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八角墳の経塚古墳を見て勢いづき、国分僧寺跡へやってきました。
さきほど行った国分尼寺跡のすぐ南側にありますよ。
原則として、僧寺と尼寺は歩いてすぐに行ける場所にありました。
こちらも駐車場らしきスペースがあります。
では、探訪開始。
説明板。
往時の想像図。
もう一つ説明板。
伽藍配置はこのようになっていました。
おや、この小屋は何でしょうか?
ボランティアガイドの方たちの詰め所でしょうか?
誰もいないようです。
まだ8時だし。
でも看板が剥がされかかっているので現在は機能していないのかもしれません。
さて、僧寺跡を見渡すと、段々に造成されているのが分かります。
それらのほとんどは往時の基壇とかではなく、近代以降の農耕の際に造ったもののようで、その間には水路もあり、ある種の迷路のような状況になっています。
まずは塔跡へ向かいましょう。
礎石が残っていますよ。
国分寺跡でもっとも好きなのは、やはり塔跡ですね。
ここには寺院の中でもっとも重要な塔が経っていたのです。
国分寺の場合は原則として七重塔ですが、もしかすると五重塔が建っていた国があったかもしれません。
甲斐は七重塔かな?
ここはちゃんと塔心礎もありますよ。
標柱が見えるので行ってみましょう。
国分僧寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」ですが、それを山号にしているのでしょうか。
だとしたらやたら長いな。
南側の参道入り口のような佇まいです。
ただし、この場所は南門と中門の中間あたりに位置し、南門跡には何もないようです。
中門跡へ来ました。
門跡の礎石もある。
おや、西側遠くにお坊さんの墓らしきものが並んでいますよ。
説明板のようなものが見えるのでズームで撮影。
倒れかかっていますが、説明は読めます。
一人で強盗3人を相手にしたというのも凄いですが、彼らに金を渡して悔悛させたという話もカッコいいですね。
金堂跡へ来ました。
礎石だったものなのか、何か分からない石がたくさんあります。
金堂跡から塔跡を眺めます。
♪塔跡、キャーラメールコーオーン。
妙なフレーズが頭をよぎりますが、塔跡、かなり近いな。
甲斐国分僧寺の伽藍配置は先ほど示した通りで、中門と金堂が回廊で接続され、その内部に塔を置く大官大寺式の伽藍配置なので、このプランを採用すると自然と金堂と塔は近くなってしまうのでしょう。
金堂跡の北には講堂跡があります。
おや、何やら祭祀の形跡がありますよ。
こういった祭具を使用した祭祀が律令時代の国分寺跡であったということは寡聞にして知りません。
講堂跡から金堂跡を見ます。
ここから道路を北上していくと、先ほど訪れた尼寺跡に着きますよ。
説明板が見えるので確認しに行きましょう。
僧寺跡と尼寺跡の位置が確認できますね。
さて、甲斐国分寺跡も意外と見ごたえがありました。
山梨県の遺跡整備のプランを考えている方から聞いたのですが、国分寺跡はもっと整備したいのですが、なかなか手が回らないとのことでした。
全国を見渡すと、武蔵とか伊勢とか整備を積極的にやっている場所もあるので、ぜひとも甲斐にも頑張って欲しいですね。
でも今日歩いた感じでは、新しい目の説明板もあるので、整備に向けて何とかしようとしている雰囲気は感じ取ることができました。
では、続いてまた古墳を見に行きますよ。
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八角墳の経塚古墳を見て勢いづき、国分僧寺跡へやってきました。
さきほど行った国分尼寺跡のすぐ南側にありますよ。
原則として、僧寺と尼寺は歩いてすぐに行ける場所にありました。
こちらも駐車場らしきスペースがあります。
では、探訪開始。
説明板。
往時の想像図。
もう一つ説明板。
伽藍配置はこのようになっていました。
おや、この小屋は何でしょうか?
ボランティアガイドの方たちの詰め所でしょうか?
誰もいないようです。
まだ8時だし。
でも看板が剥がされかかっているので現在は機能していないのかもしれません。
さて、僧寺跡を見渡すと、段々に造成されているのが分かります。
それらのほとんどは往時の基壇とかではなく、近代以降の農耕の際に造ったもののようで、その間には水路もあり、ある種の迷路のような状況になっています。
まずは塔跡へ向かいましょう。
礎石が残っていますよ。
国分寺跡でもっとも好きなのは、やはり塔跡ですね。
ここには寺院の中でもっとも重要な塔が経っていたのです。
国分寺の場合は原則として七重塔ですが、もしかすると五重塔が建っていた国があったかもしれません。
甲斐は七重塔かな?
ここはちゃんと塔心礎もありますよ。
標柱が見えるので行ってみましょう。
国分僧寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」ですが、それを山号にしているのでしょうか。
だとしたらやたら長いな。
南側の参道入り口のような佇まいです。
ただし、この場所は南門と中門の中間あたりに位置し、南門跡には何もないようです。
中門跡へ来ました。
門跡の礎石もある。
おや、西側遠くにお坊さんの墓らしきものが並んでいますよ。
説明板のようなものが見えるのでズームで撮影。
倒れかかっていますが、説明は読めます。
一人で強盗3人を相手にしたというのも凄いですが、彼らに金を渡して悔悛させたという話もカッコいいですね。
金堂跡へ来ました。
礎石だったものなのか、何か分からない石がたくさんあります。
金堂跡から塔跡を眺めます。
♪塔跡、キャーラメールコーオーン。
妙なフレーズが頭をよぎりますが、塔跡、かなり近いな。
甲斐国分僧寺の伽藍配置は先ほど示した通りで、中門と金堂が回廊で接続され、その内部に塔を置く大官大寺式の伽藍配置なので、このプランを採用すると自然と金堂と塔は近くなってしまうのでしょう。
金堂跡の北には講堂跡があります。
おや、何やら祭祀の形跡がありますよ。
こういった祭具を使用した祭祀が律令時代の国分寺跡であったということは寡聞にして知りません。
講堂跡から金堂跡を見ます。
ここから道路を北上していくと、先ほど訪れた尼寺跡に着きますよ。
説明板が見えるので確認しに行きましょう。
僧寺跡と尼寺跡の位置が確認できますね。
さて、甲斐国分寺跡も意外と見ごたえがありました。
山梨県の遺跡整備のプランを考えている方から聞いたのですが、国分寺跡はもっと整備したいのですが、なかなか手が回らないとのことでした。
全国を見渡すと、武蔵とか伊勢とか整備を積極的にやっている場所もあるので、ぜひとも甲斐にも頑張って欲しいですね。
でも今日歩いた感じでは、新しい目の説明板もあるので、整備に向けて何とかしようとしている雰囲気は感じ取ることができました。
では、続いてまた古墳を見に行きますよ。
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国分寺はお水対策が施されていたんですね。継体天皇関係のお墓に関わる民族絡んでいるかな?
今神社でも社の周りに溝ある場所て気になってしまいます。お水の対策なのか?信仰や文化なのか?その時代にとっての意味も知りたいですね。関東の道路も溝あったんですよね。関西はどうだったのかなあ?すっかり調べてないまま数十年経ってます。