3.探訪レポート
2020年9月5日(土)
この日の探訪箇所
狐井稲荷山古墳 → 狐井城山古墳 → 領家山古墳群 → 築山古墳 → かん山古墳 → 新山古墳 → 牧野古墳 → 佐味田宝塚古墳 → 三吉2号墳 → 巣山古墳 → 狐塚古墳 → 倉塚古墳 → 一本松古墳 → ナガレ山古墳 → 乙女山古墳 → 池上古墳
⇒前回の記事はこちら
狐井城山古墳から次の目的地までは少し距離があります。
4㎞くらい、テクテク歩きますよ。
あ、二上山が綺麗に見える。

いいですねえ。

この辺は条里制の名残か分かりませんが、道路は一定のサイズで碁盤の目状になっており、斜めにショートカットできそうな道が無いですね。
狐井城山古墳の森が見えます。

JR和歌山線の線路を渡ってすぐ、右手に澤田酒造を発見。

こういうところを訪ねながらゆっくり歩ける日はいつになったら来るのかしら。
どうしても歩くときは遺跡優先になってしまうのです。
あれ、何だこの碑は?
神武天皇!

例えば関東地方では、明治天皇が来たことがある場所を「聖蹟」といって残したりしますが、さすが奈良、神武天皇が遥拝した場所が残っているのは凄い。
というか、凄いのは分かりますが、詳細は分かりません!
日本書紀を細かく読んでみれば書いてあるかなあ?
こんな感じの場所にあります。

実は私、曲がる道を一本間違ってこの道に来たのですが、これはまさしく「引き寄せられの法則」ですね。
道を間違って遺跡に巡り合えるパターンです。
なんか嬉しい。
狐井城山古墳を出てから30分くらい歩いていますが、気づけば南東方向に大きな古墳らしき森が見えます。

あれは、位置的に築山古墳でしょう。

いや、こういう風景が見れれるのは良いですよ。
築山古墳という馬見古墳群を代表する古墳の一つが、こんな遠くからもよく見えるということが分かりました。
さきほどの神武天皇遥拝所跡もそうですが、歩いているからこそ巡り合ったり見えたりするものがあるのです。

二上山も綺麗。

築山古墳のちょうど真西に来ました。

築山古墳はこちら側(西側)が後円部です。
ところで、この周辺はメリヤス工場が多いですね。
こういった地域の産業の起こりを調べるとまた面白いことが分かったりするので、いずれ調べてみようと思います。
陵西小学校の近くのお堂。

次なる目的地の森が見えてきました。

築山古墳の南に回り込んできていますね。


南側にも古墳の森らしきものが見えます。

※帰宅後に調べてみましたが、墳丘長27.5mの前方後円墳である岡崎山1号墳でしょうか。


あの丘へ向かいます。

さて、丘の麓に来ましたが、どこからこの丘に取り付けばよいのでしょうか?

丘の麓には住宅が建て込んでおり、入口が分かりません。
西側の景色。


なんか無駄に歩いている気がしますが、あれ、この道は先ほどは気づかなかったな。

お、説明板発見!

鳥居があります。

上に行ってみましょう。

丘の上からの眺望。

しかし、どこにどういう古墳があるのかサッパリ分かりません。

はい、これは玉砕パターンですね。

下調べをちゃんとしないで来るとたまにこういうことになります。

サッサと諦めて丘から降りましょう。

せっかく遠くまで来たのに満足に古墳が見られずに撤退するのは残念だと思われるかもしれませんが、私は意外と平気です。
今回は縁がなかった。
それだけです。
縁があれば再び来ることができるでしょう。
縁があれば再会できるはずの人間関係と一緒ですね。
では、築山古墳へ行きますよ。
※帰宅後にWebで調べたところ、領家山古墳群には、長辺24m×短辺20.5mの方墳である1号墳と、径9.5mの円墳である2号墳があるそうです。
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