明日は野毛大塚古墳もご案内するので、今日の下見ではついでに、野毛大塚古墳から出土した遺物のレプリカ(本物は重要文化財指定となり国が持って行ってしまった)や解説展示がされている世田谷区立郷土資料館に行ってみようと思います。
そしてさらについでに、世田谷城跡も見てみたい。
手元の記録を見ると、世田谷区立郷土資料館と世田谷城跡には、1999年4月10日に元妻と二人で探訪しています。
あ、正確には娘がすでに元妻のお腹の中でスクスクと育っていたので3名でしょうか。
娘はその後、歴女になりましたが、こういうのも胎教の一つです。
高尾を出て京王線で下高井戸駅まで移動。
そうえいば、19年前に探訪した時はまだ杉並区の久我山に住んでおり、当時は世田谷吉良氏に興味を持ち始めた頃でした。
19年経つと東急世田谷線もこうなっているのか・・・
昔は緑色をしていたぞ。
超久しぶりに世田谷線に乗ります。
運賃が一律150円(SUICAなら144円)というのは安いですね。
私がダスキンに通勤するときに使っているバスは一律運賃で180円取りますよ。
さて、最初の目的地である世田谷城跡へ行くには、宮の坂駅で降りるといいです。
ほどなくして宮の坂駅に到着。
対向車両を撮影。
おや、対向ホームの向こうに緑色の車両が展示されていますよ。
おー!
江ノ電か!
中にも入れるようになっていますよ。
独り言を言いつつ満面の笑みを浮かべて車内へ飛び込むと、あ、先客がいた!
小さなお子さんを連れた若いママさんがいて、ニッコニコしている顔を見られてしまいました。
恥ずかしい・・・
そのママさんもそれなりのカメラを持っています。
私も負けずに撮影。
車内の広告を張り付ける壁面には昔の鉄道関係の写真が貼ってあって楽しいです。
いいねえ。
おっと、いきなり寄り道をしてしまった。
世田谷城跡へ向かいますよ。
宮の坂駅から5分ほど歩いて世田谷城跡へ到着。
懐かしい・・・
途中、豪徳寺がありましたが今日はスルーしました。
説明板は新しいですね。
上の図の説明の通り、現在は豪徳寺の境内となっている場所を吉良氏の平時の館と想定し、そこも城域に加えると広大な範囲となります。
その中で、現在公園として整備されているのは、郭(F)とその西側の土塁状の高まりのみです。
土塁状の高まりへ登ります。
反対側へ降り、空堀を挟んだ向こうの郭(F)を見ます。
堀底。
堀の分岐。
この堀の反対側は道路で終わっています。
郭(F)へ来ました。
西側には土塁がめぐっています。
フェンスの向こうは郭(C)ですが、上述の平面図を見るとまだ遺構が残っている気配がしますね。
実質、小さな郭が一つしか残っていない状況ですが、完全なる住宅街の中にあってもちゃんと「土の匂い」もしましたし、気持ちのいい公園です。
実は正直に白状しますと、19年前に来たときはまだ中世城館跡探訪のスキルがほぼゼロで、この公園内を歩いてもあまりピンと来ませんでした。
それが今では普通に構造などが理解できるから、人って成長するものですね。
別の説明板も建ってる。
19年前の探訪時に撮った説明板の写真はこちら。
BB弾に撃たれたあとかな?
