⇒前回の記事はこちら
2日目(1月4日)の朝は近鉄奈良駅近くの東横INNで目覚めました。
私も結構ビジネスホテルは利用しますが、料金やサーヴィス、そして居住性などを総合的に判断した場合、一番気に入っているのが東横INNです。
私のように全国に行く人にとっては、全国の主要都市には必ずあって(対馬にもあります)均一なサーヴィスが受けられるというのは非常にありがたいのです。
そしてメンバーズクラブに入会して、公式サイトから予約して、さらに連泊の場合は2日目の掃除を不要にしてもらうなどすれば、どんどん割引されていきますよ。
さて、ホテルの宣伝はまあいいとして、今夜は大阪の方の東横INNに泊まるため、リュックにすべての荷物を詰め込んで出発です。
7時45分にホテルを出て、まずは近鉄に乗って鶴橋を目指します。
途中、生駒山の北側のトンネルをくぐり、いよいよ大阪府へ侵入。
今日は実質的に人生初の大阪歴史探訪です。
鶴橋駅ではJR大阪環状線に乗り換え大阪へ。
おーっと、大阪城だ!
※次の日探訪しました。
大阪では高槻行きへ乗り換えです。
神崎川を渡るとき、ダスキンの大きな工場が見えました。
そういえば、この辺の吹田市内にはダスキンの本社がありますよ。
でもまだ一度も行ったことがありません。
まあ、行っても話したことがある人は社長くらいなのですが(たった一度だけなので、当然社長は私のことは覚えていないと思います)。
都内の直営店で採用された私は豊臣政権に例えれば陪臣のようなものですから、本社は秀吉のいる大阪城のようなものですね。
いつか行ってみようっと。
ダスキンミュージアムでドーナツも作りたい。
摂津富田(せっつとんだ)駅に到着。
近鉄奈良駅発7時49分に乗ったのでちょうど1時間半掛かりました。
そうそう、本日の一発目は今城塚古墳です。
駅前には古墳への行き方を示した小さな看板がありますよ。

古墳に行くまで何箇所かにこの看板が出ているので、初めて来ても迷わずに到着できるようになっていますが、私はショートカットします。
おや、レンタサイクルだ。

え、1日借りて100円なの?
店頭に並んでいるのは電動はないですが、膝の怪我がなければ借りたな・・・
しかも「Since」って書いてある!
ゴメンナサイ、みうらじゅんさんの影響です・・・
バスも通る歩道のない道は車の交通量が多くかなりデンジャラス。
だから、さきほどの看板のような多少遠回りしても安全な推奨ルートがあるんですね。
あ、遺跡の説明板発見!

宮田遺跡ですか。

へー、中世前期の村の遺跡ですかー。
関東人からすると非常に珍しい。
私的には「郡家」という地名も気になります(こちらでは「ぐうけ」ではなく「ぐんげ」と呼んでいます)。

神社がありますね。

春日神社です。

由緒などが書かれたものはなく、詳細は不明です。
駅から23分歩いて古墳に到着!

神社に寄ったりしなければもっと早く着きますよ。

なるほど、今城塚は墳丘に登れるんですね。
楽しみだ。
現在地は前方部右側のエッジの部分です。
周堤に登り、墳丘を見ます。

周堤には円筒埴輪がズラーッと並んでいますね。
長軸方向の眺め。

さて、どういう経路で見ようかな・・・
よし、時計回りにしよう!
まずは周堤を歩き、前方部の左側へ進みます。

振り返って周堤を確認。

広いですね。

18メートルですか。
そういえば、今城塚の被葬者の可能性が極めて高い継体天皇は九州の筑紫君磐井と元々は仲良しでしたが、磐井の墓である岩戸山古墳も周堤の幅が広いです。
今城塚の墳丘長は190mで、岩戸山古墳は135m。
岩戸山は今城塚の約70%(3分の2ともいえる)の相似形です。
前方部左手のエッヂ部分が見えてきました。

長軸方向を向きます。


周堤のほか、墳丘に立て並べられた円筒埴輪の総数は6000本!
ひやー。
後円部へ向かって歩きます。

有名な埴輪祭祀ゾーンに来ましたよ。


同じような復元は、群馬県高崎市の保渡田古墳群にある八幡塚古墳でもなされていますね。

こちらの方がスケールが大きいのですが、赤色で彩色されていないのが残念です。

ちなみに保渡田八幡塚古墳はこんな感じ。

墳丘を見ると造り出し部分が見えますね。

埴輪の列は続きます。

後円部左手まで来ました。




では内側の周溝に降りてみます。


造り出しが気になるので墳丘左手を前方部へ向かって歩きますよ。



さて、20分ほどかけて外観を楽しみました。
関西の超大型古墳は大抵墳丘に登れないのですが、今城塚は違いますよ。
関東でいつもやっているように、つづいて墳丘に取り付きます。
いやらしい例えで汗顔の至りですが、貴方は意中の女性をただ眺めているだけで満足できますか?
古墳も同じことです。
さあ、登って想いを遂げましょう。
なんか、墳丘というよりか普通の山のハイキングコースみたい。

