「池袋モンパルナス-歯ぎしりのユートピア」展のチラシにつかわれている作品。

(チラシ表)
榑松(くれまつ)正利の《夢》(油彩、カンヴァス、1940年、豊島区蔵)という作品です。
アンリ・ルソー風でありながら、ルソーの真似といって切り捨ててしまうわけにはいかない、「何か」を感じ、気になって仕方ありません。

(チラシ裏)
「池袋モンパルナス」も2011年の板橋区立美術館での展覧会を見逃してしまい残念に思っていたところなので、今回は見逃すまじ、と東京芸術劇場5階ギャラリーへ行ってきました。

○「池袋モンパルナス」とは
「池袋モンパルナス」についてチラシでは、
「1930年代から40年代にかけて、池袋周辺には100棟ものアトリエ付貸家が建ち並び、いくつものアトリエ村を形成していました。(中略)各地から集った若い芸術家とその志望者たちは、コーヒーや安酒を飲み、議論し、喧嘩し、友情を育むことで高められた情熱を各自の制作へと昇華させます。詩人の小熊秀雄は、熱を帯びたその空間を「池袋モンパルナス」と呼び、自身もその一翼を担いました」
と解説しています。
豊島区ホームページの「芸術家の軌跡を辿る。池袋モンパルナスコース」に地理的状況がわかりやすく解説されてます。
この「池袋モンパルナス」に集った芸術家たちの作品を紹介する「池袋モンパルナス-歯ぎしりのユートピア」展。
第8回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館の一環として、豊島区所蔵作品を中心に作品を集めたそうですが、小規模ながら、実に気合いの入った展覧会でした。
○展覧会の構成と印象に残った作品
<展覧会構成>
1 池袋の原風景
2 1940年代の表現
3 1945年4月13日の空襲
4 風刺の態度
5 それぞれの場所へ
5つの構成で「池袋モンパルナス」の誕生から、シュルレアリスム運動の盛り上がり、戦時下での創作、戦災をへて、戦後それぞれの創作活動へと旅立っていく芸術家たちの軌跡をたどります。
小熊秀雄、長谷川利行、寺田政明、大塚睦、吉井忠、桂川寛、高山良策、丸木俊、丸木位里、榑松正利といったラインナップ。
なかでも、長谷川利行の肩に力の入らない少女像(1939年)と長谷川の最晩年の姿を思い出しながら描いたという吉井忠の《長谷川利行》の憔悴しきった、しかし不屈の精神力を感じさせる肖像画(1968年、油彩、カンヴァス、個人蔵)を見て、この画家を作品をもっと見てみたいと思いました。
寺田政明の《絶命》は、断末魔の鳥の叫びが聞こえてきそうな作品。これについて寺田は「《絶命》などは、未発表のものだが、勿論、当時こうした絵を発表していたら、特高に引っぱってゆかれただろう」と回想しています。(出典:『美術運動』第107号、1978年2月、28頁)
さらに寺田は「発表する、しない、売れる、売れないでは勿論なかった。空襲下でも、これで死んだらいかんぞと部屋を暗くしながら描いた。描かずにはいられない、そういう時代だった」とも書いています。(出典:同上)
戦後、円谷プロのウルトラマンシリーズで怪獣の造形を担当した高山良策が身近な子どもたちをスケッチした作品も展示されており、力強い、迷いのない鉛筆の線が、「絵を描くこと」へのかりたてられるような思いと、追い立てられているような切迫したものを感じさせます。
「(前略)何時も腹をすかしていた。今から思うとよく死ななかったものだと思うのだ。そんな状況だったが、絵はよく描いていた。家や作品は焼けても、自分が生き残れば、身についたものは私の財産だと心得、必死な気持で勉強した」(出典:高山良策「アトリエ村の十年」『美術グラフ』28巻6号、1979年、19-20頁)
そして忘れがたいのが吉井忠の《ひとびと》(1948年、油彩、カンヴァス、個人蔵)という作品。カンヴァスは板にはられていず、切り取られ、折りたたまれていたのか、細かなしわがあちこちについています。
そのような状態が、焦土を背景にたたずむ子どもや女性の姿を描いたこの作品にはかえってふさわしいようにも思われます。
死んだ子どもを抱く女性は、キリストの亡骸を抱く聖母マリアのようでもあり、顔をおおって泣いているような女性や、表情のないうつろな少年(ピカソの「青の時代」を思わせる人物像)、地面に転がるどくろ、背景は一面の焼け野原といった暗いモチーフの一方で、空はすでに静まりかえって優しい青色をたたえています。
○昭和の日本美術における「池袋モンパルナス」の存在感
「池袋モンパルナス」にかかわった芸術家は数多く、今回出品されていませんが、熊谷守一や靉光、松本竣介や浜田知明といった忘れがたい作品を残した芸術家も含まれています。
原爆の図を描いて有名な丸木位里、丸木俊夫妻もその一員。
セツ・モードセミナーを創設した長沢節も一時期、「池袋モンパルナス」に住んでいたそうです。
そして本展覧会のサブタイトル「歯ぎしりのユートピア」という詩的なフレーズを生み出したのは、野見山暁治だそうです。
野見山は1943年、アトリエ村を離れ応召、満州に渡りましたが病を得て入院したそうです。そのとき、「あのアトリエに一日でもいいから舞戻って死にたい」と、異国の戦いの地から「池袋モンパルナス」を想ったといいます。
「歯ぎしり」と「ユートピア」という一見相反する言葉は、創作意欲に燃えた若い芸術家たちの理想、そうした芸術家たちを育んだ「ユートピア」としての
「池袋モンパルナス」、そしてその理想の実現をはばむ戦争という現実への焦燥感を端的にあらわしているように思われます。
こうしてみると、「池袋モンパルナス」は戦前、戦中、戦後の日本の芸術運動の大きな潮流のひとつだということがあらためて実感されます(遅ればせながら、ですが)。
○平塚市美術館、府中市美術館の展覧会ともシンクロ
小熊秀雄、長谷川利行の作品は、実は先日見に行ってきた「水彩画 みづゑの魅力―明治から現代まで―」展(平塚市美術館、2013年4月20日~6月16日)でも見ることができます(これがまた、水彩画の新たな魅力を発見できる秀逸な展覧会でした)。
そして、もうひとつ、府中市美術館で開催中の「近代洋画にみる夢 河野保雄コレクションの全貌」展(2013年5月25日~6月30日)でも、長谷川利行、吉井忠の作品がかなりまとまってとりあげられているようです。
近代洋画の日本屈指の個人コレクションとされるこの展覧会も、気になっていたところなので、やはり近いうちに足を運ばねば(府中、遠いけど)、と決意を新たに(大げさ)。
****開催概要まとめ****
「池袋モンパルナス -歯ぎしりのユートピア」展は6月5日(水)まで。会期中無休、10時~18時まで、無料です。
主催は豊島区。無料で配布しているパンフレット(A6判、8ページ)もよくまとまっています(豊島区文化デザイン課が編集・発行)。

