「植物の世話をしている自然霊」
なぜ、全ての植物には、その世話をする自然霊が必要なのでしょう?
それは、植物はまだ植物自体ではその存在を保つ事が出来ない存在、つまり植物はまだ「念霊」(エレメンタル)の特徴を多く残している生命だからです。
私達が何かを考える時、同時にあの世では、その全ての思考は物質として存在している訳ですが、この誰かの念が作り出した存在の事を、「念霊」(エレメンタル)と言います。
この「念霊」自体は私達の念そのものなのですから、私達が思いを込めれば込める程、「念霊」は強固なものとなり、私達がその存在を忘れてしまえば、「念霊」も消えて無くなるという特徴を持っています。
植物は、確かに物質界に存在する個別の生命ですが、霊的にはまだ進化の低い段階にある為に存在が安定していない為、まだこの「念霊」の特徴を多く残している生命なのです。
「地上では、お花は、人間の目を楽しませるために植えるのです。ですから、きれいな花を一つの場所にたくさん植えるようになるのです。
ですが、天国ではちがいます。天国の花は見せるためにあるのではありません。それぞれの花がそれぞれの個性のままに美しくなるように育てられているのです。
そして、たいせつなことは、その花のいちばんの養分は、人間からいただくやさしい心、愛の心だということです。
やさしい心で育てられれば、お花はますます美しく育ちます。もしも人間からやさしくされなくなると、お花はすぐしおれて、いつのまにか消えてなくなります。」
天国の花は、心からたいせつにしてあげようとするやさしい心がなければ、一日も生きていけないのです。
「スピリチュアル・ストーリーズ 天使がくれた おくりもの」 P74 P137 より
※動物にはもう「念霊」の特徴はありませんので、誰かが念を送らなくても、その存在が消えて無くなってしまうという事はありません。
■愛し合いながらも結婚できなかった男女の出会い
(マリー・アン霊)
彼は庭の通路を私の方に向かって駆けて来ました。そして私を抱き締めました。私は最も深い愛情で愛されていることを感じました。
「とうとうあなたは私の所に来てくれました」
それから突然、庭中の花がいっせいに咲き始めました。こう言うと嘘のように聞こえるかもしれませんが、私はどのように説明してよいのか分かりません。しかし全て本当なのです。花々がみるみる成長し始めました。庭全体がまるで生きているかのようでした。そこにはありとあらゆる種類の花がありました。地上にいた時から知っていた花もありましたし、初めて見るものもありました。
その中に特別大きなオレンジ色の花がありました。ケシの花のようでしたが、それがどんどん大きくなっていきました。私はもしこのまま大きくなると家よりも高くなってしまうのでは、と思ったほどです。私はとても幸せな気持ちになり、心の底からくつろぎを感じ、平安な思いに満たされました。この大きなケシのような花はぐんぐん大きくなって、やがて木のようになりました。
「500に及ぶあの世からの現地報告」 P196~197 より
以上2つの文章から、精神の世界であるあの世での植物の成長の様子がよく分かると思いますが、人間の愛情が植物の成長に影響するというのは、この物質界の植物も全く同じなのです。(上記の文章内での花は、人間の念のみで成長していますが、あの世では人間の念だけで成長する植物以外にも、もちろん自然霊が育てた植物も存在します。)
という訳で、これまでの説明で、純粋なエネルギー体である植物は、純粋であるが故に清らかな存在であるのだという事がお分かり頂けたと思いますが、だからこそ、植物は「清らかな食物」でもあるという訳なのです。
なお、物質界で全く見返りを求めない献身的な自然霊に、私達が見返りを与えたら、一体どうなるでしょう?
自然霊にとっての見返りとは、当然感謝の心、心からの愛の念ですが、多くの人間にその存在を否定され、忘れられてしょんぼりしている自然霊に心からの愛の念を送ったら、自然霊は大喜びして、植物の霊的エネルギーの量は、人間から植物への直接の霊的エネルギーと自然霊からの霊的エネルギーの相乗効果で、数倍に跳ね上がる事でしょう。
これは、農作物を育てる場合も同じですので、収入を得る為にしかたなく育てた作物は育ちも悪く霊的エネルギーも少ないのに対し、作物に愛情を注いで育てれば、育ちもよくなり霊的エネルギーも多い作物になりますが、農作物自体にだけではなく、「植物の世話をする自然霊」に対しても同じように愛情を注ぎながら作物を育てれば、その効果は更に倍増するという訳なのです。
※植物が消えて無くなるとは言っても、「霊」自体が無くなってしまう訳では無く、形を変えてエネルギーの状態に戻るという意味です。
※動物も、動物の「グループスピリット」(集合意識)(類魂)(群魂)に吸収されれば個別の意識は無くなりますが、この場合はエネルギーになるのではなく、「魂」はそのまま「グループスピリット」の中に残ります。
※大きな意味で言えば、この世もあの世も含めた全ての存在は大霊(創造主)の分身霊(わけみたま)である訳ですから、私達も含め、全ての存在は大霊の思考が作り出した「念霊」であるとも言えます。
それでは次回は、今までとは違った切り口で、食の問題を考えてみたいと思います。
「食について(14) 植物は霊的エネルギーの電池です」へもどる
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「食について(16) 悪魔の惑星」へすすむ
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霊的故郷
なぜ、全ての植物には、その世話をする自然霊が必要なのでしょう?
