まずは横浜市港北区の観音松古墳跡を目指します。
お客様たちとお別れした後、東急東横線の元住吉へ移動。
日吉から降りて行っても良いのですが、元住吉から歩いていくと、古墳があった台地へ北側の離れたところからアプローチできるため、台地の比高差や周辺地形を確認できて面白そうです。
あ、猫ちん。
気づかれた!
南へ向かって歩いていくと、道路の向こうに緑の崖が現れました。
日吉台地です。
台地の上には慶應義塾大学矢上キャンパスの建物が見え、麓を矢上川が洗っています。
矢上川へぶち当たったので今度は東へ歩きつつ台地を見上げます。
新幹線だ!
そろそろ台地の先端部麓へ近づいてきました。
この台地の上には横浜市立矢上小学校がありますが、そこが観音松古墳の跡地です。
小学校の正門側まで回ってみますが、説明板などはないですね。
寂しい限りですが、これが神奈川県の古墳の現状、というか文化財行政の現状。
もちろん県内や横浜市内にも志の高い方はいらっしゃるはずですが、他の自治体と比較した場合の私個人の率直な感想です。
せめて説明板一つでもあればだいぶ違うんですがね。
ところで、観音松古墳と加瀬白山古墳は荏原台古墳群から見ると多摩川の対岸に位置するため、荏原台古墳群とこちらの古墳を同じ勢力として首長墓系列を考える研究者がいます。
また、それとは別にこちら側は別個の勢力と考える研究者もいます。
私は今までは、前者の考えだったのですが、こちら側の矢上川は正確には多摩川流域ではなく、別系の鶴見川の流域です。
観音松古墳と荏原台古墳群の亀甲山古墳は直線で4㎞離れており、これらの古墳の間には多摩川とその氾濫原や低地が展開しているわけで、古代の多摩川の景観が分かれば一番ですが、もし、川というよりかは船での行き来が難しい泥地だった場合は、別個の勢力でも良いような気がします。
この辺はもう少し考察してみます。
ではつづいて、矢上川を越えて川崎市幸区側にある白山古墳跡へ向かいます。
白山古墳跡も何もないことは聞いていますが、何かしら形跡はないかなあと思い、地図を見ながら住宅街のなかをウロウロします。
いやー、本当に何もないですねえ。
古墳の近くに雑木林はありますが、在地の有力者のような雰囲気のお宅の敷地が並んでおり侵入はできません。
諦めて夢見ヶ崎の南側へ回り、天照皇大神へ登ります。
結構比高差がある丘ですね。
上の方まで石段が続いています。
おや、猫ちんが石段を登っている。
気づかれないように追尾してみましょう。
ん?
気づかれたか?
猫ちんはいたってマイペースに石段を登って行きます。
ひやー、結構な石段だった。
おや、そこにいたのかい?
この石段を毎日登ったらいい運動になるね。
拝殿。
この神社は太田道灌や北条氏政とも縁があるようです。
東側入口。
あ、そうだ!
ここから先は動物園だったんだ。
ヤバイ、楽しすぎる・・・
今日はもうほとんど時間が無いのでゆっくり見れないのが残念です。
意外と多くの種類の動物さんたちがいますよ。
また今度、ゆっくり遊びに来たいな。
広場に出ました。
おっと、説明板がある!
一瞬、この場所に白山古墳があったかとビックリしましたが、大きさがイメージできるように広場で表示を工夫しているようです。
ここは古墳群を形成しており、主墳と考えられる白山古墳以外の古墳がいくつか辛うじて残っているようです。
あそこに1基、それらしいものが見えますね。
詳しい説明板があった。
説明板の後ろの古墳は9号墳ですね。
白山古墳は湮滅してしまったような表現をよく見ますが、地形図を見ると古墳の場所はまだ少し標高が高くて、前方後円型の輪郭が分かるんですよね。
実は墳丘は少し残っているんじゃないでしょうか?
先ほど見てきた雑木林が怪しいなあ・・・
地主さんの意向もあってその辺をぼやかしてしまっているような気がしますが、まずは地主さんの意思を尊重です。
道灌さん、こちらにもいらっしゃいます。
やはり、江戸の町といえば家康というよりかは道灌ですね。
でも残念ながら家康も道灌も江戸にとっては余所者で、今後は家康や道灌とともに、平安末期からこの地に勢力を張った江戸氏を顕彰していただきたいです。
いただきたいです、って誰に言ってるんでしょうか?
分かりませんが、きっとこの声は届くと思います。
夢見ヶ崎から南側の眺望。
おやおや、またいましたよ。
何をしてるんですか?
