全行程を終え、幕府へ戻ります。
でも今日は高速道路を使えないのです。
なぜ使えないかというと・・・
ETCカードってクレジットカードからの引き落としですよね。
そのカードが・・・
そして財布にはいつもと同じでほとんど現金が入っていないので・・・
茨城から高尾は遠いなあ!
とりあえず適当に走っていると、たまたま石岡市の舟塚古墳の前に来ました。
こうして、何も考えずに走っている街道というのは、古くからの交通路の可能性があって、自動的に沿道には史跡が多いので遭遇する確率も高まります。
そういえば、一昨年こちらに来たときは、舟塚古墳の見学中に雷雨に見舞われ、すぐ隣にある愛宕山古墳の見学を断念していました。
ついでだ、寄っちゃえ!
街道沿いに両古墳の見学用に駐車場があります。
そこに雷電號を停めて探訪開始。
まずは愛宕山古墳から。
後円部が現れましたよ。

周溝の形跡。

説明板見っけ。

全長96.6メートルを誇る大型の前方後円墳で、築造時期は古墳時代後期の6世紀ですね。
墳丘図を拡大。

墳丘図の通り、墳丘の西側が削られており、建物が建っています。

後円部には小祠があります。

墳丘からの眺め。

後円部から前方部を見ます。

古墳チラリズム。

舟塚山古墳の墳丘が少し見えています。
墳丘図でも後円部にえぐられた跡が示されていますが、こんな感じです。

坪井先生の発掘の形跡というよりかは、盗掘の跡のように思えます。
しかしきれいに整備されていて美しいですね。

天候が良くなくて写真映えしないのが残念です。
私は晴れ男を自認しているのですが、どういうわけか常陸国に来ると天気が悪い日が多いです。
筑波山の女神に嫌われているのかな?
子供の頃は千葉県の松戸に住んでいて、筑波山はいつも遥拝していたのですがね。
さきほどよりもよく舟塚山古墳が見えますね。

前方部から後円部を見ます。

東側や南側の麓にも民家や畑が迫っています。

周溝のラインは確認できません。

それではこのまま歩いて舟塚山古墳へ行きましょう。
⇒この続きはこちら
でも今日は高速道路を使えないのです。
なぜ使えないかというと・・・
ETCカードってクレジットカードからの引き落としですよね。
そのカードが・・・
そして財布にはいつもと同じでほとんど現金が入っていないので・・・
茨城から高尾は遠いなあ!
とりあえず適当に走っていると、たまたま石岡市の舟塚古墳の前に来ました。
こうして、何も考えずに走っている街道というのは、古くからの交通路の可能性があって、自動的に沿道には史跡が多いので遭遇する確率も高まります。
そういえば、一昨年こちらに来たときは、舟塚古墳の見学中に雷雨に見舞われ、すぐ隣にある愛宕山古墳の見学を断念していました。
ついでだ、寄っちゃえ!
街道沿いに両古墳の見学用に駐車場があります。
そこに雷電號を停めて探訪開始。
まずは愛宕山古墳から。
後円部が現れましたよ。

周溝の形跡。

説明板見っけ。

全長96.6メートルを誇る大型の前方後円墳で、築造時期は古墳時代後期の6世紀ですね。
墳丘図を拡大。

墳丘図の通り、墳丘の西側が削られており、建物が建っています。

後円部には小祠があります。

墳丘からの眺め。

後円部から前方部を見ます。

古墳チラリズム。

舟塚山古墳の墳丘が少し見えています。
墳丘図でも後円部にえぐられた跡が示されていますが、こんな感じです。

坪井先生の発掘の形跡というよりかは、盗掘の跡のように思えます。
しかしきれいに整備されていて美しいですね。

天候が良くなくて写真映えしないのが残念です。
私は晴れ男を自認しているのですが、どういうわけか常陸国に来ると天気が悪い日が多いです。
筑波山の女神に嫌われているのかな?
子供の頃は千葉県の松戸に住んでいて、筑波山はいつも遥拝していたのですがね。
さきほどよりもよく舟塚山古墳が見えますね。

前方部から後円部を見ます。

東側や南側の麓にも民家や畑が迫っています。

周溝のラインは確認できません。

それではこのまま歩いて舟塚山古墳へ行きましょう。
⇒この続きはこちら
石岡ってのだけでまた勝手に甲斐に頭が行ってしまうんですけど雷もキーワード。
古墳の時代が6世紀始めってまた超好みです。
近畿の途切れた歴史繋がりそうですよね、聖徳太子が出てくるちょっと前、ワクワクします。
石岡は超凄い場所ですよねー!