⇒前回の記事はこちら
八幡林官衙遺跡の次は、同じ長岡市にある国指定史跡の藤橋遺跡を目指します。
おや、あれは何だ?
子供の頃にテレヴィのCMで「人類みな兄弟」と言っていた笹川良一氏に関連するものか?
車の運転中は沿道に遺跡の説明板がないか常に意識しながら走っているので、何かそれらしいものやおかしなものがあると、できる限り確認するようにしています。
路駐して確認してみましょう。
あー、そうだ。
笹川会長でした。
そしてここは、やっぱり水関係の施設か。
笹川氏のことは詳しくは知らないのですが、子供の頃に受けたインパクトって忘れられないようで、日本船舶振興会という名前すらも覚えています。
というか、小学校3・4年の時のクラスメイトのお父さんが異様に笹川氏の悪口を言っていて、なんでそんなに嫌悪するのか不思議だったので、その印象も強いです。
それはそうと、今では私たちはみなアフリカで誕生した数名の「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる女性たちの子孫であると言われていますので、本当に人類みな兄弟なのかもしれません。
でも私はまた近い将来、「多地域進化説」が反撃してくると思っていますよ。
はい、現場に着きました。
説明板にも書かれている通り、藤橋遺跡は縄文時代晩期の大規模な集落跡です。
現在は「藤橋遺跡の広場」として整備され、ふじはし歴史館と遺構展示館、それに建物が3棟復元されています。
まずはふじはし歴史館へ。
近くから正面を撮ろうとすると、露骨にトイレの中が写ってしまう・・・
2階に展示コーナーがあります。
先日、大湯ストーンサークルに行ったとき以来、縄文時代の「数」について気になっています。
縄文人が数に関してどのような知識や概念を持っていたのか。
もっと言うと、数と信仰との関連などです。
そのため、建物の平面形や柱の数、それに土器の縁の部分を上から見たときに角が何個あるかなどが気になって仕方がないのです。
この深鉢は・・・
角が10個ありますね。
「10」か・・・
では外へ行きましょう。
建物跡の復元。
建物自体を支える柱は6本ですが、強度を増すためか、屋根の部分を支えるためにもう2本ついていますね。
え、神社建築の棟持柱みたいじゃん。
縄文時代の建物というと竪穴式住居を思い浮かべますが、この地域ではこういった平地式の建物が普通にあったようです。
つづいて、遺構展示館へ行ってみます。
ここではアクリルで表現された小型の建物と、木柱で表現された大型の建物の様子が分かるようになっています。
大型の建物の方は、展示館内に入りきらず、外にはみ出しています。
それではつぎは火焔型土器が出土した馬高遺跡へ行きますよ。
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八幡林官衙遺跡の次は、同じ長岡市にある国指定史跡の藤橋遺跡を目指します。
おや、あれは何だ?
子供の頃にテレヴィのCMで「人類みな兄弟」と言っていた笹川良一氏に関連するものか?
車の運転中は沿道に遺跡の説明板がないか常に意識しながら走っているので、何かそれらしいものやおかしなものがあると、できる限り確認するようにしています。
路駐して確認してみましょう。
あー、そうだ。
笹川会長でした。
そしてここは、やっぱり水関係の施設か。
笹川氏のことは詳しくは知らないのですが、子供の頃に受けたインパクトって忘れられないようで、日本船舶振興会という名前すらも覚えています。
というか、小学校3・4年の時のクラスメイトのお父さんが異様に笹川氏の悪口を言っていて、なんでそんなに嫌悪するのか不思議だったので、その印象も強いです。
それはそうと、今では私たちはみなアフリカで誕生した数名の「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる女性たちの子孫であると言われていますので、本当に人類みな兄弟なのかもしれません。
でも私はまた近い将来、「多地域進化説」が反撃してくると思っていますよ。
はい、現場に着きました。
説明板にも書かれている通り、藤橋遺跡は縄文時代晩期の大規模な集落跡です。
現在は「藤橋遺跡の広場」として整備され、ふじはし歴史館と遺構展示館、それに建物が3棟復元されています。
まずはふじはし歴史館へ。
近くから正面を撮ろうとすると、露骨にトイレの中が写ってしまう・・・
2階に展示コーナーがあります。
先日、大湯ストーンサークルに行ったとき以来、縄文時代の「数」について気になっています。
縄文人が数に関してどのような知識や概念を持っていたのか。
もっと言うと、数と信仰との関連などです。
そのため、建物の平面形や柱の数、それに土器の縁の部分を上から見たときに角が何個あるかなどが気になって仕方がないのです。
この深鉢は・・・
角が10個ありますね。
「10」か・・・
では外へ行きましょう。
建物跡の復元。
建物自体を支える柱は6本ですが、強度を増すためか、屋根の部分を支えるためにもう2本ついていますね。
え、神社建築の棟持柱みたいじゃん。
縄文時代の建物というと竪穴式住居を思い浮かべますが、この地域ではこういった平地式の建物が普通にあったようです。
つづいて、遺構展示館へ行ってみます。
ここではアクリルで表現された小型の建物と、木柱で表現された大型の建物の様子が分かるようになっています。
大型の建物の方は、展示館内に入りきらず、外にはみ出しています。
それではつぎは火焔型土器が出土した馬高遺跡へ行きますよ。
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