7日に行われたフランス大統領選挙ではエマニュエル・マクロン氏(Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron)が勝利しました。史上最年少、元恩師の奥様との年の差婚など、様々な話題をもつマクロン氏のニュースはここ英国でもかなり熱いようでした。8日からは日本もGWが終わって平常業務体制に戻ったようで、今朝は日本からのメールが沢山届きました。
今日も今日とて、世界は動いています。
さて、本日、日本から届いていたメールの1つに興味深いものがありました。「平成28年度にIFが10以上のトップジャーナルに掲載された論文の数」を報告せよというものです。私は昨年度にそのようなジャーナルに掲載した実績は、残念ながら、ありません。
IFとはインパクトファクター(Impact Factor)のことですが、クラリベイト・アナリティクスのHP(http://ip-science.thomsonreuters.jp/ssr/impact_factor/)によると、「毎年Journal Citation Reports が公開するインパクトファクターは、被引用数と最近出版された論文との比率です。特定のジャーナルのインパクトファクターは、対象年における引用回数を、対象年に先立つ 2 年間にそのジャーナルが掲載したソース項目の総数で割ることによって計算します」と説明されています。たとえば、世界最高峰の総合科学誌であるNatureとScieceの最新IFは、それぞれ38.138、34.661です。
IFが10以上の総合科学誌がわずかにNature、Science、Nature Communications(Nature姉妹紙の1つ)の3誌しかないことからも判るように、「IFが10以上」というのは極めてハイインパクトになります。この基準だと、米国科学アカデミー紀要PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences,USA)さえ外れてしまいます。もちろん、実際には、PNASはトップジャーナルの1つであると見做す研究者が多いでしょう。
また、たとえば免疫学、再生医学などのメジャーな専門学術分野の専門誌ならば幾つか10以上のジャーナルがありますが、一方で我々の放射線科学などのマイナーな分野では最高峰の専門誌でも4台に留まります。IFには科学分野の流行や科学者人口を反映する面もあり、分野間格差が生じています。また、Nature姉妹紙の幾つかは総合科学誌であるNature本誌よりも高いIFを示してきましたが(総合科学誌ではあまり論文引用が伸びない分野の論文も掲載するため)、姉妹紙の方が本誌よりも上と見做す研究者ははっきり言って皆無でしょう。繰り返しますが、IFだけで評価すると、分野によってはトップジャーナルが存在しない(?)ということさえなりかねません。実際には、どの分野にも世界最高峰の専門ジャーナル、すなわちトップジャーナル、が存在するにもかかわらず。
「IFが10以上だとトップジャーナルなのか?」という深刻な疑問もありますが、IFは科学ジャーナルの質を示す指標の1つとして、今でも日本などでは最重要視されながら運用されていることは確かです(英国ではIFとは違った指標が主流になりつつありますが、それはまたの機会に説明します)。そして、「IFはあくまでジャーナルの質を示す指標であり論文の質を示す指標でないにもかかわらず、日本ではなぜか研究者の論文業績を評価するのにIFが使われている」という深刻な疑問も無視すれば、上記のようなメールの意図も薄々とは判ります。
つまり、研究者はこのような「ハイインパクトな」研究業績が求められているわけです。
昨今、このようなハイインパクトを求める風潮は日本に限らず世界的に強くなって、ここ英国でもハイインパクトなジャーナルに論文を通すことが、研究費やアカデミックポスト・好待遇の獲得を有利にします。しかし、IFで重視されるような、ある意味で性急かつ分野間不公平な「ハイインパクトさ」は、同時に、とても危ういものを秘めているのかもしれません。
色々と考えさせられますね。
私はかつてNatureやCellが嫌いであると宣言していました。
ハイインパクトな商業誌は、ある意味で、研究者にとっては悪魔のような存在であると思っていました。
今でもそのような気持ちはちょっぴりあるにはありますが、最近の私を取り巻く状況をご存知の方は判ってくれるかもしれませんが、もはやLondonに足を向けて眠れない状態になっており、「Nature? うん、素晴らしいジャーナルですよね」とか言っています。はっきり媚びています。
すなわり、私もまた、「ハイインパクトの強制力」に抗うことが出来なかったわけです。
