日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

福島県立博物館|福島県会津若松市 ~原始・古代・中世だけを見るとしても2時間は欲しい~ 【福島・思い付き古代史探訪 その4】

2019-05-09 17:49:53 | 歴史探訪
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 縄文時代の展示は面白かったですが、一番期待していた土器の展示が少なかったのが残念でした。

 おそらく、東北地方以外に住んでいる人々の勝手なイメージでは、「東北=縄文」というのがあると思いますが、確かに北東北は博物館に行っても縄文関連の展示が凄いですよね。

 でもどうやら、福島の場合は現代の県民からするとそれほど縄文を盛り上げようという気持ちは希薄なようなのです。

 今までの発掘成果の結果、そういうテンションになっていると思いますが、福島も面白い遺跡や遺物はたくさんあるはずなので、今後はもっと縄文時代に力を入れて欲しいです。

 では、つづいて弥生の展示を見ましょう。

 まずは再葬墓。

 再葬墓というのは、亡くなった人を埋めるのか殯のように放っておくのか、その辺は分かりませんが、一度白骨化させたうえで、それを土器に入れて葬る習慣です。

 多分、放っておくのはどうかなと思うので一度埋めるのがいいんじゃないでしょうか。

 ちなみに、外国には鳥葬というのがあって、要するに遺体を鳥に食べさせるわけですが、考古学の方から聞いた話では、鳥が食べやすいように遺体を解体するそうですね。

 その方はとても見ていられないと仰っていました。

 話を戻して、再葬墓も最近興味があって、先日はクラツーにて茨城県の泉坂下遺跡をご案内してきましたよ。

 こちらの国指定重要文化財の人面付土器が出土した遺跡です。



 ※「発掘された日本列島2014」の会場で撮影

 では、福島の再葬墓を見てみましょう。

 墓料遺跡8号土抗(再葬墓)の模型。



 弥生時代中期初頭の遺構です。

 再葬墓が見つかった遺跡の分布。



 楢葉町の天神原遺跡第20号。



 同じく天神原第4号。



 両方とも国指定重要文化財ですよ。

 縄文時代の土器棺は普通の煮炊き用の深鉢とは違った独特なデザインにしますが、弥生時代の再葬墓用の土器棺は普通の土器とあまり変わりませんね。

 石包丁。



 確かに、この石包丁の分布図を見ると、福島や宮城が弥生時代に稲作が盛んだったのがよく分かりますね。



 弥生土器もいろいろな種類があって、まずは在地系で上野尻遺跡出土の弥生時代初頭の土器です。



 こちらの鳥内遺跡出土の土器は東海地方の水神平(すいじんびら)式土器の系譜に連なる条痕文(じょうこんもん)土器です。



 つぎに北九州の遠賀系土器で伊達市の根古屋遺跡から。



 三島町の荒屋敷遺跡出土で国指定重要文化財。



 遠賀川式に影響を受けた土器の分布図もあります。



 弥生時代中期の土器。





 天王山式土器。



 珍しいものを発見!

 土器の蓋です。



 もちろん縄文時代から土器に蓋をするケースはあったと思いますが、木製の蓋が多かったのかもしれません。

 木製の場合はまず残りませんからね。

 というわけで、弥生時代の展示を見ましたのでつづいて古墳時代の展示を見ましょう。

 ※次の古墳時代の展示に関しては、この後探訪した大塚山古墳のレポートの中であわせてご紹介します。

 さて、奈良時代以降もまだまだ豊富な展示が続きますが、全部解説したら大変なことになりますので、もう何点か面白いものをご紹介して終わりにします。

 皆さんが好きそうな資料その1、東北地方の古代官道。



 皆さんが好きそうな資料その2、福島県内の郡衙と古代寺院。



 阿津賀志山の戦い関連。









 国見町には文化財センター「あつかし歴史館」ができていますので、近いうちに行ってみたいです。

 バス。



 この部屋も面白そうだ!



 1500万年前の日本列島。



 300万年前の日本列島。



 300万年前というと、まだ私たちホモ属の高祖であるホモ・ハビリスも登場していませんね。

 260万年前にホモ・ハビリスが石器を発明して、それ以降が旧石器時代という呼び名になります。

 というわけで、時計を見ると11時50分。

 やっぱり予定時間を超過してしまいました・・・

 ということで、今日は懐かしの鶴ヶ城の見学はできません。

 24歳の時に初めて訪れて城マニアになるきっかけとなった鶴ヶ城ですが、また今度ゆっくり歩きたいと思います。

 つづいて大塚山古墳へ向かいますよ。



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