神奈川県の西に位置する南足柄市。そこに矢倉岳がある。
この標高870mの山は、箱根外輪山の一つである金時山と合わせて「金太郎伝説」所縁の地でもある。ハイキングコースがあり、手軽なコースとして天気の良い休日の山頂は賑わうこともある。
登り口は幾つかあるが、最も簡単に山頂に至るには、足柄峠(足柄万葉公園)から歩くことになる。富士山の眺望も素晴らしく、飽きることのない家族向けのハイキングコースだ。
先ずはとりあえず、その足柄峠から登ってみた(3回目の矢倉岳登山だった)。
2009年春、霜柱が残るハイキングコースを歩いた。山頂へは1時間もあれば十分である。
道は整備されているので、特に危険な場所はない。ただこの日は山頂直下で霜柱が解け始めており、ぬかるみがあった。少しの距離だが、滑りやすくて歩きづらかった。
足柄平野側からは裏手になる矢倉岳の姿。足柄峠からは尾根上の道をやや下り気味に歩き、やがて急登となる。
高度を稼ぎながら振り返ると、富士山と小山町と御殿場市街が見えた。
頂上間近。
頂上到着。目前に相模湾と足柄平野が広がる。そして山頂には石祠があった。
矢倉岳に始めて登ったのは、1983年頃だったと思う。自動車免許を取得したので自由に動き回りやすくなったので、友人と二人で足柄峠まで行き、歩いた。
皆さん、ランチである。
私は足柄峠ピストンなので、山頂の様子を確認して、富士山を見、相模湾の眺望を堪能して直ぐに山を下りた。
石祠は、始めて登った頃と比べて崩壊が進んでいた。
私が小学生だった頃(1970年代)、昭文社の分県地図では、矢倉岳山頂には神社の記号とともに「日本武尊」といった記述がされていた。現在の地図では、そうした記述を見つけられない。私はその記憶の裏をとるために神奈川県立図書館などに出かけて調べてみたが、残念ながら私が探していた大判の分県地図は所蔵されていなかった。国会図書館の蔵書リストにも見当たらない。
この矢倉岳は、「日本武尊東征」にも関連してくる。この石祠も「日本武尊」と何らかの関連があるだろう。矢倉岳から南足柄市関本へ、県道78号線を下って行くと「足柄神社」があるが、その御祭神は「天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)」「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「日本武尊(やまとたけるのみこと)」である。
〈ワヲカケヤマ 遠い昔、矢倉岳からの浜居場城山あたりで竹などで造った輪を投げ上げ、弓で射る年占いの儀式が行われていたそうです。万葉集足柄歌では矢倉岳を「輪を掛山」と呼んでいます。浜居場も意味としては破魔射場だと考えられます。(日本武尊の伝説をたずねて―相模野へのいざない (1985年) 平塚市教育委員会)〉
矢倉岳は、「タケノコシ」という呼び方もある。
〈矢倉明神 「古事記」には足柄の坂の神が白鹿に化け、日本武尊の帰途を妨げたという話があり、後に矢倉岳を神体としたといいます。様々な資料から矢倉明神社はかつては山頂にあり、後に麓へ移ったと考えられます。明治になって足柄神社と名を改めました。そのため山頂にある石祠は足柄神社の奥宮であると捉えることができます。(日本武尊の伝説をたずねて―相模野へのいざない (1985年) 平塚市教育委員会)〉
さて、この画像に収まっている「場」において、次回からのストーリーが続く。
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