*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
千葉県松戸市栗山
現況
浄水場から道路を挟んだ西側の雑木林の中に半壊した古墳が1基現存
史跡指定
出土遺物が見られる場所
松戸市立博物館?
2.諸元
築造時期
6世紀前半
被葬者像
墳丘
形状:円墳
周溝
主体部
出土遺物
円筒埴輪、形象埴輪(人物、馬、家、大刀、鞆)
3.探訪レポート
歴史を歩こう協会 第7回歩く日⑦ 2020年6月14日(日)
⇒前回の記事はこちら
ついに雨が降ってきましたが、梅雨ですから仕方がないですね。
でもこの時期の少々の雨でしたら、むしろ風情があって良いです。
ところどころ、紫陽花が咲いているし。
つづいて松戸市内にある栗山古墳群を目指します。
あ、ここは本を読んでいて出てきた総寧寺だ。
ちょっと寄り道してみましょう。
説明板があります。
なんで戦国時代に後北条氏が近江のお寺を下総に移したんでしょうね?
境内にお邪魔します。
総寧寺は安国山と号する曹洞宗のお寺です。
このでかい五輪塔が説明板にあった小笠原政信夫妻の供養塔ですね。
小笠原政信は古河藩の2代藩主で、元和5年(1619)に関宿に移封されたので、そのときに総寧寺と縁ができたのでしょうか。
不思議な楼門。
これはいったい何でしょう?
最初はトイレかと思ったのですがそうではなく、納骨堂のようですがそうでもなく、中に仏様が見えます。
歴史のあるお寺ですがなかなかモダンなお寺でしたね。
では、引き続き歩きましょう。
次の栗山古墳群までは、金子さんにナヴィをお願いして私は楽をさせてもらいます。
雨が降っていると紙の地図を広げながらだと歩きづらいので助かります。
Google先生が指し示す道は、どうやら谷底の道のようですね。
道の両サイドが高くなっており、前回市川を歩いた時も同じような場所を歩きましたが、市川や松戸の下総台地には枝状に谷が入り組んでいるところが多いです。
武蔵野台地だと都心部分に似たような地形がありますが、多摩地域の方ではあまり見ない光景です。
谷底を少し進むと今度は上り坂が現れました。
栗山古墳群も台地の上にありますから、いったん谷に降りたらまた台地に登るのです。
いま歩いた谷が市境になっているのですが、研究者によっては谷を境に明確に国府台古墳群とこれから訪れる栗山古墳群を別個のものと考える人もいれば、栗山古墳群を国府台古墳群の支群として扱う人もいます。
私的には、やはり谷がありますから、別個にしたい気分ですが、今後よくよく考察してみようと思います。
台地に上がると前方に浄水場らしきものが見えてきました。
近くにあるはずですよ。
あった!
標柱が見えます!
着きましたねえ。
栗山古墳です!
「群」とは書いてないですね。
標柱は立っていますが、その裏は雑木林になっており、道路側から覗いても墳丘らしきものは見えません。
結構ヤブが凄そうですが、なんとか入り込めそうな場所を見つけました。
中へ入って見ましょう。
あー、これですね。
何号墳か分かりませんが、ありましたよ。
つまりは、道路によって半分壊されちゃっているわけですね。
林の中は思ったより藪は凄くないですが、でもあまり歩き回りたいとも思いません。
他には墳丘らしきものはありませんね。
出ましょう。
道路から見るとこんな感じ。
草を取り除けば古墳の断面が見えるじゃない!
というわけで、私は生まれ故郷の松戸の古墳を初めて見ました。
嬉しいなあ。
初めて見たのがこの栗山古墳群になりましたが、栗山古墳群はこれでも松戸市を代表する古墳なんですよ。
松戸市内には前方後円墳はないようで、私が机上で知っている古墳で思いつくのは河原塚古墳群くらいです。
さて、お昼を少し回ってしまいましたが、堀之内貝塚へ行く前に矢切駅の近くにあるサイゼリヤでランチをしましょう。
今日はそれほど暑いわけではありませんが、やはり飲みたくなりますね。
安斉さんには申し訳ないですが、他の2名は飲みます。
今日は日曜なので平日ランチはやってなくてグランドメニューからチョイスです。
お気に入りのディアボーラ風ハンバーグ。
金子さんがグラスワインを頼むということで、それなら私も。
ひとまずゆっくり休憩してから午後の探訪を始めましょう。
(つづく)
4.補足
『市川市の古墳』によると、現在見られる古墳は私たちが見た半壊した古墳1基のみですが、周囲には2基の円墳の周溝が確認されています。
栗山古墳群からは見事な埴輪が出土しており、形象埴輪としては、人物、家、馬、大刀、鞆などがあり、それ以外にも円筒埴輪が出ていますが、それらは群馬県や埼玉県の窯で焼かれたものです。
それらの埴輪から栗山古墳群の築造時期は6世紀前半に遡ると考えられ、現在のところ、法皇塚古墳などの国府台古墳群より少し早いと考えられています。
5.参考資料
・現地標柱
・『市川市の古墳』 市川市考古博物館/編 2004年