【最重要】静岡県より大変重大な報告です!静岡県島田市焼却炉田代環境プラザ近郊の2つの学校の土壌から高濃度汚染が発覚しました。拡散して下さい!全国受入市町村に電話やメールで伝えて下さい。http://ameblo.jp/ankurashimada/entry-11248993810.html
震災がれき:受け入れ北九州市への修学旅行を拒否
松山市の日浦小(小野誠一校長、児童数44人)が、24日から1泊2日で予定していた北九州市などへの修学旅行を延期したことが分かった。北九州市が東日本大震災の被災地のがれきを受け入れたことで、保護者が「子供たちを行かせるのは不安」と反対したため、行き先を変更する方針を決めた。
同校によると、修学旅行は6年生6人全員が参加。24日に広島市から北九州市の遊園地「スペースワールド」へ向かい、同市内で宿泊。25日に山口県を訪れる日程だった。
しかし、北九州市が23日、宮城県石巻市のがれきを受け入れ、西日本で初の試験焼却を始めたため、6年生の保護者全員が反対し、学校側が延期を決定。児童には24日朝に説明した。小野校長は「安全を確認して説得したが、保護者の総意なので受け入れた」と説明している。【栗田亨】
九州ブランドは北海道・四国と並び、都会で安心購入されてる。
②<汚染予想地域>
運び込まれた放射性物質は空中散布され、焼却灰は置き場から、
川・海へ、 近隣市町村も巻き込んで汚染が広がる。
風向きによっては山口県も被害を受ける。
③<静岡県島田市、焼却後データとバグフィルターについて>
④<放射線取扱者不在は法律違反である。>
⑤<瓦礫焼却後、予測される事態>
学生の頃<分子生物学>を学びたくてたまらなかっ た。当時新しい分野で、薬学に不要な単位(ほとんど医学部)だった。 人智を超えた、神の領域を覗いているようだった。二重螺旋(らせん)構造の不思議なしくみを学んだ。この世にたった一つの、取替えの効かない、かけがえのない個々の命に畏敬の念を抱いた。自分も他者も、同じように大切なことに気がつかされた。学問する喜びを知った。
☆一番大切な命=それぞれの人の、この世でたった一個しかないDNA二重螺旋構造を、狂った利権集団の餌食にさせない。 命の限り闘うことを、ここに宣言する。☆
☆日本人のDNA守り隊 隊長 (兼隊員)
☆拡散仕事人 「反原発! 反瓦礫拡散!」 のために喜んで情報拡散。
校庭表土が5センチ削り取られ、地中深くに埋められた。数ヶ月前から校庭活動が公式に許可。
「そんなの全然納得できない」と言うのは、福島で学校経営するフランス系カナダ人Rさん。
「みんな、近所の人が明日もここに居るかしら、と考えながら暮らしています。それは正直かなり辛いです。避難をするかどうかというのはあくまでも私的な決断ですが、いつだって他の人たちから何かしら言われるものなんです。」
6歳児の母Kさんは「国や県の言うことなんか信用していません。福島を離れることによるストレスと、残ることのストレスを天秤にかけて、ひとまず残ることにしたんです。親戚は皆福島だし、お店のローンの返済も終わっていないし・・・」 彼女は旦那さんと、子供を産んだばかりの妹さんと両親と共に、ここで生きていくことにした。知り合いの母親たちと測定器を手にしつつ、ホットスポットをなるべく避けて動く。
市内のスーパーで「地産池消」の掛け声の下、福島県産の果物や野菜が他県のものに比べて半分か3分の1の値段で販売されている。野菜の並ぶ棚には「安心、安全」と表示。 それを信じてもいいのなら---
Kさんはそんな福島での精神の疲労をこう語る。 「畑が汚染されているなんてみんなわかっています。でも一度ここで採れた野菜を食べてみたってすぐ何か起こるわけじゃない。それで、もう生きるのを自分で大変にするのはやめにしようと思って何かをやめることにするんです。忘れることにさえしてみたら、日々の暮らしは本当にシンプルになるからです。」
現在の彼女たちにとっての最大の脅威、それは元に戻ったかに見える福島の日常の中で、放射能の存在を忘れていくことなのだ。
「一番難しいのは思春期の子供たちです」と、郡山に住む中高生の母親たち。
チェルノブイリでは14歳から19歳までという、言うことを聞かない世代が、ガンの発生数が一番高かったという。
<郡山に住む小中学生が集団で安全な場所に疎開できるように>と郡山市に対して裁判を起こしている。けれども裁判は棄却された。彼女たちは裁判を続けることにしたものの、あくまでも匿名であろうとする。 「放射能のことについて何か言うのは、まわりから嫌な目で見られます。今ではもう、みんな普通の生活を送っていたいんです。」
福島の中学で、部活動は廊下で行われている。
学校側の見解は「雪が降ってあまりに寒いから。福島の冬というのはこんなもの」だそうだ。
彼らは生徒に対して放射能への注意を促すことをやめた。
嫌気がさした彼女は子供を連れて関西に引っ越しをすることにした。
私たちが彼女の息子に、避難することについてどう思うかと尋ねてみた時、彼女の運転する車内は長いこと重い沈黙に支配されていた。
運転席からこちらを振り返った彼女は目に涙を浮かべながらこう聞いた。
「あなただったら? あなたが私の立場だったら? あなただったらどうします?」 (終わり)
それぞれのおかれた場で、真摯に受け止めていくしかない。
文/Sophie Pasquet ソフィー・パスケ(フォトジャーナリスト) (以下転載・抜粋)
no.1 新幹線で福島駅に着いてみると、普段より呼吸を控えようとする自分に気が付いた。
