日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

備前国分尼寺跡|岡山県赤磐市 ~説明板のみがかつての存在の証~ 【備前・備中古代史探訪 ⑦】

2018-10-06 18:37:07 | 歴史探訪
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 早く両宮山古墳に行きたい気持ちを抑えて、国分尼寺跡を先に抑えておきます。

 どこの国も僧寺と尼寺は歩いてでも気軽に行き来できる距離にあります。

 でもまだ遺跡が今のように見つかる前の大正時代に書かれた本には「男の僧寺と女の尼寺が近くにあるはずがない」と書かれ、僧籍にある男女が交わることを避けるために両寺は大きく離れているはずだと考える研究者がいました。

 ということで、備前国分寺跡から尼寺までは車では一瞬で到達できます。

 ただし、尼寺の方はまったく史跡整備がされておらず、説明板が立っているだけです。





 ここに書かれている通り、発掘調査がされていないので詳細は不明ですが、推定寺域の東半分は仁王堂池と仏教的なネーミングの池になっています。



 一般的には僧寺よりも尼寺の方が早く廃絶し、国によっては僧寺の場所は分かっているけど尼寺の場所はもうどこか分からなくなっているということもあるので、推定寺域が分かっているだけでも良いかもしれませんね。

 尼寺跡から僧寺跡方面を見ると、この距離なら手を振れば見えるんじゃないかと思います。



 当時の国分寺や国分尼寺は国家のお寺で、一般人が気軽に参拝できるものではなかったらしいですが、そんな堅苦しいお寺でももしかしたら両寺の僧の間で「何か」が起きていたのではないかと勝手に想像してしまいます。

 これで尼寺の場所も確認できたので古墳へ行きますよ。

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