日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

備前国分寺跡|岡山県赤磐市 ~田んぼの中に往時の伽藍跡が残る~ 【備前・備中古代史探訪 ⑥】

2018-10-06 16:50:44 | 歴史探訪
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 岡山県赤磐市に入りました。

 私はこちらに来るのは初めてで、赤磐市という自治体名も初めて聞きました。

 来たことがない場所に来るのってとても楽しいですよね。

 敢えて、予備知識を持たずに来ると楽しさが倍増するので、初めての場所に行くときは、予習は程々にしていくことをお勧めします。

 さて、岡山市北区の牟佐大塚古墳を出てしばらく東に向かい、備前国の国分寺跡へ到着しました。

 駐車場に入るまで田んぼの中の細い道を走りますが、車も小型車ですし全然平気です。

 駐車場は塔跡の隣でした。



 石で造った七重塔が建っていますね。



 当時の塔はもちろんもっともっと高かったですよ。

 塔心礎の上に建っているようです。



 これでは「穴」が見えないじゃないか!

 見たいものが見えない・・・

 古代寺院マニアの中には軽度の変態もいますがご了承ください。



 あ、でもこの塔も鎌倉時代のものなんですね。

 凄いじゃん。



 ちゃんとパンフレットがある!



 素晴らしいねえ。





 では、入手したパンフレットを片手に、伽藍内をお散歩しましょう。

 国分寺歩きの場合は、基本的にはスタートポジションは南門跡です。





 つづいて中門跡。





 最初に読んだ説明板には、南門と中門の距離が短いのが特徴と書いてありましたが、なるほどかなり近接していますね。

 中門をくぐると、いよいよ境内中心部に入りますが、だいたいここから時計回りか反時計回りでグルっと境内を歩くのが国分寺跡の歩き方です。

 今日は時計回り。

 あちらには金堂跡らしき基壇が見えますが、あとで行きます。



 中門は回廊が接続されていたようです。





 あの神社が気になりますねえ。







 国分寺八幡宮。







 国府八幡という神社もたまにありますが、国分寺も八幡なんですね。

 ちなみに、国府八幡の場合は、国府が全盛期の奈良時代に建立された神社ではなく、その後の平安時代に建立された神社で、さらにその後は武士が登場し八幡信仰が盛んになり、武蔵国の国府八幡の場合は中世に栄えていたようです。

 あ、あの山はきっと両宮山古墳でしょう。



 あとで行くよ・・・

 北側の回廊跡まで来ました。



 そして先ほど、金堂の基壇かと思ったのは、講堂の基壇でした。





 当時の礎石がどれか分かるように図示されていますね。

 こういった説明は大変ありがたいです。



 ほとんどの国分寺跡ではこういった説明がないため、現地で本物かどうか迷うことがあるのです。





 いいねえ。

 そして講堂の背後にあるのがお坊さんたちの普段の生活の場である僧房です。





 講堂跡は基壇も整備されていますが、金堂跡を放っておいているのが面白いです。



 しかし、でかい古墳だなあ。



 早く古墳に行きたい気持ちですが、その前に国分尼寺跡も忘れずに見ていきましょう。

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