日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

吉備津彦神社|岡山県岡山市北区 ~四道将軍伝承の謎を孕む~ 【備前・備中古代史探訪 ⑨】

2018-10-06 21:23:32 | 歴史探訪
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 赤磐市の両宮山古墳の見学を終えて、今度は岡山市北区まで戻り、吉備津彦神社へ参拝します。

 高速を使った方が早そうに思えましたが、カーナヴィは下道を指示したので、大人しくそれに従います。

 岡山には吉備津彦神社と吉備津神社があり、名前が似ているので紛らわしいですが、吉備津彦神社は備前の一宮で、吉備津神社は備中の一宮です。

 ただ、位置も近く、吉備の中山という小丘陵を挟んで両側にあるのです。

 その中山が備前と備中との国境となっているわけです。

 40分ほど走り、吉備津彦神社に到着しました。





 大きな神社ですが、平日の夕刻近くということもあってか、参拝客はまばらです。





 祭神を絡めて吉備の古代史を雄弁に語りたいところですが、今現在はまったくの知識不足のため、何も話すことはできません。



 何しろ、今日は吉備の歴史めぐりのファーストタッチですからね。

 石段を登り拝殿へ向かいましょう。





 拝殿のサイドへ回ります。

 あれ、こちらにも出入り口がありますよ。



 いや、珍しい造りですね。

 拝殿の背後には祭文殿という建物があります。



 その後ろに渡殿があり・・・



 そして本殿です。





 反対側から本殿を見ます。



 流造りで檜皮葺きの屋根って一番カッコいいかもしれない。

 あまり時間がないので、境内社はすべて参拝することはできません。

 おや、桃太郎がいるぞ!





 水曜日のカンパネラもフィーチャーしていますが、桃太郎はよくこのような貧弱なメンバーで鬼退治に行きましたね。

 そして犬と猿と雉はよく、吉備団子で命を捨てるような戦いに加わったものと感心します。

 実は桃太郎のストーリーは覚えていないのですが、彼らは相当義侠心に富んだ連中ではないでしょうか。

 また、こんな弱小チームで鬼に戦いを挑んだ桃太郎についてももっと高い評価を与えていいと思います。

 ちなみに日本各地には鬼退治の伝承があり(先日訪れた壱岐にもあります)、この話がどのような史実を含んでいるのか、非常に興味があります。

 さて、ここまでで備前国の史跡めぐりは終了です。

 この後は、時間が許す限り備中国の史跡巡りをしようと思います。

 吉備津神社、造山古墳、作山古墳、楯築墳丘墓などなど、行きたいところはたくさんありますが、残り時間も少なくなってきましたぞ!

 ⇒この続きはこちら

*     *     *


 それでは、ここまでのまとめです。

 この日の備前探訪では以下の場所をめぐりました(遠くから眺めた古墳も含む)

 ・神宮寺山古墳(岡山市北区)
 ・幡多廃寺塔跡(岡山市中区)
 ・備前国庁跡(同上)
 ・賞田廃寺跡(同上)
 ・中世山陽道(同上)
 ・牟佐大塚古墳(赤磐市)
 ・備前国分寺跡(同)
 ・備前国分尼寺跡(同上)
 ・両宮山古墳(同上)
 ・茶臼山古墳(同上)
 ・森山古墳(同上)
 ・廻り山古墳(同上)
 ・吉備津彦神社(岡山市北区)

 新幹線の遅延で岡山到着が2時間遅れたため、予定よりも数が少なくなりましたが、それでも主な古代遺跡はめぐれたと思います。

 できれば以下の古墳(国指定史跡)へも行ってみたかった。

 ・鶴山丸山古墳(備前市) ・・・ 三角縁神獣鏡ほか30枚以上の鏡が出土した備前最大の円墳
 ・尾上車山古墳(岡山市北区) ・・・ 墳丘長138.5mの臨海型前方後円墳
 ・浦間茶臼山古墳(岡山市東区) ・・・ 墳丘長138mの吉備最古級の前方後円墳で箸墓古墳の2分の1相似形

 また、探訪のあとクラツーのお客様から「面白いものがあるよ」と教えていただき知ったのですが、赤磐市には奈良時代の仏教遺跡である熊山遺跡があり、一見の価値があると思っています。

 今回の旅では美作国内には足を踏み入れていないので、次回は上述の遺跡に加え美作方面も探訪してみたいと思います。


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