チェルノブイリの事故以来、最大級の原発事故で有害物質がまき散らされた空気の中で、そんなことをしようとするのは馬鹿げた試みだった。
2児の母のAさんは笑いながらこう言った。「私たちも始めはそう思ってました。呼吸してもいの?って。だけどすぐ呼吸しないなんて無理だってことに気が付くんです。爆発の後から日常のほんの些細なことですら、いちいち疑問に思うようになりました。 この水は飲んでもいいの?食べ物は?外で干せなくなった洗濯物は? ちょっと窓を開ける時ですら、風向きを確認してから開けるんです。」
原発から60キロの福島市は他の都市と大して変わらない雰囲気。津波や地震による痕跡はほとんど残ってない。マスクをしている人を見かけることすらまれ。
この街で事故を想起させるのは、母親のカバンに入ったガイガーカウンター、子供の姿の見えない公園、窓際から離して置かれた子供用のマットレス。
福島市には放射能通りと呼ばれる道があり、高線量を示すらしい。
親達の頭を離れることがない疑問。 「今日の福島は、子供達にどれほどの危険性があるのだろう?」
1月福島市民主催の子ども健康相談会が開催された。
毎月日本中から10名位の小児科医や栄養士、心理士たちがボランティアでやって来て、福島の住民が無料で身体の調子や悩みについて相談する。 やってくる親は、中学生の子供の慢性的疲労や、小さい子の気になる症状、病院での検査結果などを抱えてやってくるという。
チェルノブイリの架け橋のメンバーで、小児科医のHさん「福島の子供達から、大量の鼻血や下痢が報告されています。チェルノブイリ以来、これらは外部から大量の放射線を浴びた結果の初期症状だとわかっています。子供の免疫力は大人の8分の1の強さしかないのです。」
N医師によると、爆発後の急激な外部被曝に加え、呼吸や食べ物で引き起こされる内部被爆が、
一番危険だという。今日の日本のコンセンサスとは違った言葉で話を締めくくる。
「福島産の果物や野菜、水や牛乳、米はなるべく避けること。体内の放射性物質を除去する効果があるペクチンをなるべく摂取すること。子供達の様子を定期的にチェックすること。 可能な限り頻繁に、遠く離れた所へ子供を連れて行って保養させること。 そしてもし可能なら--- 避難させること。」
避難・・・愛着のある土地や人から離れて引っ越しをする・・・。
福島県では人口200万人のうち、すでに6万2千人が県外へ避難したという。
爆発直後、避難区域に指定されたのは20キロ圏内だけ。数団体が「福島市まで避難区域にすべき」だと主張。福島市では避難区域の立ち入り禁止地区より高線量を示すところがあるから・・・ 「少なくとも家庭を持つ人や妊婦さんで避難したい人たちは補償をもらって避難できるようにするべきと思います。20キロの避難区域なんて、当時のチェルノブイリ以下です」と言うのは福島市に市民放射能測定所を設立したIさん。
お金の問題は避難を妨げる主要な要因。けれど問題はそれだけじゃない。
福島に残る方がいいと言う人たちも沢山いるのが現状。 離れようとすると家族がバラバラになることもある。 30代でエレガントな女性のNさんは台所で娘さん達の料理を作りながら取材に答えてくれた。 「5月に内閣参与の方が涙ながらに訴えているのをテレビで見た時にすごく衝撃を受けました。 彼は政府が子供達の放射線許容量を引き上げようとしているのが許せなかったんです。 それを訴えて彼は辞任。その頃長女のリンパ腺は腫れ、大量の鼻血を何度も出しました。 鼻血を止めるのにティッシュを一箱使うことすらあったんです。私のまわりには今までに見たこともないような症状を出した子供達が沢山いました。」
彼女は料理を教える仕事を中断し、住んでいた郡山市から110キロ離れた山形県の借り上げ 住宅に移ることにした。3部屋あるアパートの家賃は山形県が払ってくれる。
以降彼女は家族の形を保とうとして努力している。旦那さんは週末に山形にやってくる。「以前に比べて毎月10万円近い出費。今のところ節約してやっていますが、この先は? 主人と離れて暮らすのは本当に辛いです。」
事故から1年が過ぎようとしても、この出来事は人間関係を引き裂いている。
カップル間、家族間、世代間、市民間、避難区域に指定された人たちと自主避難者との間でも、放射能の危険性について話を始めた途端、ギクシャクしたものに変わってしまう。 強制避難区域を広げることを拒否した政府は「除染」効果を強調することを選び、「福島での生活は危険でない」と言っている。 福島市役所の説明「今後5年間で森林も道路も全ての家も放射線の除染が完了する予定」
フランス語翻訳、取材同行通訳 飯田美樹 (続く)
お手紙ありがとうございます。自己紹介に書いたとおりに自分の活動をやっています。
話題にあった出来事については、説明困難です。出来事は見る位置によって違って見えるからです。
自分の体験は得がたい貴重な体験でした。それのおかげで多くの判断力を養う事が出来ました。
人とのやり取りを通して、自らを省みたり、自分の問題を他者にぶつけたりします。何が自分の問題で、何が相手の問題かを明確にすることが重要と考えています
日本は更に混迷を深め、国中がおかしな方向に向かっています。それのどこかに風穴を開けていくために、TWで多くの個人と連帯を深めています
今度の闘いは命がけです。逃げる事は出来なくなりました。ご心配戴いてとても嬉しく思いましたが、自らの人生を賭けて倒れるその日までやっていきたいです。
自分が頑張らなくとも、誰かに支えられているのを感じています。
akagikonuma 勇虎 は生きていくのが楽になりました。