墳丘は樹木で覆われていますが、説明板が所々に設置してあります。


前方部へ登ってきたので、墳丘を後円部へ向かいます。

眺望はいまいちですな。

後円部も様々な土木的な工夫がされています。





後円部墳頂。

「継体さまー!」と独り言を発しながら、継体大王に謁見できた喜びをかみしめます。


今度は墳丘右手(南側)へ回ってみます。

お、こちらにも造り出しがある。

墳丘の裾部分には貼り石があるんですね。




後円部側へ戻りますよ。








おそらくこれで古墳自体はだいたい見たかなと思います。
墳丘でのプレイ時間は20分。
「もうちょっと頑張って!」と言われるかもしれません。
つづいて今城塚古代歴史館へ向かいます。

埴輪祭祀を外側から見ますよ。

まるでステージ上の楽団を見ているようですね。

こちらはトイレです。

今日は親子連れで賑わっていますよ。
説明板。

トイレの屋上には登れるようになっているようです。
登ってみましょう。


埴輪祭祀の説明板があります。



「いましろ 大王の杜」は古墳を楽しむための仕掛けが工夫されていて楽しいですね。
それでは古代歴史館へ行って、今城塚古墳について詳しく勉強してみましょう。
(つづく)
2日目(1月4日)の朝は近鉄奈良駅近くの東横INNで目覚めました。
私も結構ビジネスホテルは利用しますが、料金やサーヴィス、そして居住性などを総合的に判断した場合、一番気に入っているのが東横INNです。
私のように全国に行く人にとっては、全国の主要都市には必ずあって(対馬にもあります)均一なサーヴィスが受けられるというのは非常にありがたいのです。
そしてメンバーズクラブに入会して、公式サイトから予約して、さらに連泊の場合は2日目の掃除を不要にしてもらうなどすれば、どんどん割引されていきますよ。
さて、ホテルの宣伝はまあいいとして、今夜は大阪の方の東横INNに泊まるため、リュックにすべての荷物を詰め込んで出発です。
7時45分にホテルを出て、まずは近鉄に乗って鶴橋を目指します。
途中、生駒山の北側のトンネルをくぐり、いよいよ大阪府へ侵入。
今日は実質的に人生初の大阪歴史探訪です。
鶴橋駅ではJR大阪環状線に乗り換え大阪へ。
おーっと、大阪城だ!
※次の日探訪しました。
大阪では高槻行きへ乗り換えです。
神崎川を渡るとき、ダスキンの大きな工場が見えました。
そういえば、この辺の吹田市内にはダスキンの本社がありますよ。
でもまだ一度も行ったことがありません。
まあ、行っても話したことがある人は社長くらいなのですが(たった一度だけなので、当然社長は私のことは覚えていないと思います)。
都内の直営店で採用された私は豊臣政権に例えれば陪臣のようなものですから、本社は秀吉のいる大阪城のようなものですね。
いつか行ってみようっと。
ダスキンミュージアムでドーナツも作りたい。
摂津富田(せっつとんだ)駅に到着。
近鉄奈良駅発7時49分に乗ったのでちょうど1時間半掛かりました。
そうそう、本日の一発目は今城塚古墳です。
駅前には古墳への行き方を示した小さな看板がありますよ。

古墳に行くまで何箇所かにこの看板が出ているので、初めて来ても迷わずに到着できるようになっていますが、私はショートカットします。
おや、レンタサイクルだ。

え、1日借りて100円なの?
店頭に並んでいるのは電動はないですが、膝の怪我がなければ借りたな・・・
しかも「Since」って書いてある!
ゴメンナサイ、みうらじゅんさんの影響です・・・
バスも通る歩道のない道は車の交通量が多くかなりデンジャラス。
だから、さきほどの看板のような多少遠回りしても安全な推奨ルートがあるんですね。
あ、遺跡の説明板発見!

宮田遺跡ですか。

へー、中世前期の村の遺跡ですかー。
関東人からすると非常に珍しい。
私的には「郡家」という地名も気になります(こちらでは「ぐうけ」ではなく「ぐんげ」と呼んでいます)。

神社がありますね。

春日神社です。

由緒などが書かれたものはなく、詳細は不明です。
駅から23分歩いて古墳に到着!

