日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

小宮古墳|東京都八王子市 ~北大谷の王の系譜を引く小宮の有力者の墓~

2020-06-08 21:27:08 | 歴史探訪

1.基本情報                           


所在地


東京都八王子市久保山町1丁目


※古墳があった場所は宇津木台南公園から100mほど東

現況


墳丘は湮滅し跡形もない

史跡指定


なし

出土遺物が見られる場所



2.諸元                             


築造時期


7世紀第三四半期

被葬者像


「4.考察」を参照

墳丘


形状:円墳
周溝内径:19m
段築:不明
周溝:1重
主体部数:1基
埴輪:なし
葺石:なし

周溝


幅1.5~3m

主体部


河原石積みの横穴式石室
玄室(長さ2.4m)、羨道(同2.4m)、「ハ」の字に開いた墓前域(同2.4m)
玄室は胴張り

出土遺物


木棺に使用した鉄釘

3.探訪レポート                         


2010年9月9日(木)


 小宮古墳は、東京都の遺跡地図を見ると久保山町1丁目にあり、JR八高線の小宮駅から歩いて行ける場所にあるようです。

 ラッシュが一段落した後の通勤特快に乗り、まずは八王子へ向かいます。



 八王子で八高線に乗り換え、2駅目の小宮駅で下車します。

 住宅街の中をトボトボ歩き、遺跡地図に記されたあたりに来てみましたが・・・

 この辺にあると思うのですが、墳丘らしきものは見つかりません。



 念のため周辺を歩きますが、完全な住宅街です。

 潔く諦めましょう。

4.考察                             


補足(2020年6月8日)


 10年前に探訪した頃はまだ古墳めぐりを始めたばかりだったのでよく分からなかったのですが、小宮古墳は昭和56年に土地区画整理事業に伴い発掘されており、古墳はもうありません。

 「探訪レポート」の写真の森の部分が崩されずに残っており、当時は森の中にあるのかなと思いましたが、『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』にも墳丘は「消滅」と書いてあります。

 『新八王子市史 資料編1 原始・古代』に掲載された宇津木台遺跡群の図面と「標高140m地点」という記述をもとに「今昔マップ」の各時期の地形図を見比べた結果、現在マンションが5棟建っている場所の数十メートル西側にあったことが分かりました。

 現在その場所は丘がゴッソリ削られて道路になっています。

 さて、古墳自体のスペックは、幅1.5mから3mの周溝を伴う、内径19mの円墳で、河原石積みの横穴式石室を内蔵しています。

 『多摩の古墳』に掲載されている図をご覧ください。


※『多摩の古墳』(八王子市郷土資料館/編)を加筆転載

 石室は長さ2.4mの玄室と、長さ2.4mの羨道、それに長さ2.4mで外側に開いた墓前域を備え、墓前域まで含めると全長7.2mの石室となります。

 玄室は胴張りです。

 7.2mの石室は同じ時代の群集墳と同じように考えてはならず、後述する通り八王子地方でそれなりに幅を利かせていた有力者の墓だと考えられます。

 出土したものは木棺に使用した鉄釘のみですが、関東地方では鉄釘は7世紀中期以降の古墳から出土するため、築造は7世紀第三四半期と考えます。

 そうすると、八王子市内最大の北大谷古墳の孫の世代くらいになるでしょう。

 被葬者像としては、墓前域が「ハ」の字に開く構造が武蔵府中熊野神社古墳や三鷹市天文台構内古墳と同様であり、両古墳の築造時期は小宮古墳と同時期だと考えられるため、どちらかの古墳が飛鳥の王権から多摩川流域全体の支配権あるいは監察権を持たされていた時期に、そのもとで八王子地方を治めた首長で、谷地川水系を本貫とする北大谷の王の系譜を引く人物と想定します。

5.参考資料                           


・『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 多摩地区所在古墳確認調査団/編 1995
・『特別展 多摩の古墳』 八王子市郷土資料館/編 2009
・『新八王子市史 資料編1 原始・古代』 八王子市市史編集委員会/編 2013


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