それは、植物はまだ植物自体ではその存在を保つ事が出来ない存在、つまり植物はまだ「念霊」(エレメンタル)の特徴を多く残している生命だからです。
私達が何かを考える時、同時にあの世では、その全ての思考は物質として存在している訳ですが、この誰かの念が作り出した存在の事を、「念霊」(エレメンタル)と言います。
この「念霊」自体は私達の念そのものなのですから、私達が思いを込めれば込める程、「念霊」は強固なものとなり、私達がその存在を忘れてしまえば、「念霊」も消えて無くなるという特徴を持っています。
植物は、確かに物質界に存在する個別の生命ですが、霊的にはまだ進化の低い段階にある為に存在が安定していない為、まだこの「念霊」の特徴を多く残している生命なのです。
「地上では、お花は、人間の目を楽しませるために植えるのです。ですから、きれいな花を一つの場所にたくさん植えるようになるのです。
ですが、天国ではちがいます。天国の花は見せるためにあるのではありません。それぞれの花がそれぞれの個性のままに美しくなるように育てられているのです。
そして、たいせつなことは、その花のいちばんの養分は、人間からいただくやさしい心、愛の心だということです。
やさしい心で育てられれば、お花はますます美しく育ちます。もしも人間からやさしくされなくなると、お花はすぐしおれて、いつのまにか消えてなくなります。」
天国の花は、心からたいせつにしてあげようとするやさしい心がなければ、一日も生きていけないのです。
「スピリチュアル・ストーリーズ 天使がくれた おくりもの」 P74 P137 より
※動物にはもう「念霊」の特徴はありませんので、誰かが念を送らなくても、その存在が消えて無くなってしまうという事はありません。
■愛し合いながらも結婚できなかった男女の出会い
(マリー・アン霊)
彼は庭の通路を私の方に向かって駆けて来ました。そして私を抱き締めました。私は最も深い愛情で愛されていることを感じました。
「とうとうあなたは私の所に来てくれました」
それから突然、庭中の花がいっせいに咲き始めました。こう言うと嘘のように聞こえるかもしれませんが、私はどのように説明してよいのか分かりません。しかし全て本当なのです。花々がみるみる成長し始めました。庭全体がまるで生きているかのようでした。そこにはありとあらゆる種類の花がありました。地上にいた時から知っていた花もありましたし、初めて見るものもありました。
その中に特別大きなオレンジ色の花がありました。ケシの花のようでしたが、それがどんどん大きくなっていきました。私はもしこのまま大きくなると家よりも高くなってしまうのでは、と思ったほどです。私はとても幸せな気持ちになり、心の底からくつろぎを感じ、平安な思いに満たされました。この大きなケシのような花はぐんぐん大きくなって、やがて木のようになりました。
「500に及ぶあの世からの現地報告」 P196~197 より
以上2つの文章から、精神の世界であるあの世での植物の成長の様子がよく分かると思いますが、人間の愛情が植物の成長に影響するというのは、この物質界の植物も全く同じなのです。(上記の文章内での花は、人間の念のみで成長していますが、あの世では人間の念だけで成長する植物以外にも、もちろん自然霊が育てた植物も存在します。)
という訳で、これまでの説明で、純粋なエネルギー体である植物は、純粋であるが故に清らかな存在であるのだという事がお分かり頂けたと思いますが、だからこそ、植物は「清らかな食物」でもあるという訳なのです。
なお、物質界で全く見返りを求めない献身的な自然霊に、私達が見返りを与えたら、一体どうなるでしょう?
自然霊にとっての見返りとは、当然感謝の心、心からの愛の念ですが、多くの人間にその存在を否定され、忘れられてしょんぼりしている自然霊に心からの愛の念を送ったら、自然霊は大喜びして、植物の霊的エネルギーの量は、人間から植物への直接の霊的エネルギーと自然霊からの霊的エネルギーの相乗効果で、数倍に跳ね上がる事でしょう。
これは、農作物を育てる場合も同じですので、収入を得る為にしかたなく育てた作物は育ちも悪く霊的エネルギーも少ないのに対し、作物に愛情を注いで育てれば、育ちもよくなり霊的エネルギーも多い作物になりますが、農作物自体にだけではなく、「植物の世話をする自然霊」に対しても同じように愛情を注ぎながら作物を育てれば、その効果は更に倍増するという訳なのです。
※植物が消えて無くなるとは言っても、「霊」自体が無くなってしまう訳では無く、形を変えてエネルギーの状態に戻るという意味です。
※動物も、動物の「グループスピリット」(集合意識)(類魂)(群魂)に吸収されれば個別の意識は無くなりますが、この場合はエネルギーになるのではなく、「魂」はそのまま「グループスピリット」の中に残ります。
※大きな意味で言えば、この世もあの世も含めた全ての存在は大霊(創造主)の分身霊(わけみたま)である訳ですから、私達も含め、全ての存在は大霊の思考が作り出した「念霊」であるとも言えます。
それでは次回は、今までとは違った切り口で、食の問題を考えてみたいと思います。
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