言い訳すると、研究者として自由奔放に生きようとするのは、昨今とても厳しいのです。いつまでも子供のままではいられないのであります。大人になるしかないのであります。つまり、悪魔に魂を売るしかなかったのであります。
……ああ、汚れちまった悲しみに。
今日も今日とて、世界は動いています。
さて、本日、日本から届いていたメールの1つに興味深いものがありました。「平成28年度にIFが10以上のトップジャーナルに掲載された論文の数」を報告せよというものです。私は昨年度にそのようなジャーナルに掲載した実績は、残念ながら、ありません。
IFとはインパクトファクター(Impact Factor)のことですが、クラリベイト・アナリティクスのHP(http://ip-science.thomsonreuters.jp/ssr/impact_factor/)によると、「毎年Journal Citation Reports が公開するインパクトファクターは、被引用数と最近出版された論文との比率です。特定のジャーナルのインパクトファクターは、対象年における引用回数を、対象年に先立つ 2 年間にそのジャーナルが掲載したソース項目の総数で割ることによって計算します」と説明されています。たとえば、世界最高峰の総合科学誌であるNatureとScieceの最新IFは、それぞれ38.138、34.661です。
IFが10以上の総合科学誌がわずかにNature、Science、Nature Communications(Nature姉妹紙の1つ)の3誌しかないことからも判るように、「IFが10以上」というのは極めてハイインパクトになります。この基準だと、米国科学アカデミー紀要PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences,USA)さえ外れてしまいます。もちろん、実際には、PNASはトップジャーナルの1つであると見做す研究者が多いでしょう。
また、たとえば免疫学、再生医学などのメジャーな専門学術分野の専門誌ならば幾つか10以上のジャーナルがありますが、一方で我々の放射線科学などのマイナーな分野では最高峰の専門誌でも4台に留まります。IFには科学分野の流行や科学者人口を反映する面もあり、分野間格差が生じています。また、Nature姉妹紙の幾つかは総合科学誌であるNature本誌よりも高いIFを示してきましたが(総合科学誌ではあまり論文引用が伸びない分野の論文も掲載するため)、姉妹紙の方が本誌よりも上と見做す研究者ははっきり言って皆無でしょう。繰り返しますが、IFだけで評価すると、分野によってはトップジャーナルが存在しない(?)ということさえなりかねません。実際には、どの分野にも世界最高峰の専門ジャーナル、すなわちトップジャーナル、が存在するにもかかわらず。
「IFが10以上だとトップジャーナルなのか?」という深刻な疑問もありますが、IFは科学ジャーナルの質を示す指標の1つとして、今でも日本などでは最重要視されながら運用されていることは確かです(英国ではIFとは違った指標が主流になりつつありますが、それはまたの機会に説明します)。そして、「IFはあくまでジャーナルの質を示す指標であり論文の質を示す指標でないにもかかわらず、日本ではなぜか研究者の論文業績を評価するのにIFが使われている」という深刻な疑問も無視すれば、上記のようなメールの意図も薄々とは判ります。
つまり、研究者はこのような「ハイインパクトな」研究業績が求められているわけです。
昨今、このようなハイインパクトを求める風潮は日本に限らず世界的に強くなって、ここ英国でもハイインパクトなジャーナルに論文を通すことが、研究費やアカデミックポスト・好待遇の獲得を有利にします。しかし、IFで重視されるような、ある意味で性急かつ分野間不公平な「ハイインパクトさ」は、同時に、とても危ういものを秘めているのかもしれません。
色々と考えさせられますね。
私はかつてNatureやCellが嫌いであると宣言していました。
ハイインパクトな商業誌は、ある意味で、研究者にとっては悪魔のような存在であると思っていました。
今でもそのような気持ちはちょっぴりあるにはありますが、最近の私を取り巻く状況をご存知の方は判ってくれるかもしれませんが、もはやLondonに足を向けて眠れない状態になっており、「Nature? うん、素晴らしいジャーナルですよね」とか言っています。はっきり媚びています。
すなわり、私もまた、「ハイインパクトの強制力」に抗うことが出来なかったわけです。
言い訳すると、研究者として自由奔放に生きようとするのは、昨今とても厳しいのです。いつまでも子供のままではいられないのであります。大人になるしかないのであります。つまり、悪魔に魂を売るしかなかったのであります。
……ああ、汚れちまった悲しみに。