⇒前回の記事はこちら
東北で最古級の田村山古墳を見学した後は、福島県立博物館へ向かいます。
福島県立博物館は福島市にあるのではなく、会津若松市にあるんですね。
10時25分に到着。
この後の予定もあるので1時間で見学したいと思います。
あ、「若松城三の丸堀跡」って書いてある。

ここは城内なんですね。

なんか、このグラウンドの周りも土塁っぽいですよ。


立派な建物です。

玄関横でユラユラしているガリバーの前を通り抜け、入館します。
では行きますよ。

展示は旧石器時代から始まり、縄文、弥生と続いているようです。
まずは最近の私の興味の関係上、縄文時代から入念に見ていきたいと思います。
できれば福島県の独特な縄文時代の様子を感じてみたいですが、いきなり来ました、製塩土器!

縄文時代はこのような製塩土器が出土しているので、製塩していたことが分かるのですが、製塩土器が見つからない地域の人びとや、それ以前の旧石器時代人はどうしていたんでしょうね。
人間は塩がないと生きていけないわけですから、何かしら塩分を摂取していたはずです。
例えば、動物の血とか。
製塩土器は一度使うと壊れてしまうんですね。

こういう分布図は資料としてもありがたいですね。

独鈷石って一体何なんでしょうね?

福島県の縄文土器、行きますよ。
二本松市の塩沢上原A遺跡から出土した縄文時代中期後半の土器です。

こちらも似たようなデザインですが、模様が凹凸になっています。

これら大木10式の土器はアルファベットのような模様が特徴なのですが、山梨県立考古博物館でもこの土器が展示してあって、ツアーの時に一緒に見ていた添乗員さんは、「きっと作者の名前のイニシャルでしょうね」と推測していました。
こちらは「S・U」とあることから、この土器の製作者の名前は「内田庄左衛門」である蓋然性が極めて高い。

止めなさい。
仕事来なくなるよ。
大木式土器は、東京・神奈川周辺の人には馴染み深い勝坂土器の名付け親である山内清男が名付けた土器で、宮城県宮城郡七ヶ浜町の大木囲貝塚が標式遺跡です。
私はクラツーにて青森市の三内丸山遺跡などの北東北の遺跡をご案内していますが、青森の辺りは円筒土器文化の中心地で、大木式勢力も若干影響を及ぼしており、三内丸山遺跡からも影響を受けた土器が出ています。
ただし、大木式勢力は関東へはあまり入ってきていないようですから、なんで山梨でこれを見たのでしょうか。
思い出せませんが、思い出すように頑張ります。
深鉢もう一本。

複式炉の分布図。

複式炉というのは大木式文化圏の住居跡から見つかるものですが、スミマセン、私自身のナレッジがまだ不足しています。
こちらの地域の場合、石器に使った黒曜石の原産地は長野方面が多いようですね。

縄文人と弥生人の人骨が比較できる展示がありますよ。
これは腰に鏃(ぞく=矢じり)が刺さったまま生活していた縄文人の骨らしいです。

ただしレプリカですよ。
いやー、立派ですねえ。

石棒も謎ですが、これも謎の製品です。

いったい縄文人はどのような意図をもって作ったんでしょうか。
私的には純粋なアート作品としても好きですが。
土偶もいますよ。




猿型把手。

岩板と土板。

太いだけが能じゃない。

細くても長いほうが良い場合もあるのです。
いや、そんなことより上の石刀は反りがありますね。
日本刀に反りが採用されるのは古代末期ごろのはずです。
でも石刀というのは考古学者が付けた名前で、実際の用途は不明ですよ。
あらま、こんな場所で加曾利B式さんとお会いできるなんて!

あー、あの人骨がたくさん出土したことで有名な三貫地(さんがんじ)貝塚から出土したんですね。

そのまま三貫地遺跡特集。


三貫地遺跡は相馬郡新地町にあり、100体を超える人骨が出土したことで有名です。

安置状況。

ワンちゃんも一緒に埋葬されているんですよ。

縄文人は現代人と同じで、犬をとても大事にしていました。
現代でも犬が好きな方は普通に家族の一員として接していますが、縄文人の場合は狩りのお供に連れて行くわけですから、現代人よりもさらに実利的だったわけです。
つづいて、弥生時代を見てみましょう。
※長くなったので別記事にします。
⇒この続きはこちら
東北で最古級の田村山古墳を見学した後は、福島県立博物館へ向かいます。
福島県立博物館は福島市にあるのではなく、会津若松市にあるんですね。
10時25分に到着。
この後の予定もあるので1時間で見学したいと思います。
あ、「若松城三の丸堀跡」って書いてある。