ものすごく眠いようで、今にも瞼が閉じそうです。
ここは平和でいいですなあ。
では、2号墳を見つつ、丘を降りましょう。
これでしょう。
帰りは南武線で帰りたいので、鹿島田駅まで向かいます。
新川崎駅近辺からの遠望。
皆様とお別れしてから1時間半ほどの探訪でしたが楽しかったです。
お客様たちとお別れした後、東急東横線の元住吉へ移動。
日吉から降りて行っても良いのですが、元住吉から歩いていくと、古墳があった台地へ北側の離れたところからアプローチできるため、台地の比高差や周辺地形を確認できて面白そうです。
あ、猫ちん。
気づかれた!
南へ向かって歩いていくと、道路の向こうに緑の崖が現れました。
日吉台地です。
台地の上には慶應義塾大学矢上キャンパスの建物が見え、麓を矢上川が洗っています。
矢上川へぶち当たったので今度は東へ歩きつつ台地を見上げます。
新幹線だ!
そろそろ台地の先端部麓へ近づいてきました。
この台地の上には横浜市立矢上小学校がありますが、そこが観音松古墳の跡地です。
小学校の正門側まで回ってみますが、説明板などはないですね。
寂しい限りですが、これが神奈川県の古墳の現状、というか文化財行政の現状。
もちろん県内や横浜市内にも志の高い方はいらっしゃるはずですが、他の自治体と比較した場合の私個人の率直な感想です。
せめて説明板一つでもあればだいぶ違うんですがね。
ところで、観音松古墳と加瀬白山古墳は荏原台古墳群から見ると多摩川の対岸に位置するため、荏原台古墳群とこちらの古墳を同じ勢力として首長墓系列を考える研究者がいます。
また、それとは別にこちら側は別個の勢力と考える研究者もいます。
私は今までは、前者の考えだったのですが、こちら側の矢上川は正確には多摩川流域ではなく、別系の鶴見川の流域です。
観音松古墳と荏原台古墳群の亀甲山古墳は直線で4㎞離れており、これらの古墳の間には多摩川とその氾濫原や低地が展開しているわけで、古代の多摩川の景観が分かれば一番ですが、もし、川というよりかは船での行き来が難しい泥地だった場合は、別個の勢力でも良いような気がします。
この辺はもう少し考察してみます。
ではつづいて、矢上川を越えて川崎市幸区側にある白山古墳跡へ向かいます。
白山古墳跡も何もないことは聞いていますが、何かしら形跡はないかなあと思い、地図を見ながら住宅街のなかをウロウロします。
いやー、本当に何もないですねえ。
古墳の近くに雑木林はありますが、在地の有力者のような雰囲気のお宅の敷地が並んでおり侵入はできません。
諦めて夢見ヶ崎の南側へ回り、天照皇大神へ登ります。
結構比高差がある丘ですね。
上の方まで石段が続いています。
おや、猫ちんが石段を登っている。
気づかれないように追尾してみましょう。
ん?
気づかれたか?
猫ちんはいたってマイペースに石段を登って行きます。
ひやー、結構な石段だった。
おや、そこにいたのかい?
この石段を毎日登ったらいい運動になるね。
拝殿。
この神社は太田道灌や北条氏政とも縁があるようです。
東側入口。
あ、そうだ!
ここから先は動物園だったんだ。
ヤバイ、楽しすぎる・・・
今日はもうほとんど時間が無いのでゆっくり見れないのが残念です。
意外と多くの種類の動物さんたちがいますよ。
また今度、ゆっくり遊びに来たいな。
広場に出ました。
おっと、説明板がある!
一瞬、この場所に白山古墳があったかとビックリしましたが、大きさがイメージできるように広場で表示を工夫しているようです。
ここは古墳群を形成しており、主墳と考えられる白山古墳以外の古墳がいくつか辛うじて残っているようです。
あそこに1基、それらしいものが見えますね。
詳しい説明板があった。
説明板の後ろの古墳は9号墳ですね。
白山古墳は湮滅してしまったような表現をよく見ますが、地形図を見ると古墳の場所はまだ少し標高が高くて、前方後円型の輪郭が分かるんですよね。
実は墳丘は少し残っているんじゃないでしょうか?
先ほど見てきた雑木林が怪しいなあ・・・
地主さんの意向もあってその辺をぼやかしてしまっているような気がしますが、まずは地主さんの意思を尊重です。
道灌さん、こちらにもいらっしゃいます。
やはり、江戸の町といえば家康というよりかは道灌ですね。
でも残念ながら家康も道灌も江戸にとっては余所者で、今後は家康や道灌とともに、平安末期からこの地に勢力を張った江戸氏を顕彰していただきたいです。
いただきたいです、って誰に言ってるんでしょうか?
分かりませんが、きっとこの声は届くと思います。
夢見ヶ崎から南側の眺望。
おやおや、またいましたよ。
何をしてるんですか?
ものすごく眠いようで、今にも瞼が閉じそうです。
ここは平和でいいですなあ。
では、2号墳を見つつ、丘を降りましょう。
これでしょう。
帰りは南武線で帰りたいので、鹿島田駅まで向かいます。
新川崎駅近辺からの遠望。
皆様とお別れしてから1時間半ほどの探訪でしたが楽しかったです。