たった今から7月。今年もこれで残り半分になっただなんて絶対信じない!そしてこれが記念すべき(?)5555個目のツイートww とほほほほ…
美大はやたらと金がかかる。授業料は一般文科の倍、加えて製作費や画材代もかかる。課題をこなすだけでも忙し過ぎてバイトもできない。食費を極力浮かせても金銭的には八方ふさがりである。噫無情。
@mariya1478 3年生ともなればインターンシップもあり、更にサークルや学祭の委員までやってたら、遊ぶどころかバイトの時間もないですよね…
深夜の愚痴。何ということなくつぶやいた一言で、人格を否定されるようなことまで空リプられてかなり落ち込んだ。しょせん自分がソシオパス的ヒッキーなのがいけないんですけどね。もう何年も家族以外とはまともに会話してないくらいだから。でもRTした言葉のおかげで少しは気が楽になったかな。
@ayaneko1027 私も過去の映画化・映像化作品はかなり観ましたが、「ジャベール=細身で長身」イメージが出来たのは1978年ドラマ版A.パーキンスからだと思います。一般には98年映画のG.ラッシュ。2000年ドラマのJ.マルコヴィッチのイメージが強いのではないかと。
@ayaneko1027 あれは俳優さんの方も非常にわかり易い悪役演技だったと思います。脚色も随所で疑問が…その雛形となったとおぼしき35年『噫無情』は脚色の仕方が巧く、納得いくもので、演技もバルジャン、ジャベールともに素晴らしいと思いました。
PJがfacebookにUPしたムービー、よく知ってるアレだと思ったら、オーランドが…www Goodbye Orlando: youtu.be/5NGguk8VXYc @youtube
@ayaneko1027 1934年レイモン・ベルナール監督の仏映画では「悪役」ではない生真面目なジェヴェールさんでした。ヴァルジャンを逮捕しに来た時も、市長がファンティーヌを看取る間おとなしく待っているし、彼女の臨終に際しては帽子を取るし…いろいろ比較すると本当に面白いですね。
1935年『噫無情』では、ファンティーヌは生前にコゼットと再会を果たす。マドレーヌ市長としての役目はそれで済んだ筈だが、正体露見とファンティーヌの死が同時に出来し、母娘のために役立てようとしていた財産も没収と言われて、コゼットを連れて逃亡する。これはこれで納得いく流れ。
承前:1935年『噫無情』のコゼットは、自分がヴァルジャンの娘ではないことも逃亡の理由も知った上で彼と行動を共にしている。マリユスを選ぶことが父であり擬似恋人でもあったバルを苦しめると知りつつ、愛を貫こうとする。「自分の意志を持った一人の女性」コゼットの描き方としては納得できる。
『噫無情』(1935)承前:ところでヴァルジャンとコゼットが女子修道院に潜伏する経緯は、「修道院を長年支援してきたマドレーヌ市長の紹介状」を携え堂々と正面からはいって行くのである。原作のあの件りはちょっとやり過ぎ感もあるので(笑)これはすっきりと巧い脚色だと思った。
『噫無情』(1935)承前:学生運動は「囚人の待遇改善」「刑法改正」を求めてのもの。確かに当時のフランスの情勢を米観客に説明するのは難しいし、ヴァルジャンがその過去ゆえに彼らを援助する動機ともなり、原作ジャヴェールの例の意見書との繋がりも感じられて、これも良く出来た脚色と思う。
@black_box18 お話は英米脚色で一般的なジャベール自殺までで、残念ながら学生たちの最期は描かれません。ただ「アンジョルラス」は出て来ます。演じるのが後の怪奇スターJ.キャラダインなのでアンジョっぽくは見えないし、サブリーダー的な感じ(リーダーはマリユス)ですが…