日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

小山田古墳|奈良県明日香村 ~国内最大級の方墳は蘇我蝦夷の墓か~

2020-11-27 19:04:52 | 歴史探訪


小山田古墳は、ここ数年でその全貌が徐々に明らかになりつつある国内最大級の方墳で、今後の調査の進展に期待です。

遠くから眺めただけなので詳細不明

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


奈良県高市郡明日香村川原410



現況


学校構内

史跡指定



出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


7世紀前半以降

墳丘


形状:方墳
墳丘長:南辺は80m以上
墳高:
段築:
葺石:
埴輪:

主体部



出土遺物



周堀



 

3.探訪レポート                         


2020年9月4日(金)



この日の探訪箇所
【午前・大和古墳群】
星塚古墳および大和神社 → 馬口山古墳 → フサギ塚古墳 → 栗塚古墳 → マバカ古墳 → ノムギ古墳 → ヒエ塚古墳 → クラ塚古墳 → 波多子塚古墳 → 西山塚古墳 → 東殿塚古墳 → 西殿塚古墳 → 下池山古墳 → 中山大塚古墳
【午後・飛鳥】
岩屋山古墳 → 吉備姫王墓 → 梅山古墳(欽明陵) → 鬼の雪隠・鬼の俎板 → 小山田古墳 → 野口王墓(天武・持統陵) → 国営飛鳥歴史公園館 → 中尾山古墳 → 高松塚壁画館 → 高松塚古墳 → 文武天皇陵 → 檜隈廃寺跡 → キトラ古墳壁画体験館 → キトラ古墳


 ⇒前回の記事はこちら

 結局、この現場では私の実力を魅せる場面はなかった・・・



 このまま歩いて行くと天武・持統陵へは西側からアプローチするのが近道ですが、ちょっと遠回りして、東側からアプローチしたいと思います。



 古墳周辺の地形を確認したいのと、もう一点、最近Webで読んだ「小山田(こやまだ)古墳」の近くまで行ってみたいのです。

 今回の旅に出る前にWebで調査をしていたら、日経新聞のWebサイトの2017年3月1日の記事に、明日香村の小山田遺跡にて横穴式石室の羨道の遺構を発見し、それが一辺約70mの巨大方墳であると見られると書いてありました。

 発掘調査は橿原考古学研究所(橿考研)が行っており、橿考研では遺跡名を「小山田古墳」に改め、引き続き発掘調査を行うとありました。

 そのため、今回は場所だけでも見ておこうと思っているのです。

 古墳は養護学校の敷地内にあります。

 あちらの丘の上ですね。


 
 墳丘の規模のみならず、石室の規模においても石舞台古墳を上回るとされ、被葬者については、橿考研は滑谷岡(なめはさまのおか)に葬られた後に押坂陵(おしさかのみささぎ)に改葬された舒明天皇と考えているようですが、石舞台の被葬者と考えられている蘇我馬子の子の蝦夷の可能性もあるとの意見が出されているようです。

 さらに、2019年1月31日付の「朝日新聞 DIGITAL」によれば、その後の調査で、北辺の長さは約70mですが、南辺の長さは80mを超えることが明らかになったそうです。

 この文面をそのまま読むと、方墳ではありますが台形になってしまうことから、南側は地形が低くなっているため、もしかすると南側には基壇部分のようなものがあって段築になっていたのではないかとか、そういった想像もできて楽しいです。

 まあ、いずれにしてもこの大きさは、千葉県栄町の龍角寺古墳群にある岩屋古墳(長辺約78m)に匹敵するかやや上回っており、東国の人間としては「負けた感」が否めません。


※岩屋古墳

 というか、そもそも天下の大王に勝てるはずがないんですがね。

 千葉県出身者としては残念な気持ちですが、小山田古墳の姿がもっと明らかになってくるのを楽しみにしています。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・日経新聞のWebサイト 2017年3月1日付
・朝日新聞DIGITAL 2019年1月31日付



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