神社に寄ったりしなければもっと早く着きますよ。

なるほど、今城塚は墳丘に登れるんですね。
楽しみだ。
現在地は前方部右側のエッジの部分です。
周堤に登り、墳丘を見ます。

周堤には円筒埴輪がズラーッと並んでいますね。
長軸方向の眺め。

さて、どういう経路で見ようかな・・・
よし、時計回りにしよう!
まずは周堤を歩き、前方部の左側へ進みます。

振り返って周堤を確認。

広いですね。

18メートルですか。
そういえば、今城塚の被葬者の可能性が極めて高い継体天皇は九州の筑紫君磐井と元々は仲良しでしたが、磐井の墓である岩戸山古墳も周堤の幅が広いです。
今城塚の墳丘長は190mで、岩戸山古墳は135m。
岩戸山は今城塚の約70%(3分の2ともいえる)の相似形です。
前方部左手のエッヂ部分が見えてきました。

長軸方向を向きます。


周堤のほか、墳丘に立て並べられた円筒埴輪の総数は6000本!
ひやー。
後円部へ向かって歩きます。

有名な埴輪祭祀ゾーンに来ましたよ。


同じような復元は、群馬県高崎市の保渡田古墳群にある八幡塚古墳でもなされていますね。

こちらの方がスケールが大きいのですが、赤色で彩色されていないのが残念です。

ちなみに保渡田八幡塚古墳はこんな感じ。

墳丘を見ると造り出し部分が見えますね。

埴輪の列は続きます。

後円部左手まで来ました。




では内側の周溝に降りてみます。


造り出しが気になるので墳丘左手を前方部へ向かって歩きますよ。



さて、20分ほどかけて外観を楽しみました。
関西の超大型古墳は大抵墳丘に登れないのですが、今城塚は違いますよ。
関東でいつもやっているように、つづいて墳丘に取り付きます。
いやらしい例えで汗顔の至りですが、貴方は意中の女性をただ眺めているだけで満足できますか?
古墳も同じことです。
さあ、登って想いを遂げましょう。
なんか、墳丘というよりか普通の山のハイキングコースみたい。

墳丘は樹木で覆われていますが、説明板が所々に設置してあります。


前方部へ登ってきたので、墳丘を後円部へ向かいます。

眺望はいまいちですな。

後円部も様々な土木的な工夫がされています。





後円部墳頂。

「継体さまー!」と独り言を発しながら、継体大王に謁見できた喜びをかみしめます。


今度は墳丘右手(南側)へ回ってみます。

お、こちらにも造り出しがある。

墳丘の裾部分には貼り石があるんですね。




後円部側へ戻りますよ。








おそらくこれで古墳自体はだいたい見たかなと思います。
墳丘でのプレイ時間は20分。
「もうちょっと頑張って!」と言われるかもしれません。
つづいて今城塚古代歴史館へ向かいます。

埴輪祭祀を外側から見ますよ。

まるでステージ上の楽団を見ているようですね。

こちらはトイレです。

今日は親子連れで賑わっていますよ。
説明板。

トイレの屋上には登れるようになっているようです。
登ってみましょう。


埴輪祭祀の説明板があります。



「いましろ 大王の杜」は古墳を楽しむための仕掛けが工夫されていて楽しいですね。
それでは古代歴史館へ行って、今城塚古墳について詳しく勉強してみましょう。
(つづく)
でね、東京という地からも思いを込め行った意中の方のお墓でしたが、墳丘にもまた造り出しにも行かずでした。そんな事出来るもんですかね?実はそこから工房に行きたくってバスをどう繋いて行けるかずっと考えてたのもあり全くもったいない事してましたね。
けどこちらの記事でスルーした事は頭に入るというのがとてもありがたいです。
排水の技術ですよね!これが現代にまでちゃんと職人気質が繋がってさえいれば天災から人間の命を守る事ももっと出来たはずです。
子孫はいるはずなので未来は明るいはず。
続きも楽しみにしております。
群馬の古墳もいかないとなあ、赤があると凄いイメージが違いますね。びっくりでした。
16日って平日でびっくりしてましたよ。訂正了解いたしました。9280
墳丘に埴輪の復元を並べる場合は、埴輪の形状自体もある程度推測が入る場合がありますが、彩色に関してはもっと推測が入り込むので、そこを思いきるか踏みとどまるかで対応が変わるのではないかと思います。中途半端に色を付けるのであれば、素のままが良いという考えもありますが、見るか側からすると色が付いている方が楽しいですね。
今回のツアーの場所は、とっても大事な場所なのでこの辺りの評価や研究が進んだら興味持つ方が増えると思います。それまでとっておきましょうね。聖徳太子の関係では今、加古川と世田谷が四天王寺で絡んできたんですけど去年あの辺りに用事が出来て行ったりした小机周辺って関係ありそうに思いますよ。奈良時代までは遡れるんではないかな?と。
また博物館の辺りの環濠集落や諏訪神社などは旧石器にまで遡らないかな?と思っています。こちらも奈良との接点ありそうに思います。また近くには徳川二代さんと接点ある所も多いので間違いなく研究が進めば気になる方は増えると思います。
結構普通の所に近畿並みの歴史的にも古い場所っていっぱいあるんですよね。そこをきちんと見極めて頂きそこにスポットライトを当てて頂き本当に感謝です。
結構自分の家の裏山がって事あると思います。時期や勢力によってはある時期放ったらかしでまたあると時復活というお話は歴史であります。ただ気になっている方がいる事も多分偶然ではないと思います。
稲用さんが関わってくれるだけでとっても嬉しくなりましたよ、今後も注目しておきますね。7999