ここは城内なんですね。

なんか、このグラウンドの周りも土塁っぽいですよ。


立派な建物です。

玄関横でユラユラしているガリバーの前を通り抜け、入館します。
では行きますよ。

展示は旧石器時代から始まり、縄文、弥生と続いているようです。
まずは最近の私の興味の関係上、縄文時代から入念に見ていきたいと思います。
できれば福島県の独特な縄文時代の様子を感じてみたいですが、いきなり来ました、製塩土器!

縄文時代はこのような製塩土器が出土しているので、製塩していたことが分かるのですが、製塩土器が見つからない地域の人びとや、それ以前の旧石器時代人はどうしていたんでしょうね。
人間は塩がないと生きていけないわけですから、何かしら塩分を摂取していたはずです。
例えば、動物の血とか。
製塩土器は一度使うと壊れてしまうんですね。

こういう分布図は資料としてもありがたいですね。

独鈷石って一体何なんでしょうね?

福島県の縄文土器、行きますよ。
二本松市の塩沢上原A遺跡から出土した縄文時代中期後半の土器です。

こちらも似たようなデザインですが、模様が凹凸になっています。

これら大木10式の土器はアルファベットのような模様が特徴なのですが、山梨県立考古博物館でもこの土器が展示してあって、ツアーの時に一緒に見ていた添乗員さんは、「きっと作者の名前のイニシャルでしょうね」と推測していました。
こちらは「S・U」とあることから、この土器の製作者の名前は「内田庄左衛門」である蓋然性が極めて高い。

止めなさい。
仕事来なくなるよ。
大木式土器は、東京・神奈川周辺の人には馴染み深い勝坂土器の名付け親である山内清男が名付けた土器で、宮城県宮城郡七ヶ浜町の大木囲貝塚が標式遺跡です。
私はクラツーにて青森市の三内丸山遺跡などの北東北の遺跡をご案内していますが、青森の辺りは円筒土器文化の中心地で、大木式勢力も若干影響を及ぼしており、三内丸山遺跡からも影響を受けた土器が出ています。
ただし、大木式勢力は関東へはあまり入ってきていないようですから、なんで山梨でこれを見たのでしょうか。
思い出せませんが、思い出すように頑張ります。
深鉢もう一本。

複式炉の分布図。

複式炉というのは大木式文化圏の住居跡から見つかるものですが、スミマセン、私自身のナレッジがまだ不足しています。
こちらの地域の場合、石器に使った黒曜石の原産地は長野方面が多いようですね。

縄文人と弥生人の人骨が比較できる展示がありますよ。
これは腰に鏃(ぞく=矢じり)が刺さったまま生活していた縄文人の骨らしいです。

ただしレプリカですよ。
いやー、立派ですねえ。

石棒も謎ですが、これも謎の製品です。

いったい縄文人はどのような意図をもって作ったんでしょうか。
私的には純粋なアート作品としても好きですが。
土偶もいますよ。




猿型把手。

岩板と土板。

太いだけが能じゃない。

細くても長いほうが良い場合もあるのです。
いや、そんなことより上の石刀は反りがありますね。
日本刀に反りが採用されるのは古代末期ごろのはずです。
でも石刀というのは考古学者が付けた名前で、実際の用途は不明ですよ。
あらま、こんな場所で加曾利B式さんとお会いできるなんて!

あー、あの人骨がたくさん出土したことで有名な三貫地(さんがんじ)貝塚から出土したんですね。

そのまま三貫地遺跡特集。


三貫地遺跡は相馬郡新地町にあり、100体を超える人骨が出土したことで有名です。

安置状況。

ワンちゃんも一緒に埋葬されているんですよ。

縄文人は現代人と同じで、犬をとても大事にしていました。
現代でも犬が好きな方は普通に家族の一員として接していますが、縄文人の場合は狩りのお供に連れて行くわけですから、現代人よりもさらに実利的だったわけです。
つづいて、弥生時代を見てみましょう。
※長くなったので別記事にします。
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