1.基本情報
所在地
埼玉県行田市小見1124
2.諸元
3.探訪レポート
2020年2月22日(土) クラブツーリズムにてご案内
この日の探訪箇所
真観寺に到着すると、若いご住職が出迎えてくださいました。
古墳を見学させていただく前にご住職から説明があり、それによると、古墳を見に来る方のためにご住職じきじきにチェーンソーを振るって古墳を整備してくださっているとのことです。
確かにここからチラッと見える墳丘の光景が以前来た時と違って土色に輝いているんですよね。
まずは仏様に手を合わせます。
お参りが済んだ方から古墳へ行ってみましょう。
おーっ!
本当だ、綺麗になってる!
これはありがたいです。
前回、東国を歩く会で来た時はなぜか下の南側に開口している石室を見なかったのですが、今日はまずはそちらから行ってみますよ。
緑泥片岩で作られた横穴式石室で、こちらを第1主体部と呼びます。
前室と玄室からなり、玄室への出入り口部分にあたる玄門は一枚岩を刳り抜いて造っていますが、ご覧の通り現在は左上の部分が欠けています。
しかし関東の古墳では、こういう玄門はまず無いんじゃないでしょうか。
珍しいです。
前室は奥行き2.41m、幅2.24mのほぼ正方形で、高さは2.33mあります。
そして玄室もほぼ正方形で、奥行き2.62m、幅2.33m、高さは珍しく前室よりも低くて2.02mです。
でも、これくらいの広さと天井高があるとかなり快適ですよ。
皆様と石室内ではしゃぎます。
本当に大人数名が余裕で入れる広さです。
玄室の床には溝があるのですが、『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』(塩野博/著)によると、箱式石棺があったのではないかとしており、また本来は羨道もあったと推定しています。
いい石室でしたねえ。
つづいて、墳丘に登ってみます。
今日は快適!
上の鞍部の石室(?)を見てみます。
前回来た時にはまだ『埼玉の古墳』を読んでいなかったのですが、該書によるとこれは石室ではなく、箱式石棺とのことです。
なるほど、この石が現在開いてしまっている北側の部分に使われていたんですね。
こちらもやはり緑泥片岩で、この古墳では上毛野の角閃石安山岩は使われていないようです。
ただし、箱式石棺と言っても現状では、全長2.8m、幅1.76m、高さ1.12mを測り、箱式石棺にしては異様に大きいです。
後円部墳頂。
今日は歩きやすくていいです。
小見真観寺古墳の築造年代は、出土した銅鋺の編年を見ると7世紀後半の可能性もなくも無いようですが、いくら関東地方でも7世紀後半、つまり大化改新後の前方後円墳はないはずなので、他の遺物から6世紀末から7世紀初頭と考えられ、埼玉県で最後の前方後円墳だと考えられます。
ちなみに、日本書紀に記載されている「武蔵国造の乱」の主人公である笠原直使主(かさはらのあたいおみ)の「使主」と、この地の「小見」の発音が似ており(正確には「お」と「を」の違いを考慮する必要があるらしいですが)、この小見真観寺古墳が使主の墓であるというのは、以前は半ば通説化していたとのことです(上述書による)。
もし、使主と小杵との争いが埼玉古墳群の周辺での一族での争いだったとすると、上毛野の角閃石安山岩を使っていないこの小見真観寺古墳が使主の墓で、使っている栢山天王山塚古墳が小杵の墓と考えても面白いかも知れません。
日本書紀のオンライン講座でも話している通り、私は継体から安閑、宣化、欽明にかけての時期は、日本書紀に記されている年代はほとんど気にせず、安閑元年にあったとされる武蔵国造の乱は、実際の記事の元となった事件の発生年代は、6世紀中葉から後半にかけて広く見ています。
さて、上述書によると小見古墳群にはこの小見真観寺古墳のほか、前方後円墳の虚空蔵山古墳と、円墳の天神山古墳および籠山古墳跡があり、往時は10~20基程度の古墳があったということですが、つぎは隣接している虚空蔵山古墳へ行ってみますよ。
(つづく)
※『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』(塩野博/著)には、出土遺物の図面が多数載っていますが、『出雲市の文化財報告 中村1号墳 本文編(第1分冊)』(出雲市教育委員会/編)の204ページに、小見真観寺古墳出土の圭頭大刀の図面が掲載されています。
2017年8月6日(日) 東国を歩く会 夏期古墳講習⑤
この日の探訪箇所
若小玉古墳群に属する八幡山古墳の横穴式石室を見学した後は、今度は小見古墳群に属する小見真観寺古墳(おみしんかんじこふん)へ行きましょう。
小見古墳群の位置はこちらをご覧ください。
※『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』(高橋一夫著・新泉社刊)より転載
小見真観寺古墳は、その名の通り、真観寺というお寺の近くにあるようなので、まずは駐車場を探します。
でも、古墳の駐車場は無いようですね。
仕方がないので、真観寺の駐車場に停めさせていただきます。
ところで、さきほどの八幡山古墳で手持ちのデジイチの調子が悪くなったので、ここからはコンデジを使うとします。
趣のある山門だ。
本堂。
真観寺は真言宗智山派のお寺で慈雲山福聚院と号し、開山は瀧憲鏡阿闍梨(仁冶3年<1242>寂)で、慶長9年(1604)には江戸幕府から寺領10石の朱印状を拝領したそうです。
古墳は位置的には本堂の裏手のはずなので行ってみましょう。
立派な正観音堂だ。
お、ありましたぞ!
さっそく墳丘に登ります。
これは石室の石でしょう。
古墳自体はほとんど木々に覆われており、墳丘の形を確認することはできません。
鞍部から前方部を見ます。
おっと、石室がありましたよ。
中には入ろうと思えば入れますが、ちょっと危ないかも。
皆で石室内の撮影を試みます。
ところが、どう頑張っても私のコンデジのストロボがつきません。
城跡とか古墳とかを歩いていて、急にデジカメの調子が悪くなることがたまにあります。
そして、もっと稀に、変なものが写ることがありますが、まあ、仕方がないことですね。
結局、石室内の写真は撮れなかった・・・
説明板によると小見真観寺古墳では二つの横穴式石室が見つかっており、一つは後室のみを残して壊れているとのことでしたが、この石室がそれかもしれませんね。
しかしそれにしても藪蚊が凄い。
早く退散しましょう。
鞍部から前方部を見ます
境内まで戻ってくると、石室の天井石らしい立派な石が無造作に置かれていました。
仁王門。
時刻はすでに16時半。
もう一箇所は回れますね。
真観寺古墳から歩いて行ける範囲で古墳が2つあるそうですが、時間の関係上、最後に真名板高山古墳を見て、今日の古墳めぐりを締めましょう。
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