3.探訪レポート
2020年9月5日(土)
この日の探訪箇所
狐井稲荷山古墳 → 狐井城山古墳 → 領家山古墳群 → 築山古墳 → かん山古墳 → 新山古墳 → 安部山1号墳 → 牧野古墳 → 佐味田宝塚古墳 → 三吉2号墳 → 巣山古墳 → 狐塚古墳 → 倉塚古墳 → 一本松古墳 → ナガレ山古墳 → 乙女山古墳 → 池上古墳
王寺駅南口近くの東横インで目覚めました。
窓から外の景色を見てみます。
南方向だな。
遠くに少し高い山が見えます。
そんなに晴れている感じでもないですが、天気予報によると日中は晴れるようです。
今日は馬見古墳群を歩きますよ。
奈良にはよく来ていますが、何しろ古代史好きにとっては見どころの数が桁外れなため、今回はようやく馬見古墳群を訪れる機会が巡ってきたのです。
王寺の東横インはオープンして間もないため、サンキュー・ゴメンネキャンペーンで、3,950円で泊ることができました。
ありがたい。
ホテルの横の公園にある案内板。
聖徳太子ゆかりの地ですぞ!
ホテルから王寺駅までは歩いて2~3分です。
今日は1日かけて馬見古墳群を歩き回ろうと思いますが、まずは古墳群の近くまで電車で移動しますよ。
JR和歌山線に乗って香芝駅までやってきました。
いつものごとく乗ってきた電車を撮影。
今日はゆっくりスタートで、もう8時45分になっています。
香芝駅。
まずは狐井(きつい)城山古墳へ行ってみたいと思いますが、駅前には奈良に来るとたまに見かける天皇陵への道標が立っていますね。
狐井城山古墳は香芝駅から南方向に1㎞ほど行ったところにあるはずです。
鹿島神社。
近鉄の下田駅前まで来ました。
駅の向こうには二上山が見えています。
さらに歩きますよ。
お、前方が登り坂になっていますね。
坂を登った先には森が見えますが、あの森が狐井城山古墳かしら?
丘の上に向けて歩いていると道路左手に先ほど見えた森が近づいて行きました。
あれ、でもちょっと様子がおかしい。
説明板とかもないし、狐井城山古墳は水堀に囲まれているはずなのにそれもないし、これは違うな。
狐井城山古墳はもう少し先だ。
※帰宅後、Webの「前方後円墳データベース」で調べてみたら、あの森はやっぱり狐井稲荷山古墳という古墳で、狐井城山古墳より前の中期後半に築造された墳丘長70mほどの古墳で、墳形は多分前方後円墳だろうということです。
さらに進むとまたも左手に、今度は絶対古墳だろうと思われる水堀で囲まれた森が現れました。
狐井城山古墳は陵墓や陵墓参考地ではありませんが、普通にフェンスで囲まれています。
というか、フェンスが無いと水堀に転落する。
歩いてきた道を振り返ります。
お、ちゃんと説明板があった!
ここに書いてある通り、狐井城山古墳は墳丘長140mの前方後円墳です。
スペックを補足すると、後円部径が90mなのに対し、前方部幅がグッと広がって110mとなっており、なおかつ後円部の高さが12mなのに対し、前方部の高さは13mとなっていて前方部の方が高くなっているため、これらの数値を見ただけで容易に後期古墳であると推定できます。
みつかった円筒埴輪はⅤ式で、家形もしくは蓋形の埴輪も見つかっており、葺石が葺かれていました。
外堤の外側で刳抜式長持形石棺の蓋石と家形石棺の蓋石片が見つかっているということで、少なくとも2名の埋葬があったことが分かりますが、竜山石は身分の高い人の棺に使われる石ですし、しかも長持形ということで、かなりの権力者が埋葬されていたことが考えられます。
狐井城山古墳が築造された5世紀末から6世紀初めというと、葛城氏の最盛期からはだいぶ後になって、日本書紀を読んでもそのころの葛城氏の活躍は良く分かりません。
時代的には継体天皇が活躍していた時期に当たりそうですが、そもそも継体天皇が権力を振るっていた時期を実年代で具体的に示すことは困難ですし、この地にある古墳だからと言って葛城氏一族が眠っていると断定するのは避けないとなりません。
ただ、葛城氏に「関連しそうな」大型古墳としてはこの狐井城山古墳が最後になりますので、非常に気になる存在ではありますね。
というわけで、ヴィジュアル的にはあまり優れていませんが、まずは狐井城山古墳を見ることができました。
次は、築山古墳へ行ってみたいのですが、築山古墳と線路を挟んだ南側の丘にも古墳があるようなので、そこを見てから築山古墳へ行ってみたいと思います。
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4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『シリーズ「遺跡を学ぶ」026 大和葛城の大古墳群 馬見古墳群』 河上邦彦/著 2006年