ちなみに、19年前に郷土資料館に行ったときに、郷土資料館が刊行した『世田谷の地名』という上下巻の本を購入し、その後、同じく郷土資料館の『世田谷の中世城塞』という本の存在を知ったのですが、古書で買おうとしたところ偉い高値だったため、購入を断念し、図書館でコピーを取ってきました。
『世田谷の中世城塞』に載っている世田谷城跡の想像図はこちらです。
郭(F)は、この本で「南郭」と呼ばれていますね。
私はもともと地形図とか地名とかそういったものが好きだったのですが、当時『世田谷の地名』にドはまりして、『世田谷の中世城塞』とともに夢中になって貪り読み、そしてそれをもとに世田谷の歴史探訪を楽しみました。
さて、世田谷城跡の現状は上述のようにあまり戦国城郭っぽくないですが、都区内にこれだけの遺構が残っていることは奇跡に近いかもしれませんよ。
それでは、世田谷区立郷土資料館へ向かいます。
(つづく)
そしてさらについでに、世田谷城跡も見てみたい。
手元の記録を見ると、世田谷区立郷土資料館と世田谷城跡には、1999年4月10日に元妻と二人で探訪しています。
あ、正確には娘がすでに元妻のお腹の中でスクスクと育っていたので3名でしょうか。
娘はその後、歴女になりましたが、こういうのも胎教の一つです。
高尾を出て京王線で下高井戸駅まで移動。
そうえいば、19年前に探訪した時はまだ杉並区の久我山に住んでおり、当時は世田谷吉良氏に興味を持ち始めた頃でした。
19年経つと東急世田谷線もこうなっているのか・・・
昔は緑色をしていたぞ。
超久しぶりに世田谷線に乗ります。
運賃が一律150円(SUICAなら144円)というのは安いですね。
私がダスキンに通勤するときに使っているバスは一律運賃で180円取りますよ。
さて、最初の目的地である世田谷城跡へ行くには、宮の坂駅で降りるといいです。
ほどなくして宮の坂駅に到着。
対向車両を撮影。
おや、対向ホームの向こうに緑色の車両が展示されていますよ。
おー!
江ノ電か!
中にも入れるようになっていますよ。
独り言を言いつつ満面の笑みを浮かべて車内へ飛び込むと、あ、先客がいた!
小さなお子さんを連れた若いママさんがいて、ニッコニコしている顔を見られてしまいました。
恥ずかしい・・・
そのママさんもそれなりのカメラを持っています。
私も負けずに撮影。
車内の広告を張り付ける壁面には昔の鉄道関係の写真が貼ってあって楽しいです。
いいねえ。
おっと、いきなり寄り道をしてしまった。
世田谷城跡へ向かいますよ。
宮の坂駅から5分ほど歩いて世田谷城跡へ到着。
懐かしい・・・
途中、豪徳寺がありましたが今日はスルーしました。
説明板は新しいですね。
上の図の説明の通り、現在は豪徳寺の境内となっている場所を吉良氏の平時の館と想定し、そこも城域に加えると広大な範囲となります。
その中で、現在公園として整備されているのは、郭(F)とその西側の土塁状の高まりのみです。
土塁状の高まりへ登ります。
反対側へ降り、空堀を挟んだ向こうの郭(F)を見ます。
堀底。
堀の分岐。
この堀の反対側は道路で終わっています。
郭(F)へ来ました。
西側には土塁がめぐっています。
フェンスの向こうは郭(C)ですが、上述の平面図を見るとまだ遺構が残っている気配がしますね。
実質、小さな郭が一つしか残っていない状況ですが、完全なる住宅街の中にあってもちゃんと「土の匂い」もしましたし、気持ちのいい公園です。
実は正直に白状しますと、19年前に来たときはまだ中世城館跡探訪のスキルがほぼゼロで、この公園内を歩いてもあまりピンと来ませんでした。
それが今では普通に構造などが理解できるから、人って成長するものですね。
別の説明板も建ってる。
19年前の探訪時に撮った説明板の写真はこちら。
BB弾に撃たれたあとかな?
ちなみに、19年前に郷土資料館に行ったときに、郷土資料館が刊行した『世田谷の地名』という上下巻の本を購入し、その後、同じく郷土資料館の『世田谷の中世城塞』という本の存在を知ったのですが、古書で買おうとしたところ偉い高値だったため、購入を断念し、図書館でコピーを取ってきました。
『世田谷の中世城塞』に載っている世田谷城跡の想像図はこちらです。
郭(F)は、この本で「南郭」と呼ばれていますね。
私はもともと地形図とか地名とかそういったものが好きだったのですが、当時『世田谷の地名』にドはまりして、『世田谷の中世城塞』とともに夢中になって貪り読み、そしてそれをもとに世田谷の歴史探訪を楽しみました。
さて、世田谷城跡の現状は上述のようにあまり戦国城郭っぽくないですが、都区内にこれだけの遺構が残っていることは奇跡に近いかもしれませんよ。
それでは、世田谷区立郷土資料館へ向かいます。
(つづく)
で問題は世田谷城には行きたかったんですというのもお寺とお城は大抵意味深い配置になってますので。
結果的にその敷地が大きく考えると世田谷城ならば行けてたという事。
後での満足をこちらの情報から頂きました。
ありがとうございます。5949