(パンフレット表紙。表紙の作品は大塚睦《凶鳥》豊島区蔵。 パンフレットの編集・発行:豊島区文化デザイン課、デザイン:山下雅士)


(左:4ページ、右6ページ)
会場は池袋駅西口からすぐの東京芸術劇場5階ギャラリー、と交通の便もよいので、お買い物のついででもデートのついででもよいので、ぜひ足を運んでみてください。

(チラシ表)
榑松(くれまつ)正利の《夢》(油彩、カンヴァス、1940年、豊島区蔵)という作品です。
アンリ・ルソー風でありながら、ルソーの真似といって切り捨ててしまうわけにはいかない、「何か」を感じ、気になって仕方ありません。

(チラシ裏)
「池袋モンパルナス」も2011年の板橋区立美術館での展覧会を見逃してしまい残念に思っていたところなので、今回は見逃すまじ、と東京芸術劇場5階ギャラリーへ行ってきました。

○「池袋モンパルナス」とは
「池袋モンパルナス」についてチラシでは、
「1930年代から40年代にかけて、池袋周辺には100棟ものアトリエ付貸家が建ち並び、いくつものアトリエ村を形成していました。(中略)各地から集った若い芸術家とその志望者たちは、コーヒーや安酒を飲み、議論し、喧嘩し、友情を育むことで高められた情熱を各自の制作へと昇華させます。詩人の小熊秀雄は、熱を帯びたその空間を「池袋モンパルナス」と呼び、自身もその一翼を担いました」
と解説しています。
豊島区ホームページの「芸術家の軌跡を辿る。池袋モンパルナスコース」に地理的状況がわかりやすく解説されてます。
この「池袋モンパルナス」に集った芸術家たちの作品を紹介する「池袋モンパルナス-歯ぎしりのユートピア」展。
第8回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館の一環として、豊島区所蔵作品を中心に作品を集めたそうですが、小規模ながら、実に気合いの入った展覧会でした。
○展覧会の構成と印象に残った作品
<展覧会構成>
1 池袋の原風景
2 1940年代の表現
3 1945年4月13日の空襲
4 風刺の態度
5 それぞれの場所へ
5つの構成で「池袋モンパルナス」の誕生から、シュルレアリスム運動の盛り上がり、戦時下での創作、戦災をへて、戦後それぞれの創作活動へと旅立っていく芸術家たちの軌跡をたどります。
小熊秀雄、長谷川利行、寺田政明、大塚睦、吉井忠、桂川寛、高山良策、丸木俊、丸木位里、榑松正利といったラインナップ。
なかでも、長谷川利行の肩に力の入らない少女像(1939年)と長谷川の最晩年の姿を思い出しながら描いたという吉井忠の《長谷川利行》の憔悴しきった、しかし不屈の精神力を感じさせる肖像画(1968年、油彩、カンヴァス、個人蔵)を見て、この画家を作品をもっと見てみたいと思いました。
寺田政明の《絶命》は、断末魔の鳥の叫びが聞こえてきそうな作品。これについて寺田は「《絶命》などは、未発表のものだが、勿論、当時こうした絵を発表していたら、特高に引っぱってゆかれただろう」と回想しています。(出典:『美術運動』第107号、1978年2月、28頁)
さらに寺田は「発表する、しない、売れる、売れないでは勿論なかった。空襲下でも、これで死んだらいかんぞと部屋を暗くしながら描いた。描かずにはいられない、そういう時代だった」とも書いています。(出典:同上)
戦後、円谷プロのウルトラマンシリーズで怪獣の造形を担当した高山良策が身近な子どもたちをスケッチした作品も展示されており、力強い、迷いのない鉛筆の線が、「絵を描くこと」へのかりたてられるような思いと、追い立てられているような切迫したものを感じさせます。
