日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

桃花原古墳|栃木県壬生町 ~前庭の祭祀場が完全な形で発見~ 【下毛野古墳探訪 ②】

2019-01-23 19:41:10 | 歴史探訪
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 長塚古墳から桃花山古墳へは歩いて行ける距離ではないようです。

 手元には詳細な地図はありませんが、この地域は道路端に標識があるので、おそらく見つかるでしょう。

 ※帰宅してから付近の地図を作ってみました。



 注意深く車を走らせていると、桃花原古墳を指し示す標識がありました。



 この地域、いいねえ。
 
 きっと遠くに見える森が桃花原古墳に違いありません。

 でもここはさすがに雷電號で突撃するのはよそう。

 車を降りてテクテクと歩きます。



 お、墳丘らしき土盛りと説明板が見えてきましたよ。



 しかし、群馬や栃木は本当にソーラーパネルが多いなあ。

 ガンダムであったみたいに、いざとなったら日本中のソーラーパネルを敵国へ向けて反射できるようにして欲しい。

 標柱発見。



 赤い祠が見えるので、お稲荷さんでしょう。



 これは何の形跡でしょうか。



 古墳の葺石なのか近代の神社か何かの構築物なのか・・・

 はい、説明板。



 そしてここにもありました!



 素晴らしいねえ。

 私は壬生の古墳をめぐるのは2度目ですが、主要古墳には必ず説明板があってとても好感が持てます。

 昔、八戸のたぬさんと南部領(岩手北部から青森東部)の館跡をめぐっていた頃、福地村は館跡にきちんと説明板を立てていて、それがシルヴァーに輝いており、私たちは「福地村の銀色の看板」と呼んで親しんでいました。

 それと同じく、壬生町も説明板をきちんと設置しているので、住民の方々の地域の歴史への誇りというか愛着のようなものが伝わってきます。

 説明板を読むと、先ほどの石が転がっていたのは、前庭を発掘したときに出てきた川原石でしょうか。

 いや、そんなはずないか。

 普通は埋め戻すと思うので。

 さて、桃花原古墳は円墳ですよ。



 直径は63mということなので、充分大型円墳の部類に入りますね。

 7世紀の築造ということで、そろそろ蘇我氏の東国政策も終わりの頃です。

 おや、藪の中に五輪塔が佇んでいる。



 気になりますが、墳丘へ登りましょう。



 東側を望むと遠くには筑波山が見えますね。



 千葉県松戸市生まれの私は筑波山には少し馴染みがあります。



 墳丘から降りてもう一度遠くの山々を確認。



 この風景は古墳時代の人々も同じように見ていたはずです。

 車まで戻り、古墳を振り返ります。



 古墳の左手背後の山は日光でしょうか?



 それでは次は茶臼山古墳を目指しますよ。

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2 コメント

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ポストいいですね。 (りひと)
2019-01-29 01:45:18
今は写メ出来るけどやはり保存は文書で残しておくと安心です。最近はやたら処分したがるのですけどやっぱり残すべきですよね、データなんて吹っ飛んだら終わりです。持ち帰れる資料はとても大事でその後縁がある方に渡る可能性もあり一枚から広がる事が出来ます。色んな所に出回る事で考古学的も化ける可能性ありますよね。馬具と鉄関係も凄いですよね。けどこの辺りでは普通なのかしら?もっと注目されてもいいのにと思いますね。ビックネームが付くといいんですけど、イメージですが系統なら卑弥呼系としてもいいように思いますけどね。ひみこ付いたら多分全国で研究も見学も凄くなるでしょうね。9845

そう松戸と縁あるんですね!超深読みしますね。
あと栃木で南から東方面なら筑波山大事ですよね。円墳関係者は、二峰型山のが相性いいように思いますので。日光もそうですね。奈良だとに二上山もはいるかな?
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Unknown (稲用)
2019-02-03 19:49:52
紙の資料はかさばりますが、確かにりひとさんのおっしゃる通り、資料が次の誰かに引き継がれていく可能性がありますね。

壬生町の古墳は面白いですよ。次のクラツーの企画に提出しました。3月10日から売りに出るはずです。

筑波山と香取海を今後よく調べようと思っています。
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