毎晩遅くまで観ていました。
以下は、それから1年後の2005年1月、上記の完全版ではなく180分版DVDを入手した当時の私が前ブログに書いた記事の抄録(一部加筆修正もあり)です。


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『レ・ミゼラブル』監督:ジョゼ・ダヤン。主演:ジェラール・ドゥパルデュー、ジョン・マルコヴィッチ。
2000年にフランスでTVシリーズとして全4話360分かけて放映された作品です。日本でこの完全版が出る前に長らく出ていたのは「インターナショナルバージョン」に基づく180分版ですが、そちらも単なるダイジェスト、または短縮版とは異なるものでした。元バージョンの使用言語はもちろんフランス語ですが、180分版は英語。それもアテレコではなく、初めから放送用と2バージョン並行して制作したようです。
全長版は、日本では2002年NHK衛星第2で、2004年に地上波(教育TV)で、それぞれお正月に4夜連続放送されました。

私も、当時は毎夜TV前に張り付いておりました。暫くはこれで頭がいっぱいでした。その年の2月に『王の帰還』を観るまでは(笑)。
そう言えば、そのころ本屋さんに行くと、どこでも文庫棚の仏文学(または外国文学)コーナーで、『レ・ミゼラブル』があったとおぼしきスペースがごっそり空いていましたっけ。で、暫く経ったら、岩波文庫がドーンと平積みに……

しかしこのドラマ、原作が原作だけに360分版を観てもなおダイジェスト感は消えず、しかし180分版でも「はしょられた」感じはあまりない、という、ちょっと不思議な印象を抱きました。(ダイジェスト感ということでは、ビレ・アウグスト監督の映画版の方が……)
全長版と180分版で違う所は、ファンティーヌに関するエピソードの多少とか、マリウスくんの家庭の事情とか、あとテナルディエ一家の書き込み方といったところでしょうか。
マリウスのヘタレ感は全長版の方がが顕著ですが、しかし私は、このマリウスのあまりに「濃い」顔と、そこだけは妙に原作に忠実なヴァルジャンへの舅いびりが堪えられませんでした……
一方コゼットは、こちらのヴィルジニー・ルドワイヤンの方が、1998年映画版クレア・デインズのやたら気の強いコゼットより好きだなあと思っていたのですが、見直すと、こちらのコゼットもトゥーサン(なぜか男性)に銃を向けて暴動の巷へ出て行こうとしたりしていました。エポニーヌにアーシア・アルジェントというキャスティングもすごいですね。
主役二人については、当時望み得る最高のキャスティングだったのではないかと。マルコヴッチジャベについては、特典映像の監督インタビューで「こんなジャヴェール像はこれまでなかったはず」と言っていましたが、その通りだと思います。

『レ・ミゼラブル』の膨大なる原作を、劇化、映像化などする場合、中心となるのはやはり「ジャン・ヴァルジャンとジャヴェールの対立」です。これは、話を判り易くする為と言う以上に、ドラマの内部構造自体がそれを必要とするからです。
そしてまた、その際のジャヴェールの描かれ方を見ると、彼の執念を支えているものは「憎悪」であるとするのが、一般的なようです。数々の映画化作品に於ても、もちろんあのミュージカルでも。
ジャン・ヴァルジャン個人への謂われなき憎しみ、または「犯罪者」への憎悪、そして根底にある自らの出生への憎悪──
しかし、このドラマ版に於けるジョン・マルコヴィッチのジャヴェールは、それとは明らかに一線を画するものでした。マルコヴィッチは、ジャヴェールの根幹にあるものを、憎悪ではなく或る人間観(単純化して言えば性悪説)とそれに基づく信念、職務への忠実さ、という線から決して崩すことなく、実に端整に演じて見せました。

彼はそうして、ジャン・ヴァルジャンの前にも、壁の如く、また巌の如く立ちはだかり続けるのですが、その追いつ追われつの年月の中で、彼ら二人にしか理解し得ない何か(決して共感ではなく)が生まれていく過程が、「憎悪と妄執からなる追跡行」以上の深みを以て描かれていました。
ジャヴェールの自殺も、憎悪をおのがアイデンティティとして生きてきた男が、それに根拠はなく、また身を鎧う為に必要としてきた「法」の力にも限界があるということを思い知らされ、絶望と混乱から死を選ぶ、という描き方ではなく、自らを形作ってきた理念が絶対ではないことを知った一人の人間が、誤りに気づいた以上はやはりそれも切り捨てなくてはならぬと、自らの身体ごとそれを葬り去る、という抽象的な動機の具象化としてきちんと描かれていました。
これも全長版のみのエピソードなのですが、ジャヴェールの死を知り、なぜかがっくり来て寂しそうなジャン、というのも初めて見ました。マリウスの祖父ジルノルマン氏から「まるで親友を亡くされたようだ」とまで言われていましたし。
ともあれ、日本の180分版DVDのパッケージに記された「運命に翻弄されながらも、"真の正義"を貫き通した誇り高き男たち──。」というコピーがぴったりの二人でした。


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今お見せして恥ずかしくない文章となると、こういうところかと。
改めて観ると、マルコヴィッチジャベはヴァルジャンによって変わり始めている自分自身に自覚的なんですよ。でも自分でそれが許せなかったのかなあ……投身ではなく、自らを冷徹に処断するようにしずしずと入水していく姿を見ると、なぜあなたが死ななくてはいけないの!? そこまでわかっているなら、新しい人生を始めればいいじゃない!と言いたくなります。

一方で気になるアンジョルラスですが、このアンジョさん、原作アンジョルラスの役割と共にマリウスに対してはクールフェラックの役割を兼ねているような感じでした。それでいて「クールフェラック」という名のキャラクターは別にサブリーダー的人物として出て来て、コンブフェールがいなかったり……何にしてもコゼット次第でコロコロ変わるマリウスの言動に振り回されるアンジョさん、お気の毒でした。バリケード攻防戦も学生たちの末路も最後までは描かれなかったのが残念です。

2005年1月のログを読み返すと、同時期に入手した10周年記念コンサート(TAC)DVDについての記事で

「『レ・ミゼラブル』については、今後も何回か取り上げる予定です。」

などという文章も書いていたんですね。当時は当時で「レ・ミゼラブル」カテゴリを設定しようかと本気で考えておりました。それからここまで実に丸9年の時が流れたわけで、自分としては「やっと辿り着いた…」と、しみじみ感じ入る次第です。


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