「(前略)何時も腹をすかしていた。今から思うとよく死ななかったものだと思うのだ。そんな状況だったが、絵はよく描いていた。家や作品は焼けても、自分が生き残れば、身についたものは私の財産だと心得、必死な気持で勉強した」(出典:高山良策「アトリエ村の十年」『美術グラフ』28巻6号、1979年、19-20頁)
そして忘れがたいのが吉井忠の《ひとびと》(1948年、油彩、カンヴァス、個人蔵)という作品。カンヴァスは板にはられていず、切り取られ、折りたたまれていたのか、細かなしわがあちこちについています。
そのような状態が、焦土を背景にたたずむ子どもや女性の姿を描いたこの作品にはかえってふさわしいようにも思われます。
死んだ子どもを抱く女性は、キリストの亡骸を抱く聖母マリアのようでもあり、顔をおおって泣いているような女性や、表情のないうつろな少年(ピカソの「青の時代」を思わせる人物像)、地面に転がるどくろ、背景は一面の焼け野原といった暗いモチーフの一方で、空はすでに静まりかえって優しい青色をたたえています。
○昭和の日本美術における「池袋モンパルナス」の存在感
「池袋モンパルナス」にかかわった芸術家は数多く、今回出品されていませんが、熊谷守一や靉光、松本竣介や浜田知明といった忘れがたい作品を残した芸術家も含まれています。
原爆の図を描いて有名な丸木位里、丸木俊夫妻もその一員。
セツ・モードセミナーを創設した長沢節も一時期、「池袋モンパルナス」に住んでいたそうです。
そして本展覧会のサブタイトル「歯ぎしりのユートピア」という詩的なフレーズを生み出したのは、野見山暁治だそうです。
野見山は1943年、アトリエ村を離れ応召、満州に渡りましたが病を得て入院したそうです。そのとき、「あのアトリエに一日でもいいから舞戻って死にたい」と、異国の戦いの地から「池袋モンパルナス」を想ったといいます。
「歯ぎしり」と「ユートピア」という一見相反する言葉は、創作意欲に燃えた若い芸術家たちの理想、そうした芸術家たちを育んだ「ユートピア」としての
「池袋モンパルナス」、そしてその理想の実現をはばむ戦争という現実への焦燥感を端的にあらわしているように思われます。
こうしてみると、「池袋モンパルナス」は戦前、戦中、戦後の日本の芸術運動の大きな潮流のひとつだということがあらためて実感されます(遅ればせながら、ですが)。
○平塚市美術館、府中市美術館の展覧会ともシンクロ
小熊秀雄、長谷川利行の作品は、実は先日見に行ってきた「水彩画 みづゑの魅力―明治から現代まで―」展(平塚市美術館、2013年4月20日~6月16日)でも見ることができます(これがまた、水彩画の新たな魅力を発見できる秀逸な展覧会でした)。
そして、もうひとつ、府中市美術館で開催中の「近代洋画にみる夢 河野保雄コレクションの全貌」展(2013年5月25日~6月30日)でも、長谷川利行、吉井忠の作品がかなりまとまってとりあげられているようです。
近代洋画の日本屈指の個人コレクションとされるこの展覧会も、気になっていたところなので、やはり近いうちに足を運ばねば(府中、遠いけど)、と決意を新たに(大げさ)。
****開催概要まとめ****
「池袋モンパルナス -歯ぎしりのユートピア」展は6月5日(水)まで。会期中無休、10時~18時まで、無料です。
主催は豊島区。無料で配布しているパンフレット(A6判、8ページ)もよくまとまっています(豊島区文化デザイン課が編集・発行)。

(パンフレット表紙。表紙の作品は大塚睦《凶鳥》豊島区蔵。 パンフレットの編集・発行:豊島区文化デザイン課、デザイン:山下雅士)


(左:4ページ、右6ページ)
会場は池袋駅西口からすぐの東京芸術劇場5階ギャラリー、と交通の便もよいので、お買い物のついででもデートのついででもよいので、ぜひ足を運んでみてください。
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