らくらくさんは明るく生きる

日蓮正宗の信徒が信仰生活の中で思ったこと感じたことを綴ります。内容は個人の見解によるものです。よろしくお願いいたします。

令和7年1月31日 1月度唱題行 最終日

2025年02月01日 | 日記

1月31日は1月度唱題行の最終日でもあり参詣してまいりました。

前の日から寒さが厳しくなっていて雪も積もる中、御住職の御家族が駐車場の除雪をしてくださいまして、ありがとうございました。

私が所属するお寺の勤行姿勢十箇条には次のようにあります。

「十.同志と同座の時は異体同心して唱和すべし」

日蓮大聖人の教えを信じる私たちは、姿・形・年齢・性格などが十人十色各人バラバラですが、大聖人の教えを信じることにおいては同じです。この同じ志を持っているならば、たとえ人として各人がバラバラでも、その志をもって一つとなって唱和しなさい。ということだと理解しています。

けれども、頭では理解できていてもそれをきちんと実行できているでしょうか。自分を振り返ると疑問です。

たとえ無意識であったとしても、自分は他の人とここが違うあそこが違う、あの人は自分と・・・が違うと、知らず知らずのうちに差別・区別をしてしまっているのではないかと思うのです。

差別・区別しているのは仏様の意ではありません。自分の心です。

自分は心を御本尊様に合わせ一生懸命唱題をしました。でも一緒に唱題をされていた他の方は自分とはちょっと違うんですと・・・もしも無意識にでもそうなってしまっているのでは、まるでダメですよね。

それが無意識でもお寺での勤行や唱題で出てくる。本当にこの信仰は正直なのです。

あの人はこの人はと思ったり言うにせよ、では自分はその人の一体何が分かるというのでしょうか。自分の傲慢にしか過ぎません。

これは自分の頭の中、自分の力だけで直そうと思っても簡単に直る、変えられるものではないと思います。でも変える方法はあります。もっと唱題を重ねるべきです。ただ大聖人の教えを、御本尊様を信じて唱題をくり返す。

こうし続けることによって自分は変われると信じています。

唱題行の後に生姜湯を御馳走になりました。この時期喉に優しく体も温まりいいですね。

ありがとうございます。


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