上総国分寺跡の見学を終えた後は、同じく市原市内にある姉崎古墳群をめぐってみようと思います。
もうそろそろお昼を食べてもいい時間なので、行く途中にお店があれば寄ってみようかな。
ラーメンが食べたいなあ・・・
そう思って走っているとラーメン屋さんらしき看板が視界に飛び込んできました。
少し行き過ぎてしまったのですが、Uターンして行ってみます。
よし、駐車場空いてる。
「みちのくラーメン」か、良い名前ですね。
一番の売りが肉野菜炒めが乗っかった辛いラーメンのようなのでそれを頼んでみます。
旦那さんが野菜炒めを作り、ラーメン担当は奥さんかな?
お、出てきました!
うわ、これ美味い!
まず、乗っかった野菜炒めが凄くいい味をしている。
隣のおじさんは単品の野菜炒めを食べながらビールを飲んでいますが、これは絶対合いますね。
スープの辛さもちょうどよい辛さです。
今日は当たりで良かった!
周りを見るとすでに満席です。
ここは地域の人気店のようですね。
食べ終わり外に出ると外で待っているお客様がいました。
こちらに来ることがあったら絶対また寄る。
場所はここだ!
お腹一杯幸せ気分になったので古墳へ向かいますよ。
ほどなく到着。
駐車場らしきものはありませんが、ちょっとしたスペースに雷電號を置いて探訪開始です。
ちゃんと説明板もある。
墳丘長106mを誇る中期の前方後円墳ですね。
朝鮮半島からの舶載品も出土しているとのことですが、5世紀に100m級の古墳に葬られたこの被葬者はこの地域の中でもかなりの力を持っていたことが想起させられ、おそらくヤマトの旗のもと、船団を率いて半島で戦ったことがあるのではないかと思います。
直弧文付きの石枕!
千葉の王様って石枕が好きですね。
しかし直弧文付きというのは気になります。
これからめぐる姉崎古墳群の地図もあります。
10番の海保大塚古墳の形が六角形に書かれていますが、当該古墳は60mの円墳で、どうやら近世に塚として再利用されたときに変形してしまったようです。
では、墳丘へ取りつきますよ。
鞍部から見る後円部。
そして前方部。
中期なので前方部の高さも高くなっています。
鞍部から南側(内陸側)の眺望。
3段築成ということですが、段差は目で見てもわかります。
中期らしく前方部が発達していてヴォリュームがあります。
後期になるとこれがさらにダイナミックになりますが、前期古墳と比べるとこの時点で結構ムッチリしています。
海側の眺望。
姉崎古墳群の大型古墳の中ではこの二子塚古墳がもっとも海に近く、現在でも西北に1.2㎞も行けばそこの湾岸道路が走っており、往時はここから海岸線を眺めることができたはずです。
ということは、反対に海を航行する船からもはるかに望めたのでしょう。
先ほどの地図でもわかる通り、姉崎古墳群で最初の大型古墳である天神山古墳の立地はここよりも内陸ですが、その場所は完全な丘の上となっており、二子塚は浜堤の上にあることから中期となりさらに海を意識した場所を選地したことが分かります。
前方部から後円部を見ます。
墳頂の小祠。
後円部から前方部。
後円部の下を見ます。
かつては周溝がありました。
遺物を表面採取。
左のは貨泉とか和同開珎とかそういうのじゃなくて5円硬貨ですよ。
遺跡でこういったものを見つけたときは持って帰っては駄目ですよ。
あー、面白かった。
今日初めて古墳らしい古墳に登った感じです。
それではつぎに姉﨑神社へ行って見ますよ。
⇒この続きはこちら
⇒この日の探訪記事を最初から読みたい方はこちら
もうそろそろお昼を食べてもいい時間なので、行く途中にお店があれば寄ってみようかな。
ラーメンが食べたいなあ・・・
そう思って走っているとラーメン屋さんらしき看板が視界に飛び込んできました。
少し行き過ぎてしまったのですが、Uターンして行ってみます。
よし、駐車場空いてる。
「みちのくラーメン」か、良い名前ですね。
一番の売りが肉野菜炒めが乗っかった辛いラーメンのようなのでそれを頼んでみます。
旦那さんが野菜炒めを作り、ラーメン担当は奥さんかな?
お、出てきました!
うわ、これ美味い!
まず、乗っかった野菜炒めが凄くいい味をしている。
隣のおじさんは単品の野菜炒めを食べながらビールを飲んでいますが、これは絶対合いますね。
スープの辛さもちょうどよい辛さです。
今日は当たりで良かった!
周りを見るとすでに満席です。
ここは地域の人気店のようですね。
食べ終わり外に出ると外で待っているお客様がいました。
こちらに来ることがあったら絶対また寄る。
場所はここだ!
お腹一杯幸せ気分になったので古墳へ向かいますよ。
ほどなく到着。
駐車場らしきものはありませんが、ちょっとしたスペースに雷電號を置いて探訪開始です。
ちゃんと説明板もある。
墳丘長106mを誇る中期の前方後円墳ですね。
朝鮮半島からの舶載品も出土しているとのことですが、5世紀に100m級の古墳に葬られたこの被葬者はこの地域の中でもかなりの力を持っていたことが想起させられ、おそらくヤマトの旗のもと、船団を率いて半島で戦ったことがあるのではないかと思います。
直弧文付きの石枕!
千葉の王様って石枕が好きですね。
しかし直弧文付きというのは気になります。
これからめぐる姉崎古墳群の地図もあります。
10番の海保大塚古墳の形が六角形に書かれていますが、当該古墳は60mの円墳で、どうやら近世に塚として再利用されたときに変形してしまったようです。
では、墳丘へ取りつきますよ。
鞍部から見る後円部。
そして前方部。
中期なので前方部の高さも高くなっています。
鞍部から南側(内陸側)の眺望。
3段築成ということですが、段差は目で見てもわかります。
中期らしく前方部が発達していてヴォリュームがあります。
後期になるとこれがさらにダイナミックになりますが、前期古墳と比べるとこの時点で結構ムッチリしています。
海側の眺望。
姉崎古墳群の大型古墳の中ではこの二子塚古墳がもっとも海に近く、現在でも西北に1.2㎞も行けばそこの湾岸道路が走っており、往時はここから海岸線を眺めることができたはずです。
ということは、反対に海を航行する船からもはるかに望めたのでしょう。
先ほどの地図でもわかる通り、姉崎古墳群で最初の大型古墳である天神山古墳の立地はここよりも内陸ですが、その場所は完全な丘の上となっており、二子塚は浜堤の上にあることから中期となりさらに海を意識した場所を選地したことが分かります。
前方部から後円部を見ます。
墳頂の小祠。
後円部から前方部。
後円部の下を見ます。
かつては周溝がありました。
遺物を表面採取。
左のは貨泉とか和同開珎とかそういうのじゃなくて5円硬貨ですよ。
遺跡でこういったものを見つけたときは持って帰っては駄目ですよ。
あー、面白かった。
今日初めて古墳らしい古墳に登った感じです。
それではつぎに姉﨑神社へ行って見ますよ。
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