


稲荷山古墳群にはかつて前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳が合計10基と横穴墓が9基あり、多様な古墳があることから「古墳のデパート」との異名を持ちましたが、現在は前方後方墳の16号墳を含め3基の古墳が保存されています。





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*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
神奈川県横浜市青葉区大場町156-10ほか
現況
古墳公園のような感じ
史跡指定
神奈川県指定史跡
指定日:昭和45年(1970)3月24日
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
墳丘
16号墳
形状:前方後方墳
墳丘長:37.5m、後方部幅:15.5m、前方部幅:14m
墳高:
段築:
葺石:
埴輪:
主体部
出土遺物
底部穿孔壺形土器など
周堀
3.探訪レポート
2015年7月14日(火)
この日の探訪箇所
都筑郡家跡(長者原遺跡) → 稲荷前古墳群
都筑郡家跡を見た後は、以前から気になっていた稲荷前古墳群もチョロッと見てみます。
地図を頼りに古墳群に近接すると、おっと、ちゃんと駐車場がありますよ。
普通車であれば数台停められます。
しかしよくあることで、ちゃんと「稲荷前古墳群専用駐車場」と書いてあるのに、おそらくは関係ない人が停めているのではないかと思われます。
駐車場に停まっている台数分の人間が古墳にいるということは、まず無いんですよね。
というか、説明板の前ギリギリに停めるのやめて欲しい。
写真を撮りにくくて仕方がないです。
それでも無理に撮影。

かつては丘の上に10基の古墳と3つの横穴墓群があり、現在は15・16・17号墳が保存されているということですね。
なぜこの古墳群に惹かれるのかというと、何といっても前方後方墳があるからです。
前方後方墳の16号墳が保存された3基のうちに入っているというのが嬉しい!
古墳の配置図もありますよ。

古墳の数は10基なのに15号墳とか16号墳とかあって数が合わないなあと思ったら、綺麗に連番になっているわけではないんですね。
横穴墓の数は合計9基ですが探せばもっとありそうですね。
現在みられる古墳は15~17号墳ということで、この丘の一番南側で、これらの古墳の直下に駐車場があります。
付近にも横穴墓群がありますが、今日は時間の都合で行けません。

それでは、丘の上にある古墳へ行ってみましょう。

整備された階段を登って行きます。

お、なんかそれらしきものが見えてきましたよ。

おーっ、墳丘だー!

さっそく取り付きますが、丘の上にいきなり墳丘がポコポコあって、いったい何号墳を見ているのかしら。
登ってきた方を振り向きます。

とりあえず行けるところまで行ってみましょう。
もっとも北側にあって、少し形状が崩れているこの墳丘が方墳の15号墳でしょう。

さきほどの説明板には「規模不明」と書かれていましたね。
ということは、この大き目の古墳が前方後方墳の16号墳だな。
前方部から後方部を見ます。

そしてその南側にチラッと見えているのが、これまた規模不明な方墳の17号墳で、その先は地形が落ちていて丘が終わっています。

墳頂から南西方向の眺め。

多分、長津田方面じゃないかな。
見えませんが眼下にが鶴見川が流れており、この古墳群は鶴見川水系の古墳ということになります。
だいたい東側の眺望。

だいたい北側の眺望。

この丘はさらに北の方に続いているのですが、ここから北側は完全に住宅地と化しています。
本当にこの3墳のみが保存されたというわけですね。
いや、でもこんな住宅街にこれだけしっかりとした古墳が残っているというのは嬉しいです。
16号墳を後方部側から見ます。

墳丘長38mで、前期の前方後方墳では、40mくらいという古墳はよくあり、海老名市にある秋葉山古墳群の4号墳は37.5mということでほぼ同格、平塚の塚越古墳は45mくらいでちょっと負けてますがいい勝負です。
つまり、稲荷山16号墳は古墳時代前期では規模から見ても相模地方を代表する古墳と言っても良いわけです。
説明板がありますが、草に覆われています。

草をどかしながら何とか撮影します。
まずは文章による説明から。


16号墳はこちらに37.5mとあり、そうなると秋葉山4号墳と正確な形の比較をしてみたくなりますね。
規模不明と言われた15号墳は一辺が12mの方墳ということです。
周溝らしきものは見えませんでしたが、一応あるんですね。
16号墳の築造時期は4世紀後半ということで、出土した土師器を見て見ないと何とも言えませんが、もっと早い時期かもしれません。
墳丘図。

遺物の写真もありますが、この写真を手掛かりに築造時期を考えるのは難しいかも知れません。

お、鶴見川上・中流域の古墳編年。

これはマニアックですね。
そして現在残っている3墳の配置図です。

今日は天気も最高で墳丘の上は気持ちよい!

神奈川県の最古級の古墳を探っていくと、既述した秋葉山古墳群の4号墳が最古級で、同古墳群の3号墳も甲乙つけがたいですが、3世紀半ばまで遡る可能性が高いです。
秋葉山古墳群は相模川流域の王の墓ですが、それよりやや遅れて、金目川流域の王墓である塚越古墳やこの鶴見川流域の王墓である稲荷前16号墳が築造されたということになります。
神奈川県は関東地方の他県と比べてそれほど大きな古墳は多くないのですが、その希少価値のある大型古墳の多くが破壊されてなくなっているという残念な状況を呈しており、あまり詳しいことは分からないのです。
そして、関東の他県と比べてヤマトに近いというせいもあると思いますが、いち早くヤマト王権の直轄地になっていった様子が分かります。

稲荷前古墳群は鶴見川水系の勢力ですが、鶴見川の下流には、3世紀後半から4世紀にかけて、川崎市の加瀬白山古墳や横浜市の観音松古墳といった100m級の大型前方後円墳が築造されます。
その二つの古墳は多摩川右岸の古墳と見ることもでき、位置的に多摩川と鶴見川の2つの水系を支配していた可能性があり、稲荷前古墳群の被葬者は、そのどちらかの古墳の被葬者の支配下にあったのかもしれません。
何しろその2墳も今はもうなくなってしまっており、本当に神奈川の古墳は良く分かりません。
まあ、良く分からないとかいって諦めてはいけませんから、今後も調査を続行するつもりです。

名残惜しいですが、帰らなければ。
(了)
4.補足
5.参考資料
・現地説明板